うまさいと

お馬さんは好きですか?

長距離競走の復権はなるのか2。

2005-03-10 01:17:50 | 競馬
前回に引き続き、今回も長距離競走の衰退を止める方法について素人なりに考えてみたいと思う。


衰退している、とはどういったことなのだろうかと考えてみる。

よくよく考えれば、長距離路線と一口にいっても

1.三冠目である、日本でいう菊花賞
2.古馬の長距離路線


という二つのカテゴリーに分けることができる。というよりも、これまで一緒にして考えていた私が情けない。
とりあえず今回は1の三冠目にあたる長距離競走の現状について考えてみたいと思う。


前回、英国についてはSt. Leger S.(GB G1 T14f 132y:日本でいう菊花賞)に二冠馬が参戦しないという流れが強い、と書いた。この傾向は英国に限らず欧州では非常に顕著であり、Prix Royal Oak(FR G1 T3100m:仏セントレジャー)は79年から、Irish St. Leger(IRE G1 T14f:愛セントレジャー)は83年から、それぞれ3歳馬だけではなく、古馬にも開放されている。この窮状を見る限り、欧州の三冠路線というのは完全に「形骸化」していると考えても差し支えないであろう。古馬に開放することで、何とか格を保っていこうという趣旨なのだろうが、Vinnie Roeの4連覇などでそれなりに話題にもなっているIrish St. Legerの場合はまだしも、Prix Royal Oakの場合は一ヶ月前にPrix de l'Arc de Triomphe(FR G1 T2400m:凱旋門賞)があり、そこで通用しない長距離馬はその同日のPrix du Cadran(FR G1 T4000m:カドラン賞)に回る傾向がある。そしてそこからくるお馬さん達の草刈場と化している印象さえある。03,04年に2つのレースを連覇したWesternerがいるように、完全に「3歳馬のためのセントレジャー」としての機能を失っている(というよりも、フランス自体三冠という概念が元々あまり無い気配すらあるわけだが)。但し、Deutsches St. Leger(GER G2 T2800m:独セントレジャー)やSt.Leger Italiano(ITA Lis T2800m:伊セントレジャー)については、私はさっぱりわからない。現状を知っている方の情報を求む(といっても、独ネタだと殿下、それ以外だとLucky Boyさん辺りの降臨をまったりと願うのみなんだが。ところで、「殿下」って呼称は呼び捨てにはなっていない・・・ですよね?)。

他に比較的容易に考え得る国と言えば、アメリカやカナダが挙げられる。芝であるBreeders' S.(KAN Gd1 T2400m:カナダの三冠目)の距離短縮論が出ているのかということについては明るくないのでこれも触れないでおく。一方、ダートの話になるが、Belmont S.(USA G1 D12f:ベルモントS)の距離短縮論というのは盛んに叫ばれているようである。この辺り、同じダートの三冠目をもつアルゼンチンのGran Premio Nacional(ARG G1 D2500m)の辺りと関連して情報がないものだろうか。位置付けがどうなっているかに関しても、私は全くわからない(こちらはふてきさんの降臨をまつのみか)。

それでは日本はというと、一番最近の二冠馬である昨年のネオユニヴァースに関しては、迷うことなく菊花賞、つまり三冠路線を選んでいる。前回は89年にNashwanが英国二冠を達成しながらSt. Legerに向かわなかったことを書いたが、97年にDesert Kingが愛国二冠を達成した際も、Irish St. Legerには向かわず、Irish Champion S.(IRE G1 T10f:愛チャンピオンS)に向かっていることからも、少なくとも菊花賞は英国などの三冠路線におけるSt. Legerの様に「形骸化している」わけではなかろう。



逆に日本の状況を見て、欧州程ではないにせよ、三冠目の「形骸化」が言えるのかもしれないとも付け加えておく。これはつまり、「三冠」という付加価値を付けなかった場合、「菊花賞」という単体のレースとして見た時に、果たして挑戦するだけの価値があるレースなのだろうかという疑問に到達するということである。

これはもう、そのレース自体の魅力につながっていくわけだが、前回書いた様に、英国のSt. Legerはある程度の賞金があるにも関わらず、それでもメンバーが集まらない。日本はまだそこまではいっていない。しかし、一昨々年はシンボリクリスエス、昨年はキングカメハメハが菊花賞を回避したことを覚えている方は多いだろう。この二頭は二冠馬ではなかったから比較対象になるか微妙なのだが、もし二冠馬だったとしても、果たして菊花賞に挑戦したのだろうか。

ならば、逆に日本の菊花賞が有力馬を引き付けてやまない部分はどういった部分なのだろうか。英国と比べると、どういった部分が異なるのだろうか。英国の場合、大目標として掲げられる隣国のPrix de l'Arc de Triompheの存在がネックになる。しかし、日本にはそういった他国からの脅威は存在せず、競合するレースは自国の天皇賞・秋だけである。とすると、この天皇賞・秋にさえ三歳馬を奪われなければ、まず安泰であるといった結論が見い出せる。日本ならば「三歳馬にとって、どうやって天皇賞・秋よりも魅力的な単体としての菊花賞を演出できるか」といったところだろうか。そして、英国ならば「どうやってPrix de l'Arc de Triompheに負けない魅力をもつSt. Leger S.を演出するか」にかかっていることだろう。そしてこれをLadbrokes社が担当するのか。ふむ。

日本はある程度、伝統を重んじる国であり、その歴史や背景にそれなりの価値を見い出し、敬意を払う国である。三冠馬というものには特別な敬意を払うことは間違い無いし、三冠路線そのものに対しても格別の敬意を払っているように感じられる。外国からの競馬文化の輸入という面では、それなりのことをしているとは思うが、長距離路線の衰退という面に関してだけは、下手に輸入して欲しくはないというのが本音である。

あぁ、結局今回も現在の状況を説明しただけになってしまった。これはもう、長期連載の予感。

長期連載で見てくれる方がいるのかどうかは甚だ不安なわけだが、まぁ趣味としてひっそりと続けよう。

19 コメント

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なんとなく (senchou)
2005-03-10 01:41:39
さぁ、こんな時こそトラックバックだ。

とか

けしかけてみたり。

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Unknown (ろぜ)
2005-03-10 01:53:37
あ、けしかけられちゃった(笑)。

といっても、残念ながら私のスタンスである「この記事に関連するの書いたから見てよね~」って感じではないので、トラックバックはしない方向ですねぇ。ごめんなさい。



私個人の希望としては、そういった大御所の方々にも普段から巡回していただけるような内容のサイトを早く作ることですかねぇ。
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Unknown (ふてき)
2005-03-10 17:04:10
アルゼンチン三冠は一番最後にダービー(ナシオナル大

賞)が行なわれる上に、ダ1600、芝2000、ダ2500という

三冠の形態からしても、ここ距離短縮するってのは微妙

に考え難いんじゃないかと。(昔はパレルモ2400という

コース設定があったらしいんですが、最近は見聞きしな

いですし。。。)

ただこの競馬場も資金に余裕が出たら芝コースを造りた

いという話があるんで、そういう改修がらみで見直しさ

れる可能性はありそうです。



南米諸国の中でセントレジャー/菊花賞に似た性格を持

つ競走といえば

・サンパウロ四冠のコンサグラッサン大賞

・ペルー四冠のナシオナル大賞アウグストレギーア

あたりでしょうか。

前者は数年前に古馬に解放されましたけど、何故か一年

でまた三歳限定戦に戻ってます。

芝3000の競走なんですが、昨年は馬場が悪化してダート3000でやってました。

後者は長らく芝2800だったのですが、今年から2600に距

離が短縮されてますね。詳しい理由はわかりませんが。



ペルーの場合は3歳馬の海外流出がさほど多くないことも

あり有力馬の集まりも良いようですが、サンパウロの方

はちょっと厳しい近況ですね。最近はダービー馬がここ

に出てくること自体が稀になってます。ペリェグリニと

モロにバッティングする日程も大きな理由かと思います。
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Unknown (ろぜ)
2005-03-11 02:12:53
貴重な情報ありがとうございます。



ナシオナル大賞の距離短縮はいまのところはないわけですか。確かにダービーですもんねぇ。ということは、ベルモントSとの比較自体が間違っていた気も。うむむ。



カルロスペレグリーニ国際大賞(でよかったかな)とかぶってしまうのは厳しそうですね。そういえば、私はこのレースを「南米の最高峰のレース」と勝手に考えているんですが、その辺りの位置づけがどうなっているのでしょうか。



ペルーについては全然知らなかったです。なるほどなぁ。ブラジル(サンパウロジョッキークラブ)もペルーも四冠になるんですねぇ。知識不足でしたorz
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Unknown (ふてき)
2005-03-11 07:57:51
南米最高峰のレースは「ペリェグリニ」という

認識で構わないと思います。断然の伝統があり

ますから。ただ近年は遠征費の問題からか外国

からの参戦が減っており、ベストの顔触れ(残

留組の)からは程遠くなってる現状ですよね。

そういう意味では遠征費の一部負担が行なわれ

る「ラティノ」により可能性を感じることもで

きます。こっちは持ち回りですから、ホーム&

アウェイという意味でも彼らの性に合っている

と思われまするし。
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Unknown (ろぜ)
2005-03-11 10:04:55
「残留組」というのはアメリカ移籍していない、という意味なんでしょうかねぇ。ふてきさんのサイトを拝見していると、どれだけ北米に移籍するお馬さんが多いかというのがわかりますよね。



ラテンアメリカジョッキークラブ国際大賞は昨年復活していたんですね。もう休止じゃなくて廃止されたのかと思ってました。いかんなぁ。勉強不足です。アウェイで負けた次の年にホームで迎え撃つことができるなんてのは素敵ですよねぇ。色々な物語がそこから生まれそう。



そういう意味でも持ち回りで行われるこのレースは、非常に面白いですよね。そういえば、芝の年とダートの年がありますし。同じ様に、エストレージャス大賞も二つの競馬場で持ち回り(国内だけですけど)だし、しかも隔年で芝とダートが変わりますし。

アメリカもBCとかサンシャインミリオンズは競馬場が持ちまわり(後者は分割、になるのかな)ですけど、レースの条件までは変えない(Juvenileの2つは距離が変わるけど)ですよね。こういう「競馬場による馬場の変更」というところは、南米にしかない特徴的な傾向なのかなとも思います。他にもあるのかもしれませんが、私はわかんないです・・・。
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Unknown (ろぜ)
2005-03-11 10:07:13
ラテンアメリカジョッキークラブ国際大賞が復活したということは、経済不安がある程度解消されたということにつながるんですかねぇ。



そういえば「ラティノ」と言われてもすぐにはこのレースだと思い浮かびませんでしたorz
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Unknown (Lucky Boy)
2005-03-11 13:13:21
ラティノが中断されたのは別に経済が悪化したからではないのですよ。2000年のウィルス蔓延でブラジルでの開催が中止されたのを機に競走の存在意義が問われたというか。。。2001年の開催地を決定していなかったこともあり、そのまま中断となったのです。しかしマローニャス競馬場の再開に目処が付いたので、ラティノを復活しようという機運が高まりました。で、最初はマローニャスで再開記念の1つとしてラティノを開催するという話だったのですが、競馬場再開が大幅に延びたので、結局チリで復活開催が行われました。来年にマローニャスで開催することになっています。





カルロスペリェグリーニ大賞は南米で別格の存在であるには間違いないです。南米各国にとってラティノよりも遥かに欲しいタイトルです。ただ地元アルゼンチン勢の本気度もラティノよりは上なので、遠征費などを考えると出走を遠征を自重させているのも事実でしょう。またペリェグリーニ開催期間は諸々の国際会議も開催されるので、競走以外でも特別な意味を持っています。ラティノ復活が決められたのも、この時期に開催されたOSAFの会議です。





南米は国際交流がもっとも進んでいた地域の1つで、1958年に南米サラブレッド競馬機構(OSAF)が創設されるとOSAFは国際競馬サーキット企画、1961年より本格的に実施されました。



1月 ホセペドロラミレス大賞(ウルグアイ)

3月 ムニシパル大賞(ウルグアイ)

4月 チリ国際大賞(チリ)

5月 サンパウロ大賞(ブラジル)

5月 5月25日大賞(アルゼンチン)

6月 ペルージョッキークラブ大賞

8月 ブラジル大賞(ブラジル)

10月 シモンボリバール大賞(ベネズエラ)

11月 カルロスペリェグリーニ大賞(アルゼンチン)



上記の競走が国際競走に認定され、1960年代の南米競馬は非常に国際色豊かなものでしたしかし、南米経済の悪化が加速し、南米国際サーキットも10年足らずで終焉を迎えます。

1980年になり、ベネズエラJCの会長の提案で創設が決まったのがラティノ大賞です。個々の国で国際競走を開催するのが厳しいのなら、共同出資で持ち回りの国際競走を創設しようといった意図です。まぁ、提案者であったベネズエラが、現在では財政難でラティノ大賞に参加しなくなってしまったのは皮肉ですけど(^-^)



持ち回りの国際競走としては、共産圏国際競馬が世界で最初だと思います。1949年にチェコ、ポーランド、ハンガリーの3カ国による国際競馬として創設され、1953年にソ連や東ドイツも加わり共産圏国際競馬となりました。この国際競走は共産圏の崩壊と同じくして1990年に終わりを告げています。現在持ち回りで開催されている中欧ブリーダーズCはその後身であると言えなくもないですね。
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Unknown (ろぜ)
2005-03-12 00:58:15
ペリェグリーニはラティノよりも上なんですねぇ。しかも、ラティノは経済不安が理由ではなかったのですね・・・。



ペリェグリニ期間は国際会議が行われると。イメージとしては暮れの香港でハンデキャッパーの会議と同じ様なものかなぁ。



国際サーキットというのは随分と前から存在していたんですねぇ。WSRCとかは斬新な発想だと思っていたんですが、それよりもずっと以前からあったんですね。



そして現在のラティノの形に落ち着いたと。なるほど。



私は中欧の競馬については知識がさっぱりないですねぇ。共産圏の持ち回り競走というのも、やはり経済面や政治面での不安といったことから、終焉を迎えたのでしょうかね。



Lucky Boyさんが色々データを提供していらっしゃる競馬マニア向上委員会の中欧のページを見たりするんですが、難しい・・・。
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Unknown (有芝まはる(ry)
2005-03-13 23:53:33
もうブログの更新もサボって寝るかと思っていた私が来ましたよ。



 てな訳で、ドイツなんかの場合ですと、長距離というのは意外なことに伝統的にさほど重要視されてなかったのかもというか、バーデン大賞なんかも20世紀のかなり早い時期に距離を短縮されていますし、20世紀前半、つーか大戦間の基幹レースとして行われていたグラディアトレン・レネンが2800mだったというのが、かろうじて「長距離」を重視してる形跡なのかなと(これとてカップ・ディスタンスというにはちと短いですし)。で、実際にトリプルクラウンを取った馬が Konigsstuhl の1頭しかなく、恐らく「幻の3冠」クラスとして Alba(出走予定だったセントレジャー直前に事故死)を含めても、ドイツで「3冠」に絡む物語を持った馬なんてほとんどいなくて、結局そういう価値観自体が薄かったってのはあろうかと。

 で、現在の話をすると、やっぱりオイロパ賞とかバーデン大賞に主力は向かう訳で、今年なんかもハンガリーの遠征馬が普通に最有力で普通に勝つという塩梅で。



 ドイツのサラブレッド馬産の泰斗であるブルヒャルト・フォン・エッティンゲン御大も、自著ではサラブレッドのレースの理想としては、「早熟さを過剰に重視せず、かといって距離は長すぎず、アンジュレーションのある競馬場での選抜」みたいなことを書かれていたような記憶があります。
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