恋は盲目、パンチラはガン見〜Ryoji Harada〜

元は旅ブログ、海外行ったり、突然自転車で走り出したり、ちょっと自分でもなにすんのかわかりません。パルプンテ!

考えるな、揉め

2017-06-07 10:48:27 | 日記
現在は長野県大町市の簡易宿泊施設で生活をしている。

様々な人達と出会う。挨拶をして、握手をする。
顔を見るだけで嬉しくなってしまうような人もいれば、ああ、これを最後にこの人ともう一度握手をすることはないのかも知れないな、と思うような人もいる。

最近は何か得体の知れないモヤモヤが僕を取り囲んでいて、僕はその正体を考えて、とても疲弊していた。

好きなことをしなさいと言ったって、何が好きなのかもよくわからない、疲れているなら休みなさいと言われ、ぐっすり眠ったって翌朝には昨日と同じ陰鬱とした空気が僕の周りを取り囲む。

そろそろ、しんどいなぁ。

と思った頃に、同僚のネパール人が僕の隣に座る。

顔を見るなりニコッと笑って、何も言わない。

僕は、自然と彼の肩を揉む。
背中を揉む。
首を、頭を揉む。
大真面目に、揉む。

ネパールの床屋では髪を切った後、えげつないパワーのマッサージが待っていて、彼はそれが大好きなのだそう。

そうかそうか、と僕は彼の肩甲骨を力の限り押す。

リョージは手のマッサージを知っているかと、おもむろに僕の手をとる。

心にあるなんか硬いものが柔らかくなるのを感じる。

今度ちゃんと教えてあげるね、と言って彼は仕事に戻る。

ああ僕は誰かに、もとい誰かの優しさに触れたかったのだなと思う。

命は大事だ、お金は大事だ、好きなことがあるのは大事だ、なんてよくいうけれど。

そんなことはどうでもよくって僕は、好きな人に、大切な人に「あなたが大切だ」と言っていたいのだな、とそんなことを思った。

早い話が真面目に考えても仕方がないのだ。
どんなにふざけていても、理にかなっていなくても、思いついたことを真面目にやった方いい。

自分がちゃんと生きているのかなんて知らないけれど、そんなことよりも大切なのは目の前にいる人に好きだと伝えることなのだと思うし、もっと言えば嫌いな人に嫌いっていうことなのかも知れない。

真面目に考えた先にあるものは、考えて生まれた結果ばかりである。

真面目にやったその先にあるのは、得体の知れないワーオ!だったりするんである。

考えるより、やった方が楽しい。

そんなこと、もう100回くらい感じている気がするのだけれど、今更になって改めて、そんなことを思うのでした。

陰鬱とした気持ちが自分を取り囲んだ時は

・好きな人に(物理的に)触れる
・大切な人に好きだと言う
・真面目に考えるのではなく、真面目にやる

この3つが効果的である。

好きな人が見当たらない時は、
手当たり次第でいいんじゃないかと思う。

人に何かをする(与える)時、人は何かを貰うよりもずっと、ずっと大きな充実感を得るのだと思う。

再来週くらいから北海道へ行くことになりそうなので、もしよろしければ会いましょう!






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