帯とけの古今和歌集

鶴のよわいを賜ったというおうなの古今伝授。鎌倉時代に秘伝となって埋もれた和歌の艶なる情がよみがえる。

帯とけの百人一首 (三十一)

2010-05-25 06:18:48 | 和歌

      



             帯とけの百人一首
            
                (三十一)



 藤原定家の撰んだ和歌の余情妖艶なさまを、藤原公任の歌論に基づいて紐解きましょう。


 百人一首 (三十一)
                   坂上是則
 あさぼらけ有明の月と見るまでに 吉野の里に降れる白雪 

 朝ぼらけ、有明の月がさしていると見えるほどに、吉野の里に降った白雪……浅ぼらけ、残るつき人おとことして、みるほどに、好しののさとに降った白ゆき。

 「朝ぼらけ…ほのぼのと夜があけるころ…浅洞け…浅く空しい感じ」「有明の月…残月…朝未だ残るつき人おとこ」「月…月人壮士…男…突き…尽き」「と…として…と思って…のつもりで」「見…媾…媾」「までに…程度などをはっきり示す」「吉野の里…大和の国の地…好し野のひと…よき女」「野…山ばではないところ」「里…女…さ門」「白雪…白ゆき」「白…月光の色…おとこ白ゆき」。

 古今和歌集 冬歌332の詞書は「大和の国にまかれりける時に、雪の降りけるを見てよめる」とある。「大和の国…奈良のくに…寧楽のくに…大いなる和らぎのくに」「くに…国…ところ…世界」。ただ雪景色を詠んだ歌ではない。
 この歌は「俊成三十六人歌合」86に撰ばれてある。歌言葉の戯れに歌の趣旨が顕われている。


 藤原公任と藤原俊成が共に撰んだ是則の歌を聞きましょう。

 みよし野の山の白雪つもるらし ふる里さむくなりまさるなり

 み吉野の山の白雪積もるらしい、古里ますます寒くなりゆく……み好しのの、山ばの白ゆき積もるらし、ふるさと寒くなりまさる。

 「みよしの…所の名、名は戯れる。見良しの、身好しの」「山…山ば」「白雪…おとこ白ゆき」「ふるさと…古里…故里…古さ門…降るさ門」「里…女…さ門」「さむく…寒く…つめたく…ひややかに」。

 古今和歌集 冬歌325。公任の「三十六人撰」及び「俊成三十六人歌合」に撰ばれてあるので、優れた歌でしょう。ただの清げな景色だけを詠んだ歌ではない。どのように、これらの歌を聞いたのでしょう。優れた歌の定義を簡単に示すと、次の通り。

 ○心におかしきところがある。(藤原公任)
 ○浮言綺語の戯れに似ているけれども、それに深き旨も顕われる。(藤原俊成)
 ○よく艶の優れた歌は、余情内に籠もり、景気(様子・雰囲気)が空に浮きでるのです。(源俊恵)
 ○余情妖艶の躰。(藤原定家)

 和歌には「心におかしきところ」がある。これが妖艶なるが故に、清げな衣に包んで表現してある。 

 ○包むこといらないのならば、千の歌でも、今より詠んで差し上げます、と中宮に申し上げた。(清少納言 枕草子98)  


 坂上是則は、坂上田村麻呂の子孫。延喜八年(908)八月、大和権掾。延長二年(924)加賀介。生年未詳。延長八年(930)没。


                 伝授 清原のおうな

 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
                 聞書 かき人しらず