日中の最高気温が25度を超え始めた。
騒ぐ胸から吹く風が、
夏の日差しで大きくなって
大人のページをめくっていく。
いつしか風は速くなって
瞬く間に僕らの自由時間が終わっていく、
そんなちっぽけな嘘。
久々に時間をかけてさっきまでもくもくと書いていた文章が、ボタン一つで消えていった。
書いた文章が消えて本当の意味でイライラしたことはない、イライラはしないのだが、多少もったいないとは思うので、せめてひと盛り上がりしたい一心でこのことを今書いている。
文章を自分で消去するたびに書いているが、消去直後でも同じ文章を書けることは二度とない。
良くなっているとか悪くなっているとかではない、感情には周期が色々あって、その小さな周期はものの数分で過ぎ去ってしまうから、同じ気持ちでいることがあまりないのだと思う。
鮭の大漁不漁も周期だし、氷期と間氷期も周期だし、帝国主義と共和制の流行りも周期だとおもう、貨幣経済も、情報社会も、個人主義も全体主義も人口増加も少子高齢化も周期だとおもっている。
今がたまたま、そうなだけなのではないか、極端な話、人を殺してはいけない、なんて思想も周期なんじゃないかと思っている。
ちなみに星のめぐりが〜、とか言うつもりは毛頭ない、星のめぐりなんてクソ食らえだ!
…言い過ぎた、星のめぐりについては知らないだけです、良いのかもしれない。(胡散臭いとは思っている)
何が言いたいかって、僕の書いた文章をとっとと返しやがれ!!!!!
(イラついてない)
今のくだりを通して消えた記事で何を書いていたのかはほとんど忘れた、人間の記憶なんて曖昧だ。
とはいえ、さしたる話題もないので前回記事の補足でもしておく。
あのとき何にイラついていたかって、きっと端的に、たいして仲良しでもないおっさんたちとキャンプしながら川下りなんてあんまり面白くないんじゃないか?
という簡単であろう予測が一切できなかった自分自身に苛立ったのではないだろうかと思っている。
大学生バックパッカーのように、行ったところをただ自慢してくるおじさんといて疲れたというのは事実だし、そのこと自体はあながち間違えていないのだけれど、ひとつ違っていたかもなと思う所が、そいつといるのが疲れたのではなくて、我慢しているのが疲れただけなんだと思う。
改めて僕は人間嫌いなのかなって思ったけれど、その直後の白老町でのイベントは楽しかった。
きっと人間が嫌いなのではない、我慢するのが嫌いなだけなんだと思う。
我慢をしなければ良いのだとおもった、「あなたの話は面白くない」とちゃんと言えればよかったのだと思う。
いや、それが言えたら苦労はしない、そんな気の強さを持っていたらこんなブログ書いていない気がする。
もっといえば事はそう単純なことではないのだと思う。
人間は社会を作る生き物なので、様々なしがらみの中で生きなくてはいけないのが世の常だと思う。
都会の喧騒としがらみに疲れた若者が田舎に癒しを求め引っ越した結果、田舎のほうがしがらみや監視の目が強いわ、噂は瞬く間に広がるわで疲弊しまくって結局街に帰ってきた、なんて話も聞いたことがある。
田舎のしがらみを逃れる為に都会にやってきた若者の子孫が、都会のしがらみに疲れて田舎を目指すのもなんだかおもしろい。
これも周期なのかもしれない。
(ちがうかもしれない)
自分で仕事を始めるとたまに仕事のアドバイスみたいなのをもらうことがある。
「これをしたほうが良いよ」
「あれは儲かるよ」
僕が毎日川を下ったり、収益化していないブログを10年以上書いている話をすると以下のようなアドバイスをいただく。
「10年後にはそれがいくらになるの?」
「早く収益化しないと!」
今日は書いた文章が消えて謎のセルフ免罪符モードなので乱暴な言い方をさせてもらう。
うるせぇ
僕の周りの環境なのか、世の中なのか、この国なのか、全世界なのかは不明だが、なんだかよくわからないけれどやってしまうこと、「そんなこといつまでやってるんだ?」と言われてしまうこと、に世間が厳しすぎるように思う。
いや、でも少しは優しくなってきているような気もするけれど。
とかく、謎のアドバイスが蔓延する傾向にある、それがうまいこと行く場合もあるが、それがありがた迷惑となる場合も少なくない、「そんなの無視すればいいじゃない」に関してはこのタイトルを最初から読み直してほしい、こちとらそんなことできたら最初から悩んでなんかいない。
アドバイスと当事者の不適合に関しては、おそらくゴールに違いにある。
アドバイス勢のゴールは大抵「収入の増加」である。
それに対するものが抽象的になるが「なんか、この方がいい感じになる気がする」である。
前者は言語化が可能で、後者は言語化ができない、社会的に市民権を得るのは前者となる場合が多い。
だが、この「なんかこの方がいい感じになる気がする」を侮ってはいけないような気がしている。
勘違いされそうなので書いておくのだけれど、収入の増加は大歓迎だし、利益を求め続けることを否定するつもりは一切ない。
僕だってなれるものならお金持ちになりたい。
ただ、稼げるからという理由で「なんかこの方がいい感じになる気がする」を潰して良いわけではない。
そんな気がするけれど、どうなんだろう。
わからないな。