2014年 6月22日
母子寡婦福祉会より
表彰を受けたときの
きっこの 母子家庭子育て奮闘紀の作文
公開いたします。
娘18歳のBD 9月11日に公開したかったのですが
ちょうど1ケ月遅れましたが
10月11日
発表いたします。
私が、がんばったというより
本当に娘のほうが
より強くがんばってきてくれたと
思っていますので
本当にこの表彰は
娘にあげたいです。
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「よくがんばったね りかちゃん
ママ 約束守ったよ」
2008年の2月
私と娘の2人、母子家庭となって
約1年半後、二人に訪れた絶望の日々・・・。
2008年2/4自ら見つけ2/7診察を受け
「ほぼ100%乳癌です」と言われ
2/14、今の主治医から、すべての検査結果と
病気告知を受けた。
先生「左胸悪性腫瘍の乳癌です。
左リンパ節への転移があります。
左胸と左リンパ節の切除手術が必要です」
頭が・・・頭の中が・・・真っ白になった。
私は、思った。
「乳がんだけじゃない。
私・・・私・・・死ぬんだ・・・」
たった一人で病院へ行き
たった一人で告知を受け
たった一人で夜中じゅう
泣き明かす日々だった。
オペの恐怖、胸をなくす絶望
生きる時間にストップが来るかも知れぬ怯え。
何もかもがウソであってほしいと
どれほど願った事か。
2008年 2/18頃
わずか11歳
小学5年生の娘りかこに、
私の病気を告げた日です。
娘の目から
大きな大きな粒の涙が溢れ出した。
娘は泣きじゃくりながら私に
「ママ~いややぁ~
いややぁ~いややぁ~」
私も今でも眼に焼きついている・・・
ものすごく、とてつもなく・・・辛かった
しかし・・・ここは
涙を封印し
笑顔で娘に言って聞かせた。
「何泣いてんのん!!!
りかちゃんあほやなぁ!!!
ママは生きていくから手術受けるんやんかー!!!
約束する!!!
ママな、絶対死なへんから!!!」
娘「うん。わかった。
ほんまに、ママ・・・
絶対死なへん?
約束やで」
私「うん。約束する。
ママ絶対がんばる。
2人で一緒にがんばろな~!!!」
その日から、母子ともに
~元気ごっこ~ ~笑顔ごっこ~が
始まったのです。
大手術後、ゆっくりする間もなく
私の体を生かす為の過酷な治療が次々と
やってきた。
かつら購入、人生初の坊主頭、
人生初のかつら生活・・・
4回5回と足に突き刺す点滴の針・・・
ものすごく痛くて辛かった。
しかし、太い針を足の細い血管に
入れなくてはならない看護士さんたちは
もっと辛かっただろうと思います。
日々続く軽い吐き気、強い吐き気・・・
常に船酔い状態の気分の悪さ・・・
眼の奥が辛く、常に頭痛・・・
鏡を見ると、そこには
髪の毛の抜け落ちた
ヤマンバのような自分の顔・・・
崩れ落ち・・・泣き崩れ・・・
心折れっぱなしの日々が半年続いた。
その過酷はまだ続いた・・・。
引き続きの放射線治療
28回連続の放射線治療が始まった。
皮膚がヤケド状態、赤黒く腫れてる。
ピリピリと続くひどい痛みと熱さ。
抗がん剤の時よりも
ひどい頭痛にめまい。
帰りは車の中で1時間は休憩し休んでからでないと
運転は無理だった。
ひとりっきりの家の中で
ひとりっきりの車の中で
つぶやいてた
「死んだほうが・・・
楽ちゃうか?」
辛くて辛くて
悲しくて悲しくて
それでも一人で
たった一人で
通い続けたのです。
そんな、死にたいほど
辛く苦しい中
「行って来ます」
「ただいま」
「いただきます」
「ごちそうさま」
「おはよう」
「おやすみ」
なにげない普通の言葉を・・・
娘の姿を・・・
まだまだ
ずっとずっとずーーーーーーっと
聞いていたい、見ていたい
という願望がわいてきて
私はなにが何でも生きなきゃ!!!
そう思えたのは
やっぱり娘がいたからです。
私のからだを救ったのは治療・・・
私の心を支えたのは娘でした。
主治医の先生から
「まずは5年間無事だったら
ひとまず安心だね」
と、いわれていた。
その5年目の昨年!!!
たまたま受けた子宮がん検診で
ひっかかり
悪性一歩手前の細胞発見・・・
昨年3月に
子宮・卵巣・全てを摘出オペを受けました。
そのオペのおかげで・・・
乳癌治療の抗ホルモン注射もなくなり
投薬もなくなったのです。
乳癌治療すべて終了となりました。
そして 今年2月
ちゃんとガン保険へ加入もできました。
~生きていく奇跡~を
手にした私は
今、喜びの涙で一杯です。
「ねぇりかちゃん!!
ママ約束守ったよ!!
今も、これからも
ママは元気に
ずっとずっと生きていくからね!!
りかちゃん
本当によく頑張ったね
りかちゃん
本当にありがとね」
この表彰は
娘にあげたいとおもいます。
今日この日
このような素晴らしい場所へ
お招き頂きましたことを
心より深くお礼申し上げます。
母子家庭でがんばり
大病とも戦い続け
そんな中でも
一生懸命病気や障害を
乗り越えがんばる子供たちや
人々に
ボランティア活動を続けている私は
出会う全ての人々から
希望の光を
もらい続けているのです。
私を知るすべての方々へ
感謝の気持ちで一杯です。
普通に暮らし
普通に生きている今が
私は最高に幸せです。
枚方市在住
ボランティア団体
ミラクル倶楽部 代表
母子寡婦福祉会会員
松岡豊子
近い将来の夢
東日本大震災での被災地へ
ボランティア支援に
必ずいく事
ミラクル大変身イベントにて
笑顔の写真をたくさん
プレゼントしたいです。
私の生きる力
~子育てと
ミラクル倶楽部のボランティア活動~です
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以上・・・
長めの作文でございました。
来賓の枚方市長様
市議会議長様
社会福祉協議会理事長様
会場のほとんどの皆様を
泣かせてしまって
ごめんなさい
あたたかい
たくさんの拍手を
一生、忘れません・・・。
来年の
大阪府知事表彰へも
引き締まった気持ちで
伺いたいと思います。
6年目の今
元気だからこそ
ここで
発表できる自分がいます。
やりたいことに
全力でむかっていける自分がいます。
人をおもう気持ちが
自分に奇跡を起すのかも
しれません
たくさんの人たちの
心を救うことは出来なくても
たった一人でもいい
心 救いたい
そんな 一生懸命な
あったかい活動を
一生続けたいです
きっこヾ(゜∪゜★)ノ゛・:*:・