バラ肉色の生活

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東日本大震災 感動する記事紹介

2011年03月16日 | 東日本大震災
「使命感持って行く」=電力会社社員、福島へ-定年前に自ら志願

 福島第1原発の事故で、情報提供の遅れなど東京電力の対応に批判が集まる一方、最悪の事態を避けるため、危険を顧みず作業に当たる同社や協力会社の社員もいる。地方の電力会社に勤務する島根県の男性(59)は、定年を半年後に控えながら、志願して応援のため福島へ向かった。
 会社員の娘(27)によると、男性は約40年にわたり原発の運転に従事し、9月に定年退職する予定だった。事故発生を受け、会社が募集した約20人の応援派遣に応じた。
 男性は13日、「今の対応で原発の未来が変わる。使命感を持って行きたい」と家族に告げ、志願したことを明かした。話を聞いた娘は、家ではあまり話さず、頼りなく感じることもある父を誇りに思い、涙が出そうになったという。
 東京電力側の受け入れ体制が整った15日朝、男性は自宅をたった。特別なことにしたくないと考えた娘は見送りはせず、普段通りに出勤した。「最初は行ってほしくなかったが、もし何かあっても、自分で決めたことなら悔いはないと思った」と話し、無事の帰宅を祈る。
 男性の妻(58)は「彼は18歳の時からずっと原発の運転をしてきた。一番安全なものをやっているという自信があったんだと思う」と話す。出発を見送り、「現地の人に安心を与えるために、頑張ってきて」と声を掛けたという。(2011/03/16-05:16)
ソース元 時事ドットコム

(´;ω;`)ウッ…泣けます


米紙、原発作業員の献身伝える「勇敢に立ち向かう50人」
Last Defense at Troubled Reactors: 50 Japanese Workers


 【ニューヨーク共同】15日の米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は、高濃度の放射性物質が漏れた恐れのある福島第1原発で、炉心を冷却するため原子炉に海水を注入する作業を続けた人々の献身ぶりを「最後のとりでの50人」「放射線と火災に勇敢に立ち向かっている」と伝えた。

 記事は「何千トンもの放射性のちりが上空に飛んで自国の数百万人もの人々を危険にさらすことを防ぐため」の作業であることを詳しく説明した。

 さらに、対策に当たる作業員の放射線の被ばく線量限度が引き上げられたことに触れ「暗にしか示されていないが、犠牲的行為の拡大を求められている」と指摘。日本で仕事とは「命令への忠誠心を生み出し、炎のような献身を呼び起こすものだ」とも述べた。

 一方、東京電力が50人の「名前も、他のどんな情報も開示を拒否した」とし、50人をたたえる文脈の中で「彼らは顔を隠した無名の作業員たちだ」と表現した。
2011/03/16 16:24 【共同通信】

原文で日本紙に省かれた文の一部
「猛烈な放射能と漆黒の闇の中で防護服と酸素ボンベをつけて闘う50人の日本人作業員たち彼らは家族の反対にもかかわらず、火災を起こしてる原発内に自らの意思で残った英雄だ。彼らこそ日本の最後の希望の星だ。」
ソース元 47NEWS(よんななニュース)
原文元 The New York Times
Last Defense at Troubled Reactors: 50 Japanese Workers


英紙1面で「がんばれ日本」きっかけは芸人ブログ

 【ロンドン=橋本聡】がんばれ、日本。がんばれ、東北。大震災に見舞われた日本へのエールを英紙インディペンデント・オン・サンデー(13日付)が1面全面を使って掲載した。きっかけは宮城県でロケ中に被災した仙台市出身のお笑い芸人「サンドウィッチマン」の伊達みきおさん(36)のブログだった。

 同紙のジョン・マリン編集長(47)によると、掲載前日朝の編集会議で、デスクの一人が「ぼくの妻は日本人。感動的なブログを読んだと言っている」と、伊達さんのブログのことを話した。

 マリンさんは興味をもち、英訳させた。「私も共感しました。震災の悲惨さを伝えるのも大切だが、人々を勇気づけるメッセージの発信も新聞の役割では」。ブログをヒントに、エールと日の丸をあしらった図案を作らせた。

 でも、1面は新聞の顔だ。津波にえぐられた町や福島第一原発の爆発の写真を使うべきだとの意見も出て、編集部は激論になった。マリンさんは迷ったが、締め切り間際、「新聞の支えは読者と心を通わせることだ」と決断した。

 伊達さんは11日、宮城県気仙沼市の魚市場でロケ中に相方の富澤たけしさん(36)とともに被災、山に避難して津波から逃れた。翌日、岩手県一関市でブログを書いた。マリンさんらの目に留まったのは、こんなくだりだ。

 《全てのお店は閉まっています、信号もありません。でもね、ちゃんとお互い助け合って順番を譲ってあげたりしています、だから変な事故とか争いがありません。みんなスゴイです!

 戦後、俺たちのじいちゃんやばぁちゃんは日本を復活させた。世界には奇跡と言われた日本の復興。必ず復興します! 日本をナメるな! 東北をナメるな!》
2011年3月16日16時51分 ソース元 朝日新聞


世界各国で大使館などに市民が弔問に、ローマ法王は日本のために祈ろうと呼び掛けた
避難所に救援物資が到着
原発の近くに済む住民は自宅から退避。
日本の大地震と津波は被災地を壊滅させた。
人々は救えるものを運びだそうとしている。
死者は一万人を超える見通し。
ローマのサンピエテロ広場では、法王が日本のために祈ろうと呼び掛けた。
「みなさんにあいさつをおくります、日本を襲った災害の犠牲者のために祈りましょう。遺族に慰めがありますように、救助隊を励ましましょう。」

ベルリンの日本大使館では、ドイツ市民が花とロウソクをささげ、支援を申し出た。
モスクワの日本大使館にも弔問の市民が訪れた。
日本は歴史的災害への対応で苦闘している。
被災者の将来は不透明。100万人以上が水も電気もない状態に置かれている。
jp.reuters.com video※日本語字幕


日本の「静かな威厳」称賛 シンガポール紙

 東日本大震災で、シンガポールの英字紙ストレーツ・タイムズは16日、「静かなる威厳」と題した論説を掲載。危機的状況下でも礼儀と忍耐を忘れない日本人を称賛した。

 論説は「自然が引き起こした混乱に、秩序を保つことで挑んでいる」とし、“威厳”に満ちた日本人の対応を紹介した。

 損壊した民家から救い出される際、救助隊員に「不便」をかけたことを謝罪し、他の被災者を気遣った女性。無料で飲料を配布する自動販売機の所有者。空腹にもかかわらず、食料配給の長い列に整然と並ぶ人々-。

 2005年8月に米南部を襲ったハリケーン「カトリーナ」の際、強盗などが多発したことに言及した上で、一連の日本人の行動を「めったに遭遇することがない英雄的行為」と褒めたたえた。(共同)2011.3.16 18:16
ソース元 msn産経ニュース


日本「加油!」(頑張れ!)に燃える中国網民と対日外交

 3月11日午後、東北地方の太平洋沿岸で観測史上最大となるマグニチュード8.8(後に9)の
巨大地震と津波が発生すると、中国の中央電視台(中央テレビ局、CCTV)は素早く反応した。
 それを知ったのは、中国の知人や教え子から電話やメールが数多く来たからだ。(中略)

 ハッとして中国大陸のネット空間にアクセスした。
 するとどうだろう。 「日本加油(ジャー・ユウ)!」(日本頑張れ!)のエールがあふれているではないか。
 もちろん「鉄血社区」(社区:コミュニティ)のような反日色が濃厚なサイトでは
「実に素晴らしい! 10級くらいの地震が東京を襲うともっといいのに」といった悪意に満ちたものがないではない。
それはどの時代でも、どの国でもあることだろう。
注目すべきは、「日本加油!」という書き込みの数がそれらをはるかに凌駕していることだ。

 3月12日で以下のようなものがある。
●その昔、確かに日本は戦争を仕掛けてきた。しかし中国の(四川)地震の時には真っ先に駆けつけてくれたではないか。
今度は日本で大地震があったというのに、無責任な書き込みをして、気分がいいのか。
●そういうことをする者は人間ではない。
●もし中日戦争が起きたら私は鉄砲をかついで最前線で闘う。しかし、もし日本人民が災難に遭ったら、私は担架をかついで、やはり最前線で助ける。
●いいぞ! その通りだ! 中国人はまさにそういう気概を持たなくちゃ。
●私は日本の民衆の精神を信じる。頑張れ、日本!
●頑張れ日本! どうか踏ん張ってくれ!
●10万人の援助隊を組んで日本に派遣することを強烈に提案する!
●中国は多くの献金をすべきだ。
●(地震で)被害を受けた人々に哀悼の意を表し、生き残った人々が強く頑張ってくれることを祈る。
●家屋の耐震能力のなんと高いこと。
●それにしても、原発はやはり安全じゃないねぇ。
●中国の小学校は(四川地震において)真っ先に倒壊した。でも日本では小学校が避難所になる。
 こういった書き込みが何十万、何百万と続く。
ソース元 日経ビジネスオンライン


ガンジスのほとりで 大量のお見舞いと激励

 東日本大震災が発生してから数多くのお見舞いと激励の言葉をインドの知人、友人から受け取っている。なかには最近、名刺交換をしたばかりの人もいて、電話をもらったときは失礼ながら誰なのか思い出せないこともあったが、そういう人たちでさえ連絡をくれることに驚きを覚えている。また、インド人がここまで日本に思いをはせてくれることに感動した。
 インドでこうした体験をしているのは私だけでない。ほかの日本人に聞いたら、日本にいる家族の安否の問い合わせや、お見舞いの言葉をたくさん受け取っていると言っていた。インド以外の海外で暮らす日本人も、きっと同じような体験をしていることだろう。
 電話、電子メール、携帯メッセージ、フェイスブック。あらゆる情報伝達手段を通じて私に伝えられるのは、インドにいる彼ら、彼女らが日本で起きた震災に衝撃を受け、悲嘆に暮れていることだ。その言葉や文面に儀礼的な雰囲気はない。
 「支援してくれる日本が苦しむ姿を見るのは胸が痛い。できることがあったら何でも言ってほしい」
 「日本は必ず再生を果たすと信じている」
 だが、どの言葉よりも多かったのは、「亡くなられた方のご冥福をお祈りします」だった。(田北真樹子)
2011.3.14 03:01
ソース元 msn産経


東日本大震災:「隣国・日本」ロシアが最大級の支援へ
 【モスクワ田中洋之】ロシアは最近、メドベージェフ大統領はじめ政府高官が北方領土を相次ぎ訪問するなど強硬な対日外交を展開していたが、東日本大震災では人道的な観点から「隣国・日本」への最大級の支援策を打ち出している。

 プーチン首相は12日、原発停止で電力供給不足が見込まれる日本に対し、極東サハリン沖の石油・天然ガス開発事業「サハリン2」で生産される液化天然ガス(LNG)など発電用資源の供給量を増やすよう関係閣僚らに指示した。セチン副首相によると、日本から既に資源供給増の要請が来ており、ロシアとしては最大15万トンのLNGを早急に供給することが可能で、石炭についても300万~400万トンの追加供給を検討する。さらに海底ケーブル経由で電力を日本に送ることもできるという。

 プーチン首相は「日本は親しい隣国。(北方領土など)さまざまな問題はあるが、我々は信頼できるパートナーであるべきで、エネルギー資源の供給支援に全力を尽くす必要がある」と述べた。メドベージェフ大統領も12日、短文投稿サイト「ツイッター」で「隣国を支援するよう政府に指示した」と書き込んだ。非常事態省は13日、救助隊2班(計約75人)の日本派遣を決定。国営原子力企業ロスアトムも原発事故の技術支援に乗り出した。

 北方領土では、94年の北海道東方沖地震で四島が被災した際に日本から支援を受けたこともあり、住民の間で義援金を日本に送る動きが出ている。また政権与党「統一ロシア」の青年組織「若き親衛隊」は、代表が15日に国後島入りしてロシア国旗を設置する示威行動を計画していたが、中止を決めた。

 日露関係筋は「両国関係が冷え込む中、プーチン首相の発言は久しぶりに前向きなメッセージ。関係改善につながることを期待したい」と話している。
ソース元 毎日jp


英国とドイツの国際救援チームが日本へ

 東日本大地震で、イギリスとドイツから12日、国際救援チームが日本に向けて出発した。

 イギリス中部・マンチェスター空港からは、消防の捜索・救援チームと医療支援チーム計63人と救助犬2頭が出発した。捜索・救援チームは、ニュージーランド地震の救援から戻ったばかりで、ほかにハイチやインドネシアなど世界の被災地で捜索の経験を積んでいる。被災地に到着次第、生存者の捜索と救助にあたる予定。

 ドイツからは、救助活動の専門家ら約40人で構成するチームが出発した。被災地での経験が豊富な専門家が含まれているという。ドイツの救助チームは成田空港にまもなく到着する予定。
2011年3月13日8:13
ソース元 日テレNEWS24


豪州の特殊捜索救援隊派遣へ 世界中で義援活動拡大

東日本大震災への各国の支援の動きは12日も続き、外務省によると、同日午後4時までに米国やドイツ、韓国、ロシア、ニュージーランドなど56カ国・地域から支援の申し入れがあった。

 オーストラリアのラッド外相は12日に記者会見し、二つの州の特殊捜索救援隊と捜索犬のチームを同日夜にも空軍機で派遣すると表明。地元メディアによると、ニューサウスウェールズ州からは、消防救助隊員や警察官、構造物専門の技術者、医療従事者など計76人で構成される救援チームが派遣される。

 同州の救援チームは、先月22日に発生したニュージーランド南部地震でも被災地に駆けつけた。

 米国際開発局(USAID)は12日、計約150人の捜索・救援チームを派遣。同日、記者会見したルース駐日米大使は、日本政府の要請に基づいて原子力空母を本州に向かわせ、在沖縄海兵隊を被災地支援に出動させるなどの米政府の支援策も説明し、「大切な同盟国である日本が困難を乗り越えられるよう支えていきたい」と述べた。

 シンガポールの救援チームは12日午後、成田空港に到着した。福島県の被災地で活動する予定だ。

 見舞金も相次いでいる。タイ政府は11日、日本政府に500万バーツ(約1350万円)の見舞金を出すことを決定。台湾外交部(外務省)は12日、日本政府への支援として約330万米ドルを提供すると発表した。前日に30万米ドルの支援を公表していたが、災害の大きさを踏まえて引き上げた。

 中国の梁光烈国防相は11日、北沢俊美防衛相にお見舞いの電報を送り、支援を申し出た。新華社通信が伝えた。中国は温家宝首相らもすでに日本側に電報を出し、必要な支援をしたいと伝えている。

 日本に多くの自国民が住むブラジルのルセフ大統領は11日、菅直人首相あてに「亡くなった方々へお悔やみを申し上げる。日本が早期に復興することを信じている」などとメッセージを送った。

 政府以外にも、国際的なNPOなどが義援金の呼びかけを始めており、その数はどんどん増えている。
2011/3/12/22:39
ソース元 朝日新聞


海外支援隊、続々と来日=6カ国以上、米など大船渡入り

東日本大震災の被災者支援のため、海外からの援助隊が13日、続々と来日した。米国からは同日午後、国際開発局(USAID)の救助隊員ら約150人がチャーター機で青森県の三沢空港に到着。被害の大きい岩手県大船渡市に向かった。救助隊は2チームでそれぞれ救助犬6頭を連れており、東京消防庁の指揮下で捜索・救助活動に当たる。
 中国、ドイツ、スイスのレスキュー隊も同日昼すぎに来日。羽田に着いた中国隊(15人)は大船渡市、成田着のドイツ隊(43人、犬3頭)とスイス隊(27人、犬9頭)は安否不明者の多い宮城県南三陸町を目指した。
 英国隊(63人、犬2頭)も13日夜に三沢空港に到着。14日から米国隊とともに活動する。100人以上から成るフランス隊も同日中に来日し、被災地入りを急ぐ。メキシコ隊(12人、犬6頭)は同日午前に成田空港に着き、宮城県入りする予定だ。
 岩手県によると、トルコ隊(163人)も同県入りする。(2011/03/13-23:45)
ソース元 時事ドットコム


イラン、原発事故対応チーム派遣も
 イラン赤新月社(赤十字社に相当)の捜索救援部門の責任者は12日、東日本大震災で東京電力の福島第1原発と第2原発に影響が出たことを受け、「日本赤十字社から要請があれば、原発の事故に対応できるチームを派遣する準備がある」と話した。国営イラン通信が報じた。
 12日付のイラン各紙は1面トップなどで「日本史上最大の地震」と大きく報じた。地質学者アカシェ氏はメヘル通信に対し「首都テヘランで同じ規模の地震が起きたら、完全に壊滅し、何も残らないだろう」と話した。
 イランでは2003年、南東部バムでマグニチュード(M)6級の直下型地震が起き、3万人以上が死亡した。(共同)


岩手でシー・シェパードが震災・津波に遭遇…「日本人は親切だった」
 環境保護団体を標榜(ひょうぼう)するシー・シェパードのメンバー6人が11日、岩手県の三陸海岸にある大槌町で、地震と津波に遭遇していたことが分かった。「イルカ保護のため」として、同地を訪れていた。6人全員が無事だった。リーダーのスコット・ウェスト氏は手記を発表し、甚大な被害に驚き、心を痛めると同時に、自分たちに向けられた「日本人の親切さと温かさ」を強調した。

  津波が押し寄せた時、メンバーらは、イルカ処理施設を見ることができる高台にいた。そのため、巨大な津波が街を破壊する様子を目の当たりにした。夕方になり、残骸(ざんがい)の上で漂流する女性が助けを求めている悲鳴を聞き、ロープを投げるなどしたが届かず、道路に出て消防車を呼んだ。消防隊員が救出しようとしたが成功せず、女性が乗る残骸は海の方にゆっくりと流されていった。あたりは暗くなり、女性の声も聞こえなくなった。ウェスト氏は「ショックだった。信じられなかった」とつづった。

  11日夜は、メンバーが乗ってきた自動車の中で過ごした。外気はセ氏0度程度に冷え込んだが、ガソリンが十分にあったので、凍えることはなかったという。夜明けごろに山火事が発生し、人々が逃げてきた。周囲の道路は自動車が走行できる状態ではなかったので、徒歩で脱出した。その後、安全な内陸部に向かうことにしたが、警察官に事情を話したところ、遠野市にあるホテルを手配してくれた。約50キロメートルの道のりだったが、歩くしかなかった。大槌町の市街地は壊滅状態で、レンタカーを利用することも、不可能だったという。

  すると、住民男性のひとりが、遠野市に向かう自動車2台を手配してくれた。運転してくれたのは、経営していた商店が津波で流されてしまうなど、「すべてを失った人だった」という。ウェスト氏は「この日、われわれに向けられた親切と寛容さを、書きつくすことはできない」、「日本の人々は暖かくて親切だと、これまで以上に確信することになった」と記した。

  ただし、クジラやイルカ漁に反対する立場は変わらず、「イルカなどの虐殺をやめれば、日本は海洋保護のリーダーになる可能性が大いにあるのだが」との考えを示した。(編集担当:如月隼人)
2011/03/16 13:03
ソース元 サーチナ


「次は助ける番」 津波のまれ生還の医師

 地震による津波で建物の屋上に取り残され、ヘリコプターで救助された医師が避難所で救護に奮闘している。中心部が壊滅した岩手県大槌町の医師植田俊郎さん(56)。「大丈夫だよ、頑張ろうなあ」「ありがとうな、先生」。避難所の一角に、父親の代から50年以上続く町の医院の「診察室」があった。

 大槌町では津波到来時、町役場で対策会議をしていた町長を含む職員らが行方不明になった。植田さんの医院は役場にほど近い場所にあり、4階建ての3階部分まで一気に津波にのみ込まれ、周囲の民家はあっという間に流されていった。

 植田さんや看護師ら18人は屋上に逃げ、昼間は必死に手を振り助けを待った。12日昼、自衛隊のヘリに救助され、ヘリポートとなった野球場に隣接する避難所にたどり着くと、休むこともなくすぐ救護に当たった。

 植田さんらは逃げる時、聴診器と血圧計が入った往診用カバンや自動体外式除細動器(AED)、ガーゼを一つずつ抱えた。「うちの家族は全員無事に助けられたから、次は助ける番。医者だから」。電気、水道、ガスなどが復旧していない中、夜はランプやろうそくが頼り。苦難をものともしない笑顔をみせた。

 避難所に身を寄せる約400人の6割が65歳以上の高齢者。懸念されるのは、衛生状態の悪さからまん延するかもしれないノロウイルスだ。「高齢者が多いので感染すれば脱水症状で命にかかわる」と植田さん。薬も降圧剤や胃薬、鎮痛剤と限られた種類で数も少ないのが現状だ。

 「町には当分戻れない。まだこれからが正念場」。気を引き締めた。 (小川慎一)
ソース元 中日新聞


<東日本大地震>「日本はある」…惨事でも配慮忘れぬ文化に世界が驚いた
(1)待避所の譲歩 うどん10食、50人が「お先にどうぞ」
(2)人のせいにしない 恨んだり抗議する姿はテレビで見られず
(3)災害で手を取り合う 議員ら政争中断、作業服着て現場へ
(4)落ち着き冷静 日本全域で略奪報告1件もない
(5)他人をまず考える 「自分が泣けばもっと大きな被害者に迷惑かかる」
#「お先にどうそ」「いえ、まだ大丈夫です」

マグニチュード9.0の大地震と10メートルを越える津波が東日本を襲った後の11日午後6時、秋田県秋田市のグランティア秋田ホテル。停電で暗黒に変わったホテルのロビーでは奇異な場面が演出された。

ホテル側が、「電気が来るまで宿泊客を受け入れられない」と案内すると、すぐにロビーに集まっていた宿泊予約客50人余りが静かに列を作り始めた。誰も何も言わないのに老弱者らを前に入れた。暗黒の中に一筋の列ができた。順番を争う姿は一切なかった。しばらくしてホテル側が、「停電で夕食を提供できない」として緊急用にうどん10皿を持ってきた時だ。うどんに向かって駆け寄るどころか、誰もが他の客の空腹を心配して後に後にうどんを回す“譲歩のリレー”が続いた。被害が最も大きかった宮城県・岩手県をはじめ、日本全域で人のない商店で略奪行為があったというニュースはまだ1件もない。

#宮城県北東部に位置する南三陸沿岸地域。集落の大部分が消え、火災で黒く燃えた森の跡だけが残っている。津波で陸地に打ち上げられた船舶は船尾を空に向け逆さまに地面に打ち込まれている。今回の地震で最大被害地域のここでは、“行方不明者1万人”といううわさまで出回る。しかし大声や怨みの声は聞こえない。避難所に集まった100人余りの住民らは日本のメディアとのインタビューでも低い声で、「早く復旧するよう願うだけ」としながら“明日”を話す。誰のせいにもしない。足りない水と毛布を分け合ってお互いを慰める感動的な場面が電波に乗っている。

日本赤十字社組織推進部の白田課長は13日、「個人と企業から寄付と救護物資が殺到している」と話した。政府に向かっていつも吠えていた野党議員らも作業服に着替え国を救うために裸足で出てきた。危機の際に手を取り合う共同体意識は日本社会の底力だ。

韓国で災害報道をする時に犠牲者を取材するのは普通だ。遺体が安置された葬儀室と病院の姿が時々刻々と現れる。しかし日本の大地震報道で日本メディアは違った。津波で家屋と車両が押し流される場面がテレビにしばしば映るが、どのチャンネルでも津波に巻きこまれる人の姿は見られない。“死んだ人もこの世に残る”という日本人特有の死生観のためだが、泣き叫んだりしくしく泣く姿もなかなか画面で見るのは難しい。テレビ朝日のある関係者は、「災害予防のための目的の他には一般市民に大きな衝撃を与える場面は最大限控えるというのが災害報道の暗黙的ルール」と話した。11日に地震が発生した後、津波警報が解除された13日明け方まで、すべてのテレビ番組の司会者はヘルメットをかぶっていた。このように地震の規模や被害の規模とは異なり、日本は恐ろしいほどに冷静で落ち着いていた。理由があった。

例えば東京副都心の新宿に位置した四谷交差点にある消防署。12階建ての建物の10階の外壁には目立つ線が引かれている。この線は地上から高さ30メートルを知らせる表示だ。そのそばには、「この高さは1993年の北海道南西部地震で奥尻島を襲った津波の高さ」という説明がついている。津波というものはいつでも自分に起こりうる問題だということを認識させ、普段の準備が必須ということを知らせるためだ。

日本人は粘り強く一貫した災害対処教育を幼稚園の時から受ける。机の横のフックにはいつも災害に備えて頭にかぶる防災ずきんがかけられている。地震が発生すれば「防災ずきん着用→机の下に待避→運動場に待避→秩序確保」まで目を閉じてもできるほどだ。徹底した災害予防教育は小学校入学後に初めての授業で習う「迷惑をかけるな」という日本固有の精神価値とともに、大型災害に落ち着いて対応するようにする秘訣だ。ここには自身に訪れた境遇を宿命として受け入れる日本人の特性も作用する。

災害にあった日本人が泣き叫ぶことがほとんどないのも、「自分がそうした行動をすれば自分よりも大きな被害にあった人たちに迷惑になる」という極度の配慮精神のためだ。災害現場で見た日本の姿。それは「日本はある」だった。
ソース元 中央日報

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