(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

読書『日本史を読む」(その一)

2009-01-23 | 時評
読書メモ『日本史を読む』(丸谷才一・山崎正和 中公文庫 2001年1月)

 谷沢永一は、現代日本の名文家としては、硬軟それぞれ梅棹忠夫・丸谷才一・山崎正和を挙げている。このうちの二人が歴史対談をした。それも古代日本から近代日本まで、37冊の本を採り上げて。一見かたくるしい本のようにも見えるが、読み進んでゆくと知らないエピソードや創造力に富んだ推測が展開されて興味は尽きない。二三ご紹介することにした。

(院政期の乱倫とサロン文化)角田文衛の「椒庭秘抄 待賢門院璋子(たまこ)の生涯」(朝日新聞社)、五味文彦「院政期社会の研究」など

 「浮気の五原則」というのがある。(注)ブリジストン鑑査役であった成毛収一氏は、江戸文学に精通し、そこからこの原則を帰納した。上記の著書とは関係はない)
 
 一 ただ一度だけであること
 二 ヤラトラ(金銭のやりとりをしない)であること
 三 人目をしのぶ仲であること
 四 お互いに好いたらしい気持ちがあること
 五 ふたりとも新品でないこと

 どうも西行と待賢門院璋子の関係は、これにあてはまるのではないか、という趣旨の丸谷発言がこの節の最後にある。同感である。西行の”吉野山こずゑの花を見し日より 心は身にも添はずなりけり”は、璋子のことを歌に詠んだものと、私も勝手な推測をしている。

 丸谷は、院政というものが前から気がかりだとして角田文衛の本と五味の本を採り上げる。まず、角田の本について”椒庭というのは御殿という意味で、鳥羽天皇のお后であった璋子さんの伝記なんです。この方は白河法皇の愛人として有名な祇園女御の養女であります・・” と語り出す。関白忠実の日記によれが、璋子は「奇っ怪なる聞こえ」「乱行の人」と書いている。

 ”(丸谷)養父格である白河法皇と関係があったのです。したがって璋子の入内は、一人の女が養父とその孫との双方に関わりを持つ、ということになって、親子どんぶりの上の、いわばスーパー親子丼という乱倫もきわまる話になるんでした・・・”
 (いささか品のない表現はお許しください。ゆらぎは引用しているだけですので)

 こういうことを角田は、実に詳しくしらべ、さらには法皇の邸にいった時期と荻野式理論をつきあわせ、崇徳天皇が父帝鳥羽天皇の子ではなく、祖父白河法皇の子であることを実証してしまった。丸谷はそのことの紹介に留まらず、さらに権力の象徴としての性的放縦にまで及んで持論を展開する。

 ”・・・・たしかレヴィ・ストロースの説に、「原始社会においては、民衆は一夫一婦を守らなければならないが、その代り政治に関しては一切の責任を免れている。・・・ところが、王は、政治に関しては全責任は負うけれども、その辛さの代償として数多くの妻を持つことができる、というのがありました。つまり性的放縦は権威と権力の象徴として絶好のものです(笑)・・・・”


 さらに対談は天皇家・藤原家、並立(「藤原氏千年」(朧谷寿)にまで及んでゆき、山崎は”日本人の政治思想には、統治というのは権威と権力の二重構造をもっていなかればならない、二つはできるならば純粋に分けて、立憲君主と総理大臣のような関係をつくるほうがいいという、近代的な感覚がどこかにあった。それを、藤原家と天皇家が相争うことによって、現実に強化していくんですね・・・・”という。

 さらに初めの白河院のことに戻って、
 ”性的放縦をご指摘になったけれども、女性のほうも結構放縦だということなんですね。女性がこんなに性的自由を許されていて、、また奔放にそれを隠しげもなく楽しみ、みずから歌にして平気で公表するというような文化は、まず日本の十世紀をもって嚆矢とするでしょうね”
 
 もっと面白いサロン文化論などが展開されているが、この章はこの辺で。


(足利時代は日本のルネサンス)原勝郎の「東山時代における一縉神の生活」
(筑摩選書)、伊地知鐵男「宗祇」、(林屋辰三郎の「町衆」(中公新書)など、により東山時代とそのすこし先の時代を論じる。

 足利時代~室町時代はあまり日本史のなかであまり注目されていなかった。脚本家の市川森一さんはそこに着目し、大河ドラマ「花の乱」(1994年)の脚本を書いた。ところが資料を集め出すと、あまりない。詳しいのが、東京大学資料編纂所の「大日本資料」だった。神保町の古書店でみつけ、室町時代にあたるのが十冊くらい見つかった。ところがばら売りはしない、という。思わず全巻337巻に大枚800万円を払って衝動買いをしてしまった。奥様から、涙目で「半年、どうやって生活してゆけばいいの」とぼやかれたとか。プロは凄い!もちろん、この対談は貴重ではあるが、安価な文庫本や単行本に基づいている。

          ~~~~~~~~~~~~~~

 ということで話をつづけようと思ったのですが、長くなりそうなので冊を分けることにします。足利時代の話は、すぐ続きます。

 

 


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2 コメント

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日本史 (龍峰)
2009-01-25 22:17:15
日本史のミクロを論ずるには、相当の資料が縦横無尽に調べ尽くさねばならないだろうと想像される。ゆらぎさんの解説だけでも興味は尽きない。貴重なご紹介有り難うございました。
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お礼 (ゆらぎ)
2009-01-26 18:30:38
龍峰様
 お読み頂きありがとうございます。一見して、取っつきにくい本でしたが、丹念に読んでゆくと、思いの外の面白さでした。いわゆる歴史の本は、表面的なことしか書いていないので詰まらないのですが、こうして細部を紹介してもらうといきいきと歴史が動くように思います。
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