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瀬島龍三など大本営の参謀はコミンテルンと連携し敗戦革命のために

2013年12月18日 15時49分27秒 | 色んな情報
659 :名無しさん@13周年:2013/12/09(月) 02:59:16.37 ID:3lo2jRNPi
瀬島龍三など大本営の参謀はコミンテルンと連携し敗戦革命のために
間違った戦争指導していた
可能性すらある。
大本営には正しい戦果の
報告が上がっていたが
瀬島が握り潰していた。
そして、楽観的作戦で敗北を重ねた。

この辺りは堀栄三大本営参謀の回想録
『大本営参謀の情報戦記』 に詳しい。

また、瀬島は敗戦直前に
満州に軍使として渡り、ソ連と交渉。
帰還できたがあえてせず、
シベリアで赤化した日本のトップと
なるべく訓練を受けたとされる。

また、シベリア抑留も
日本の関東軍参謀がソ連軍と交渉し、
賠償のかわりに日本兵を
労働力として提供する
という密約を交わしていたという説もある。

しかし、実際は賠償の代わりで無く、
思想訓練して革命軍として
使うつもりだったろう。
実際、抑留者は日本帰国時は
「天皇島に上陸し、革命軍として戦う」と
インターナショナルを
歌いながら上陸した。

戦後、瀬島は伊藤忠でトップになったが、
東芝のココム違反事件で、
ソ連に工作機械を輸出する
指示を出したのは瀬島
とされている。

日本にとって
第二次世界大戦は
コミンテルンによって
仕組まれ敗戦
したのだ。

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瀬島龍三はソ連のスパイだった!? 

http://plaza.rakuten.co.jp/kmrkan55/diary/201308260000/

佐々淳行氏の新著「インテリジェンスのない国家は亡びる」(海竜社)によると、元陸軍参謀で、戦後伊藤忠商事会長を努めた瀬島龍三氏がソ連の「スリーパー」(出世するまでは眠っていて、後に活動を始めるスパイ)だったというのである(79~81頁)。

<(瀬島氏はシベリア抑留時代の)捕虜収容所で特殊工作員として訓練されていた。

「シベリア抑留中の瀬島龍三が、日本人抑留者を前に『天皇制打倒! 日本共産党万歳!』と拳を突き上げながら絶叫していた」という、ソ連の対日工作責任者(イワン・コワレンコ=引用者注、後記ウィキペディア参照)の証言もある。

……私は警視庁のソ連・欧米担当の第一係長や、警察庁の外事課長も努めていたから、当然、瀬島氏がスリーパーであることを知っていた。さまざまな会議や部会などで会う機会が多かったが、彼は必ず目を逸らす。

……彼が携わったと考えられるいちばん大きな事件が、1987年に発覚した「東芝機械ココム違反事件」である。

東芝機械と伊藤忠商事は和光交易の仲介の下、ソ連に東芝機械製のスクリュー加工用機械を輸出した。この工作機械によってソ連の原子力潜水艦のノスクリュー音が静粛になり、米海軍に大きな脅威をもたらした>

この瀬島氏を中曽根康弘総理は第二次臨時行政調査会の委員として活用するなど、重用していた。佐々氏は著書で「中曽根さんも脇が甘いと思った」とバッサリ切り捨てている。

それもこれも、日本にスパイ活動防止法が整備されていないからだと佐々氏は嘆き、早急に制定する必要があると熱弁をふるっている。

知らなかったのは私ばかりなのかと早速、瀬島龍三氏に関するウィキペディアに当たってみた。すると、「ソ連工作員疑惑」という項目が出てきた。

※参考

瀬島龍三

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E5%B3%B6%E9%BE%8D%E4%B8%89

瀬島 龍三(せじま りゅうぞう、1911年12月9日 - 2007年9月4日)は、大日本帝国陸軍の軍人、日本の実業家。陸軍士官学校第44期次席、陸軍大学校第51期首席。大本営作戦参謀などを歴任し、最終階級は陸軍中佐。戦後は伊藤忠商事会長。号は「立峰」。義父は岡田政権で内閣総理大臣筆頭秘書官を務めた松尾伝蔵(陸軍大佐)である。

ソ連工作員疑惑

1954年のラストボロフ事件において、ソビエト連邦代表部二等書記官だったユーリー・ラストヴォロフが、亡命先のアメリカにおいて、瀬島を含む11人に「厳格にチェックされた共産主義者の軍人を教育した」「これらの人物は共産主義革命のため、モンゴルのウランバートルに存在した第7006俘虜所において特殊工作員として訓練された」と証言した(ほかには朝枝繁春、志位正二、種村佐孝、平沢道則などの名前が挙げられた)。このラストヴォロフの証言はアメリカやイギリスなどでも報道され、日本でもこの事件以降、瀬島をかくれ共産主義者で、ソ連工作員とみなす論がある(共同通信社社会部「沈黙のファイル―「瀬島 龍三」とは何だったのか 」新潮社、中川八洋 『亡国の「東アジア共同体」』など)。

また、ソ連の対日工作責任者であったイワン・コワレンコは「シベリア抑留中の瀬島龍三が日本人抑留者を前にして『天皇制打倒!日本共産党万歳!』と拳を突き上げながら絶叫していた」 と証言し、「瀬島氏はソ連のスパイではないのか」との問いには「それはトップシークレット」とのみ回答している。

國民新聞社の山田惠久は1979年10月にレフチェンコ事件に関する記事によれば、レフチェンコはコード名「クラスノフ」の瀬島龍三と直接コンタクトを取ったことはないとしながらも、ソ連の対日工作責任者であったイワン・コワレンコと瀬島が深い仲だと証言。なお、ワールド・インテリジェンス誌の黒井文太郎は、コードネーム「クラスノフ」はKGB正式エージェントであるとしている。

秘密保護法は軍事小国・日本の「必要悪」佐々淳行氏に聞くインテリジェンス国家論

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39354

密を漏らした公務員らへの罰則を強化する特定秘密保護法案の国会審議が大詰めを迎えている。政府・与党が12月6日に同法を成立させる考えなのに対し、「秘密の指定が曖昧で報道、言論の自由が侵される」と不安視する見方が根強く、野党、大手メディア、そして有権者の間でも慎重な審議を求める意見が少なくない。

だが、初代内閣安全保障室長を務めた佐々淳行氏は「秘密保護法のマイナスの副作用を考慮しても、成立させるべきだ」と強調する。

警察と防衛の現場で幾多の修羅場を経験し、先ごろ『インテリジェンスのない国家は亡びる』(海竜社)を著した危機管理のエキスパートに、日本のインテリジェンス(諜報)戦略のあり方を聞いた。

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