読書メモ『江戸俳画紀行ー蕪村の花見、一茶の正月』
(磯辺勝 中公新書 2008年1月)
江戸時代の俳人二十名余について、俳画を語り、その句を語り、その実のびやかな江戸の人たちやその世界を描き出している、楽しきエッセイである。これを読むと子規以降の近代俳句は、もちろんのこと芭蕉の世界とは、かなりちがった自由奔放な俳諧の世界があることに気づかされる。
本ブログの写真は、江戸後期の俳画の頂点にたつ建部巣兆(そうちょう)の「雪明り」と題する自画賛である。
”雪明り明るき閨は又寒し”
この画に出会った著書は、目を見はったという。
「巣兆が俳画においてしばしば行ったかなり極端なデフォルメが生み出した傑作だ。そして、この絵でなによりも驚かされるのが、雪の空間を捉えた巧みさである。薄墨によって微妙に描きだされた雪の背景に、笠の人物の歩く姿勢、犬の後肢の一部が雪に隠れているところまで、まざまざと雪明りの中にあり、句画はまったく一体だ」
自分で絵を描いて、自作の句を書き散らしてみたいものだ。
”のら猫のわなにまたるる恋路かな”
”月の夜は地に影うつる蛍かな”
”荒海に人魚浮きけり寒の月”
天明の俳人松岡青蘿(せいら)は、兵庫県加古川の俳人であるが、彼の俳画
「のらねこ自画賛」には、特異な空間感覚・幻想性が関わっているとして、詩人中村真一郎は「江戸俳人中の最大のサンボリスト」と呼んだというエピソードを紹介している。そして「現実からふと踏み込んでゆく異次元だ。俳画でも常に余白を生かし、画面の空間の深さと広がりを意識させる青蘿の手法は、その異次元を表現するためのものである」と言い、彼の発句集の一節を紹介している。
” 「予人に会するごとの夜、この幻術の箱を平来て、眼前に海山をつくり、厳寒に花を咲かせ炎天に雪を降らす。これ無幻の幻なり。幻人幻境に対し、幻境もまた幻なり」 芭蕉の「松のことは松に習へ」を金科玉条に、自然を見よ、自然から離れるなと一つ覚えに繰り返してきた俳諧の伝統の中で、これだけはっきりと反自然主義の態度をとった俳人がいただろうか。”
諏訪の俳人、藤森素檗(そばく)の事を書いた一節も楽しい。著者は、諏訪市
博物館を訪れ、そこで「あの月に」と題する自画賛を見て、なんという心地よさかと感嘆している。
”あの月に教えられたる月見哉”
”四人のこどもが、身ぶ手ぶりをしながら歩いてゆく図で、やはり動きがある。こどもの中の三人の視線がやや左上の方に向けられ、そ視線の先を避けるように文字は右によせて書かれている。上からひらひらと降るように書かれた文字と、斜めに動いてゆく子供らの絵の塊が作りだしているリズムの、なんという心地よさだろう。句の意味は、もともと人間が月見とということをするようになったのは、月の美しさに導かれてのことである、ということだ”
どこか童心に通うめでたい世界を好んで扱ったとか。素檗の墓は、上諏訪の旧甲州街道沿いにある教念寺にある。この近くには舞姫、真澄といった酒造家が軒をつらねていると書かれている。この前ブログでご紹介した小三治が絶賛した「舞姫」は、是非とも訪れて味わってみたい。上諏訪は、私の父方の祖先の地でもある。是が非にでも行ってみようと思っている。
このほかにも田上菊舎、野口立圃、井上士郎、横井也有などなど興味深いエピソードは書き出せば限りがない。もちろん蕪村、芭蕉の魅力ある俳画のことも。それにしても江戸というのは、私たちが思っていたより、スローライフな楽しい世界であったようだ。
(磯辺勝 中公新書 2008年1月)
江戸時代の俳人二十名余について、俳画を語り、その句を語り、その実のびやかな江戸の人たちやその世界を描き出している、楽しきエッセイである。これを読むと子規以降の近代俳句は、もちろんのこと芭蕉の世界とは、かなりちがった自由奔放な俳諧の世界があることに気づかされる。
本ブログの写真は、江戸後期の俳画の頂点にたつ建部巣兆(そうちょう)の「雪明り」と題する自画賛である。
”雪明り明るき閨は又寒し”
この画に出会った著書は、目を見はったという。
「巣兆が俳画においてしばしば行ったかなり極端なデフォルメが生み出した傑作だ。そして、この絵でなによりも驚かされるのが、雪の空間を捉えた巧みさである。薄墨によって微妙に描きだされた雪の背景に、笠の人物の歩く姿勢、犬の後肢の一部が雪に隠れているところまで、まざまざと雪明りの中にあり、句画はまったく一体だ」
自分で絵を描いて、自作の句を書き散らしてみたいものだ。
”のら猫のわなにまたるる恋路かな”
”月の夜は地に影うつる蛍かな”
”荒海に人魚浮きけり寒の月”
天明の俳人松岡青蘿(せいら)は、兵庫県加古川の俳人であるが、彼の俳画
「のらねこ自画賛」には、特異な空間感覚・幻想性が関わっているとして、詩人中村真一郎は「江戸俳人中の最大のサンボリスト」と呼んだというエピソードを紹介している。そして「現実からふと踏み込んでゆく異次元だ。俳画でも常に余白を生かし、画面の空間の深さと広がりを意識させる青蘿の手法は、その異次元を表現するためのものである」と言い、彼の発句集の一節を紹介している。
” 「予人に会するごとの夜、この幻術の箱を平来て、眼前に海山をつくり、厳寒に花を咲かせ炎天に雪を降らす。これ無幻の幻なり。幻人幻境に対し、幻境もまた幻なり」 芭蕉の「松のことは松に習へ」を金科玉条に、自然を見よ、自然から離れるなと一つ覚えに繰り返してきた俳諧の伝統の中で、これだけはっきりと反自然主義の態度をとった俳人がいただろうか。”
諏訪の俳人、藤森素檗(そばく)の事を書いた一節も楽しい。著者は、諏訪市
博物館を訪れ、そこで「あの月に」と題する自画賛を見て、なんという心地よさかと感嘆している。
”あの月に教えられたる月見哉”
”四人のこどもが、身ぶ手ぶりをしながら歩いてゆく図で、やはり動きがある。こどもの中の三人の視線がやや左上の方に向けられ、そ視線の先を避けるように文字は右によせて書かれている。上からひらひらと降るように書かれた文字と、斜めに動いてゆく子供らの絵の塊が作りだしているリズムの、なんという心地よさだろう。句の意味は、もともと人間が月見とということをするようになったのは、月の美しさに導かれてのことである、ということだ”
どこか童心に通うめでたい世界を好んで扱ったとか。素檗の墓は、上諏訪の旧甲州街道沿いにある教念寺にある。この近くには舞姫、真澄といった酒造家が軒をつらねていると書かれている。この前ブログでご紹介した小三治が絶賛した「舞姫」は、是非とも訪れて味わってみたい。上諏訪は、私の父方の祖先の地でもある。是が非にでも行ってみようと思っている。
このほかにも田上菊舎、野口立圃、井上士郎、横井也有などなど興味深いエピソードは書き出せば限りがない。もちろん蕪村、芭蕉の魅力ある俳画のことも。それにしても江戸というのは、私たちが思っていたより、スローライフな楽しい世界であったようだ。
予想外に面白い本でした。これまで俳句でしか知らなかった俳人たちの俳画や、またその足跡を追って人となりに迫ることは、興味深いものがあります。関西や名古屋など身近に句碑や墓碑があるので、彼らを偲びながら巡るの一興かと思います。
宝井基角の絵は、柿衛文庫にありますので、あらためて見てみたいと思いました。ありがとうございました。
「女性俳句の世界」は、是非ご紹介ください。