原題: IRANIAN COOKBOOK
監督: モハマド・シルワーニ
観賞劇場: 岩波ホール
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タイトルからして当然イラン料理はたくさん出てくるし、それを作る女たちのキッチンを中継する形でストーリーは進む。
といっても本作、日本でもすっかり定着したような「美味しいご飯を、お洒落な空間で、仲のいい家族と召し上がれ」系の、まるで料理と映画がコラボしてハートウォーミングでめでたしめでたしで終わるような作品では断じてない。
むしろそういった、料理に対しての幻影だの甘えだのといったものとは距離を置き、しまいには根こそぎ吹き飛ばすような作風となっている。
女たちの自宅のキッチンで、それぞれ料理をする。しかし単に料理だけをしているのではない。調理の最中に女たちが発する言葉こそが本作の本質である。
その言葉の端々からは実に多様な問題が浮かび上がってくる。
彼女たちはイランにおける女性の地位の低さを嘆き、いびられる嫁は愚痴り、夫への不満をぶちまける。中には嬉々として調理をする者もいるが、料理のことばかり話している人の本音は窺えない。それよりも文句ばかり言っている女性の方が実情を知るには都合がいいし、正直話自体が面白い。
そしてそんな彼女たちが一様に感じている漠然とした不満、それはイランの男社会に向けられたものがほとんどだった。
午前中から調理を始めたら後片付けが終わるのが夕方だったり、とにかくイラン女性たちは調理に時間をかける。何種類も手の込んだ料理を作らなくてはいけないという暗黙の了解にも似た風習。
そしてその料理は手作りでなくてはいけない。間違っても缶詰だのレトルトだのは使えないというしきたりが彼女たちを苦しめる。仕事をしていようが専業主婦だろうが関係なく昔の習慣がはびこるイラン社会において、これはかなりの重労働でもあり不公平感を抱えざるを得ない。
そしてそんな女性たちの努力の多くは評価もされず、報われることはない。やって当たり前、やらなければ離婚だのと、日本の主婦が聞いたなら間違いなく噴飯ものの証言が並ぶ。
「イランの男たちはえばりたいから」と女は言う。確かにそういう傾向も見て取れる。
4~5歳くらいの男の双子を育てながら大学に通う女性が、子どもたちに配膳を手伝ってと言っても、彼らは親の手伝いをせず微動だにしない姿が印象的だった。かくして女性を粗末にする立派なイラン男性が出来上がって行くのだろうか。
こんなに小さいときから「男は家事は何もしなくてもよい」と刷り込まれている姿を見ると、共存という言葉の虚しさが沁みてくる。
たぶんだけど、女たちは料理そのものは嫌いではないのだろう。しかしその労力が顧みられず、男よりも一段低いものとして扱われることが常に嫌なのだ。
せっかくの豪華な料理を、その調理時間の何十分の一の短時間で一斉に男たちがガツガツ食い荒らすのを見ているだけでも、自分のやってきたことが徒労に思えて仕方がないのだろう。そして後片付けも常に女たちの仕事、一時も休めない。これを三食繰り返すことは、長年に渡るとなるとかなりの苦労だろう。
料理、子育て、伴侶の世話、大家族に仕える、それだけが女の仕事と本気で思いこんでいる男たちに対し、女を所有物としてしか扱わないのなら、台所だけは絶対的な聖域として男には立ち入らせない。
その代わり、そんな空威張りな男たちへの恨みつらみをスパイスに込めて、女たちは料理を作る。その苦しみや悲しみは、そのあとの晩餐と共に霧消したように見えても、また次の日が来れば新しく不満の種となってしっかりと蓄積されていく。
この作品の一番の見どころは、豪華な料理やイラン社会の不条理さそのものではなく、最後に淡々と流れる後日談かも知れない。
彼女たちは、言いっぱなしでおとなしく引っこんでいるだけの女性たちではないのだ。その証拠に、昔姑にいびられた女性が年月を経て姑にちらちらと仕返しなどしているではないか。
しかしこの後日談は見事であった。短い言葉ながらも的確に反逆する女性たち。社会の中で虐げられていても黙ってやられはしないという芯の強さが窺える。
それぞれの決断の先に待っているものは、後悔か、諦めか、それとも高らかに幸せをつかんで行くのか。たくましく生きる彼女たちにエールを送りたくなる。
★★★★☆ 4.5/5点
DVDになるといいな。
それにしてもすごい映画の数ですね。
でもこれよかった!
奥が深い作品です。
今月はかなりな本数見てしまいましたよ・・・ w