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『ギリギリセーーフ』

2014年07月28日 14時16分09秒 | 色んな情報

『ギリギリセーーフ』

スポーツを見る楽しみは、ギリギリのところにあります。

ギリギリセーフとギリギリアウトは、審判が決めることではないのです。

イタリアのサッカーの試合で、ゴールエリァのファールを取られてフリーキックになったことがありました。

誰もがエーッとなりました。

攻めている側もわかるミスジャッジでした。

サッカーは、ミスジャッジも含めたゲームです。

「いただき」でシュートを打っていいシーンです。

フリーキックをする選手は、フワーンと蹴って、わざとはずしました。

誰もが大拍手です。

最終的には、わざとはずしたチームが勝ちました。

サッカー場にいた人は最高のシュートを見たのです。

両チームとも「いまのは誤審」とわかって、もう1つ上の試合をしています。

見た目の試合に勝って生き残るよりも、記憶の中に生きのびています。

みんなの記憶の中に生き残ると同時に、気持ちが自分自身の人生に残ります。

審判に決められることではないのです。

ギリギリセーフかギリギリアウトかは自分の中の判断です。

ぶちキレそうなところを「危なかった。いま怒るところだったよ」というのはセーフです。

ぶちキレそうだったのがぶちキレていません。

「許した」もセーフです。

審判のミスジャッジに、「いまのはおかしい」と食ってかかるのを、ファンは見たくありません。

審判に食ってかかるのを見たくて、競技場へ行っているのではないのです。

ミスジャッジでも「いまのファールは厳しいよね」と言いながら見ています。

そんなこともあると、選手も見ている人もわかっています。

審判も「しまった」と思っています。

すべての人がここで救われるのです。

審判は、「フリーキック」と言ったあとで、「ゴメン、いまのはちょっと違った」とは言えません。

フリーキックをわざとはずすことで、審判の面子もつぶさずゲームの続行を共有できます。

これが大人です。

子どもは、みんなが感動しているのを見て「スポーツっていいな」と思います。

ただ勝つよりも上の世界があるのです。


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