ぷちとまと

FC東京、もう飽きた。

フットボール in 文学

2006年01月26日 02時38分33秒 | 足球
ある文学作品に、興味深い記述を発見しました。
『トレインスポッティング』や『ぼくのプレミア・ライフ』の比ではない、正真正銘の大作です。

舞台は1940年代のアルジェリア。死の病に襲われて外部と遮断された街からの脱出を企てるランベールが、門番との仲介人ゴンザレスを紹介された場面。

---- 引用開始 ----
しかし、馬面がフットボールの選手であることが、ランベールにわかってからは、万事はなはだ楽になった。彼自身も、このスポーツを大いにやったものだった。そこで、フランス選手権や、イギリスのプロ・チームの評価や、W陣形の戦法などの話が出た。食事の終るころには、馬面はすっかり熱中してきて、ランベールを友達扱いにしながら、チームのなかでセンター・ハーフの位置ほど素晴らしい位置はないということを納得させようとした。「いいかい」と、彼はいった。「センター・ハーフっていうのは、つまりプレーをみんなに割り振る人間なんだ。ところで、プレーを割り振るっていえば、それがつまりフットボールなんだからな」。ランベールも自分ではいつもフォワードのセンターをやっていたのであるが、それと同意見だった。
---- 引用終了 ----

僕が「ふーん」と思ったのは次の3点。

(1) 1940年代にシステムが論じられている。

戦術至上主義のはるか以前でも、システム論はそれほど珍しいことではなかったのかもしれません。
プレー経験のあるものどうしとはいえ、初対面の二人の会話に現れるのですから。
W陣形とはWMシステムのことだと思いますが、これは長きに渡り全盛だったシステム。
そういう意味では、ジーコジャパンは3バックか4バックかというようなものではなく、「こうやって攻めるんだよ」的な、まさに戦法についての話に終始していたのかもしれません。

(2) センターハーフの重要性が語られている。

雑誌でセンターハーフ特集が組まれたり、今まさにセンターハーフの時代。
4-3-3の流行に見られるように、前線の枚数を増やそうとすると、中盤の負担が増すのは必然。
攻撃も守備もできなければ話にならない訳です。
ゴンザレスの話ではゲームメーカー的な役割しか述べられていないので、現在のセンターハーフ像とどれほど一致するかは不明ですが。

(3) スペイン人がアルジェリアのチームでプレーしている。

ここ数年で海外でプレーする選手が若干増えましたが、現在のスペインは基本的に選手の輸入国ですからね。


出典はおわかりでしょうか。
カミュの『ペスト』です。
本筋でない些細な設定とはいえ、名作にこういう記録が残されているのは嬉しいものです。
アルジェリアに関してなんて、ジダンがアルジェリア系だということくらいしか知りませんでしたからね。


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