いろんな気持ちが今心にあって、なんだか素敵そうだから、文字にしてここに書きたい。
こういうときはだいたい、文字にしておくとのちのちそれに助けられたりするのだ。
金曜日、スペイン語の生徒(といってもおじさん駐在員)が日本に帰任になって、最後の日だったのでお別れの挨拶に来てくれた。
おじさんだけど、全然おじさんぽくなくて、兄貴的存在で、授業中はいつも人生のこととか仕事のこと、いろんなこと話せる人で、ほんと帰任になって寂しい。
最後に「メキシコ風に」とハグしてくれて、そういうところも大好き!笑
普通の日本人のおっさんなら絶対やだけど、その人はオープンな性格で、全然嫌じゃない笑
少し話しして、教室出ていったら途端になんか泣きそうになった。
なんで話してるとき泣きそうにならなかったのだろう。と不思議に思った。
ここ最近で、出会いや別れをたくさん経験しているような気がする。
出会った途端に、別れへのカウントダウンが始まっているの?
それでもそれを、受け入れるしかない。
人との関係はなるようになるまま受け入れるのが、一番いいのだ。それを、alexとの別れのときに学んだ。
学んだからそれでいいのだ。そして紆余曲折あったけど、わたしは今幸せなのだから。
3月9日には、日本語の授業でレミオロメンの「3月9日」を流した。
歌詞を穴埋めする授業はよくやるけど、この歌は比喩的で訳すのは本当に難しい。
そして同時に、とてもきれいな日本語だなぁと気づいた。
【 流れる季節の真ん中で ふと 日の長さを感じます せわしく過ぎる日々の中に わたしとあなたで夢を描く 】
素晴らしいね。
とくに出だしの部分。
流れる季節の真ん中で。
この響きと言葉の美しさ、語呂の良さ、
なかなか生まれないきれいな日本語でしょう。
違うクラスでも流したいきれいな日本語。
新しく好きな曲にも出会っている。
好きな人のことを思う。
遠くにいるけど、毎日一日中話している彼のことを、わたしは好きなのか?
別に彼氏になったり、屁理屈をこねなくていいなら、やっぱりドキドキするから好きなのだろう。
素敵な歌を見つけたら、やっぱりシェアしたいと思うのだ。
今は今のこの感覚を、100%楽しんでいたいだけだ。
最近毎週日曜日一緒に映画を観ている。
と言っても遠距離で。
家でそれぞれ同じ映画を同じ時間に観ている。
そういうのが楽しいのだ。
昨日の夜、突然電話がかかってきた。
声が聞きたいとか。
わたしも突然電話したりする。
おやすみを言いたかったとか。
そういうのが今は、楽しいのだ。
恋愛は、そういうことだけでいい。
それ以上求めるからややこしくなる。
「今日はどうしてメール来ないの」とか
「忙しくて会ってくれない」とか
めんどくさいことを始めるのはいつもわたしだった。
今近くにいたら、確実に恋人同士になっているだろう。
責任なんてなくていいのだ。
義務なんて、恋愛にいらない。
誰かに保証を求めたりしない。誰か他人に自分の幸せは委ねられない。
今は何にもいらない。
これだけでいい。
楽しく話して、妄想して、いつか会えたらまた楽しく過ごして、
2人でそのときしたいことして、それだけでいいじゃないか。
彼のくれたリハビリで、わたしの心はだいぶ落ち着いた。
これでいいのだ。今はわたしは満足。
彼氏がいたときより、ずっとずっと楽しい。というかもうあの頃を、思い出せなくて。
でもそれでいいのだと思う。
わたしが生んだ苦しみで、わたしがもがき、出した答えがこれだったのだから。
そのために彼がいてくれたのだと、
だから結局恋愛なんて、自作自演の自己満足なのだ。
恋愛でその人を手に入れることなんてできない。
手に入れることができるのは、「自分」だけ。
3月11日のことも書きたかったけど
またにしよう。
こういうときはだいたい、文字にしておくとのちのちそれに助けられたりするのだ。
金曜日、スペイン語の生徒(といってもおじさん駐在員)が日本に帰任になって、最後の日だったのでお別れの挨拶に来てくれた。
おじさんだけど、全然おじさんぽくなくて、兄貴的存在で、授業中はいつも人生のこととか仕事のこと、いろんなこと話せる人で、ほんと帰任になって寂しい。
最後に「メキシコ風に」とハグしてくれて、そういうところも大好き!笑
普通の日本人のおっさんなら絶対やだけど、その人はオープンな性格で、全然嫌じゃない笑
少し話しして、教室出ていったら途端になんか泣きそうになった。
なんで話してるとき泣きそうにならなかったのだろう。と不思議に思った。
ここ最近で、出会いや別れをたくさん経験しているような気がする。
出会った途端に、別れへのカウントダウンが始まっているの?
それでもそれを、受け入れるしかない。
人との関係はなるようになるまま受け入れるのが、一番いいのだ。それを、alexとの別れのときに学んだ。
学んだからそれでいいのだ。そして紆余曲折あったけど、わたしは今幸せなのだから。
3月9日には、日本語の授業でレミオロメンの「3月9日」を流した。
歌詞を穴埋めする授業はよくやるけど、この歌は比喩的で訳すのは本当に難しい。
そして同時に、とてもきれいな日本語だなぁと気づいた。
【 流れる季節の真ん中で ふと 日の長さを感じます せわしく過ぎる日々の中に わたしとあなたで夢を描く 】
素晴らしいね。
とくに出だしの部分。
流れる季節の真ん中で。
この響きと言葉の美しさ、語呂の良さ、
なかなか生まれないきれいな日本語でしょう。
違うクラスでも流したいきれいな日本語。
新しく好きな曲にも出会っている。
好きな人のことを思う。
遠くにいるけど、毎日一日中話している彼のことを、わたしは好きなのか?
別に彼氏になったり、屁理屈をこねなくていいなら、やっぱりドキドキするから好きなのだろう。
素敵な歌を見つけたら、やっぱりシェアしたいと思うのだ。
今は今のこの感覚を、100%楽しんでいたいだけだ。
最近毎週日曜日一緒に映画を観ている。
と言っても遠距離で。
家でそれぞれ同じ映画を同じ時間に観ている。
そういうのが楽しいのだ。
昨日の夜、突然電話がかかってきた。
声が聞きたいとか。
わたしも突然電話したりする。
おやすみを言いたかったとか。
そういうのが今は、楽しいのだ。
恋愛は、そういうことだけでいい。
それ以上求めるからややこしくなる。
「今日はどうしてメール来ないの」とか
「忙しくて会ってくれない」とか
めんどくさいことを始めるのはいつもわたしだった。
今近くにいたら、確実に恋人同士になっているだろう。
責任なんてなくていいのだ。
義務なんて、恋愛にいらない。
誰かに保証を求めたりしない。誰か他人に自分の幸せは委ねられない。
今は何にもいらない。
これだけでいい。
楽しく話して、妄想して、いつか会えたらまた楽しく過ごして、
2人でそのときしたいことして、それだけでいいじゃないか。
彼のくれたリハビリで、わたしの心はだいぶ落ち着いた。
これでいいのだ。今はわたしは満足。
彼氏がいたときより、ずっとずっと楽しい。というかもうあの頃を、思い出せなくて。
でもそれでいいのだと思う。
わたしが生んだ苦しみで、わたしがもがき、出した答えがこれだったのだから。
そのために彼がいてくれたのだと、
だから結局恋愛なんて、自作自演の自己満足なのだ。
恋愛でその人を手に入れることなんてできない。
手に入れることができるのは、「自分」だけ。
3月11日のことも書きたかったけど
またにしよう。