六花の舞。

「六花の舞」、Ⅰ・Ⅱともに完結しました。最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございましたm(_ _)m

ダイヤモンド・エッジ<第二部>-【61】-

2017年04月15日 | 六花の舞Ⅱ.
【ブエノスアイレスのマリア】ギドン・クレーメル


 いえ、ほんとはリアルのフィギュアのほうでも、色々書きたいことあったんですけど……試合中はどうしても言い訳事項が増えてくるもので(汗)、女子のフリーが終わってから、また前文に文字入れられそうな時に何か書こうかなって思います♪(^^)

 ええと、今回はリュドミラ・ペトロワちゃんの『ブエノスアイレスのマリア』とキャシーの『火の鳥』なんですけど――リュドミラの『ブエノスアイレスのマリア』は、わたし的なイメージとしては、ウィーバー&ポジェ組のフリーダンスだったりします








 あと、デールマンちゃんも昨シーズンのフリーで滑ってるんですけど、ガブちゃんのは使ってる曲のほうが『おかしなオルガニートへのゆがんだバラード+わたしはマリア』で、ウィーバー&ポジェ組のは、『アルバーレ(合図)+わたしはマリア』なのかなって思います(たぶん(・ω・))。

 わたしの持ってるCDは、愛すべき爬虫類ギドン・クレーメルさんのなんですけど……。




 小松亮太さんのCDも欲しいなと思ってて、いまだに買ってません(すみませんww

 でも、小松亮太さんのブログに書いてある『ブエノスアイレスのマリア』のことはめっちゃものすごーく参考になりました!!(ありがとうございましたm(_ _)mm(_ _)mm(_ _)m)

 わたしの書いてるリュドミラのプログラムも、「アルバーレ+わたしはマリア」っていうイメージなんですけど、文章として歌詞を間に入れるためには、他に選択肢が思い浮かばなかったというか(^^;)

 というのも、「受胎告知のミロンガ」も曲調としては「わたしはマリア」と同じと思うんですけど、訳者さんがあんまり直訳しすぎてて意味わかんなくなってるのか……というくらい、日本語訳の歌詞読んでも訳わかんない感じだからなんですよね(笑)

 自分的にクラシックとオペラだけじゃなくて、なるべく映画音楽とかタンゴとか色んなジャンルを混ぜたいっていうのがあったんですけど、今さらピアソラメドレーっていうのもなんかなと思って、『ブエノスアイレスのマリア』をチョイスしてみたといった次第です。。。

 あと、ここに来てわたし、エイトトリプルに関して重大な勘違いをしていたことに気づきまして(オマエ

 そうなんですよねー、わたしエイトトリプルっててっきり、女子は通常三回転は五種七回までっていう規定があるのに対し、唯一トリプルアクセルを跳ぶ選手だけは六種八回まで跳べるって思ってたんですよ。

 いえ、ここまでは正しいはずなんです。でもわたし、トリプル八回跳べるっていうのは、男子と同じようにジャンプを最大八回跳べるっていう意味だと思ってたというか

 その、そういう意味では、五種七回って決まってるから、七回までしかトリプル跳んでないけど、もう一回リピートしてないトリプルを跳んでいいっていうんなら、わたしも跳ぶし、跳べるよ……っていう選手は結構いるんじゃないかなという気がするんですよね(^^;)

 というより、このあたりはわたしの勘違いによって、確か六花のⅠの時から五種八回みんな跳んでる気がするんですよww

 そしてこうなると、愛榮が「自分にはエイトトリプルは無理です……!」とか言ってた意味がなくなるので、あーでももーわたし、そんなところまで書き直すってことは出来ないから、このままなんとなくお茶濁しつつ、この連載は終わることになるかと思います

 すでに次に連載したい小説があるもので、早くこっちを終わらせないとそっちに進めないっていうのがあるんですけど、この女子のフリーさえ終わればあとは話速いっていうのがあるので、いましばらくのしんぼう……と自分に言い聞かせてるところだったりします。。。

 それではまた~!!


 P.S.あ、そーだ。わたし、トリプルアクセルのどうこうなんてまるでわかってないんですけど(汗)、↓に書いてある『右脚と左脚の2軸』とか『体幹の1軸』とかいうのは、NumberWebの野口美惠さんの記事を元になんかテキトー☆に書いたということでよろしくお願いしますm(_ _)mm(_ _)mm(_ _)m



     ダイヤモンド・エッジ<第二部>-【61】-

 ザグレブオリンピック、女子シングルフリースケーティング、第三滑走者はリュドミラ・ペトロワだった。

 ショートプログラムではトリプルアクセルを回避したリュドミラだったが、フリーにはトリプルアクセルが入っている。リュドミラはショートプログラム第四位発進で、トップのキャシーとは2.65ポイントの差がついていた。単純計算として、トリプルアクセルの基礎点8.5-ダブルアクセルの得点3.3=5.2ポイント……GOEのプラスマイナスはあるにしても、もしトリプルアクセルに挑戦し、成功していたとすれば、リュドミラこそが今金メダルにもっとも近い位置にいたのかもしれない。

 果たしてこのことが、最終的にどのくらい響くことになるか――おそらく、ロシア選手権や欧州選手権での優勝がなく、どちらかの試合でショートはダブルアクセルではなくトリプルアクセルで行くべきだったという事態に見舞われていたとすれば、リュドミラにしてもオリンピックで勝負に出たに違いない。けれど、オリンピックというただでさえ普段の試合以上に緊張する場で、三つしかジャンプエレメンツのない、そのひとつを失敗したとすれば致命的に響くというプレッシャーに、リュドミラは耐える自信がなかった。

 安全策かもしれないが、そのくらいであればあえて難易度を下げ、全体をまとめて次のフリーへ繋げる……それが自分にとってのベストだとリュドミラは信じ、そのようにコーチであるラリサに話したのである。

(勝負は今日、ここからよ……!!)

 リュドミラは去年、世界選手権で優勝した時のイメージを心に思い描いた。あの時も自分が勝てるとは思っていなかった。トリプルアクセルを含めたエイト・トリプルを決めても勝てなかったとすれば、それが自分の限界なのだと思いもした。

(ショートで四位というのは、逆に良かった。仮に一位通過してしまったとすれば、金メダルが目の前にちらつくあまり、肩に力が入っただろう。けれど、四位ということは、何がどうでもノーミスで演技を決めてみせ、あの三人よりも上へ行く必要がある……!!)

 エリカと入れ違いになるようにしてリュドミラはリンクへ飛び出していくと、氷の感触を確かめながら滑ったあと、ジャンプの成功イメージを描きつつ、軽く二度ほど一回転した。そして軸を締める動作を繰り返しながらパヴロワコーチの元まで戻ってくる。

「六分間練習の時のトリプルアクセルのイメージで、そのまま行くといいわ」

 ショートでトリプルアクセルを入れたエリカ・バーミンガムよりもリュドミラのほうが得点が上だったことで――作戦としてこれで間違っていないとラリサは思っていた。リュドミラが繊細で優しい子だというのは、ラリサにしてもよくわかっていることである。けれど、金メダルを取るためにはもっと強い心臓が彼女には必要だと思っていた。そしてラリサが思うには……リュドミラにとって最大のライバルである灰島蘭にはそれがあるということが一番問題なのである。

「はい……アイスダンスでもペアでもロシアは金メダルを取っているのに、シングルでメダルがないのは寂しいですから、今日は思いきって頑張ります!!」

「そうね。まあ、近年男子シングルも不甲斐ない限りですものね。ドバイオリンピックでもメダルがあったのはアイスダンスとペアでだけだし……」

 もっとも、ラリサは自分が指導しているアイスダンスカップルとペアカップルがメダルを獲得しているため、ドバイオリンピックでも今回のオリンピックでもその点についてはすでに満足していた。けれど、自分が一番情熱を傾けている女子シングル……ラリサがメダルを欲しかったのは何よりもここでだったのである。

「でも今はもう共産時代ってわけじゃないんだから、あなたがそんなに気負う必要はないのよ。それよりも、自分のスケートを見失わないことのほうが大切だわ。結局、エリカ・バーミンガムと金愛榮はエイト・トリプルには挑戦してこないようだし、女子にして四回転が跳べるというのは凄いことだけれど、リスクが大きい割に、三回転アクセルと四回転トゥループの基礎点は1.8ポイントしか差がない……十分に逆転は可能よ。とにかく自信を持っていきなさい。何度も言ったでしょう?容姿の面でも技術的にもリュドミラは誰にもひけを取らないどころか、誰より美しいわ。あなたにあと足りないのは自信と度胸だけ。しっかり自信を持っていきなさい。いいわね!?」

「はい!!パヴロワコーチ」

 ここで「リュドミラ・ペトロワ!」と名前がコールされ、リュドミラはラリサの手を離すと、次にエリーナのことを見つめ、そうしてからリンク中央へ駆けていった。観客席の声援に応えつつ、リンクを一周してからエッジを切り、スターティングポジションに着く。

 リュドミラのフリーの曲は、アストル・ピアソラの『ブエノスアイレスのマリア』だった。

 ピアソラといえば、アルゼンチンタンゴの作曲家、それも革命的な作曲家としてその名を知らぬ者はないだろう。フィギュアスケートでも彼の作曲した『リベルタンゴ』や『ブエノスアイレスの四季』などはお馴染みのプログラム曲である。

 その中で『ブエノスアイレスのマリア』は、<タンゴ>という音楽ジャンルそのものを表わしているという。ジャズやクラシックの形式を散りばめ、タンゴの様々なスタイルを取り込むことによって、彼女はその変化を経験していく。マリア(タンゴ)は、ブエノスアイレス郊外から脱して中心街のクラブへ進出し、キャバレーや娼館で栄光の日々を送る。しかしまもなくタンゴの形式が持つ力は汲みつくされ、マリアは没落と死を迎える。かつての自分の影となった彼女は、進むべき道を失い苦悩する。しかし最後には新たな生を受け、再び不死鳥の如く復活するのだ……。

 ――もっとも、リュミドラは『ブエノスアイレスのマリア』という作品について、その作品背景といったことをそんなに深く考えることはなかった。『ブエノスアイレスのマリア』は90分以上の長さにも渡る大作だが、リュドミラが滑るのはその中の『わたしはマリア』を中心とした約四分ほどの時間だからである。

 マリアをイメージした、少しセクシーな赤と黒の衣装でスターティングポジションに着くと、音楽が鳴るのと同時、居丈高に右手を上げ、左手を腰に当てたポーズから、リュドミラは演技を開始する。まず最初にトリプルアクセル、続く大技の3ルッツ-3トゥループが決まるかどうかが、メダルを取れるかどうかの分水嶺となるに違いない。

 男を誘う娼婦のような演技をし、けれども相手に「その気はない」とわからせたあと、リュドミラは徐々に加速していき、少し慎重な姿勢から最後に前を向いてトリプルアクセルへ挑んだ!リュドミラのトリプルアクセルは、蘭のトリプルアクセルの跳び方とは違い、「右脚と左脚の二軸」により体重移動を行うのではなく、「体幹の一軸」のまま、足元からのパワーをダイレクトに伝えることでダイナミックな力強さを引きだしている。これに加え、もっともトリプルアクセルが跳びやすい軌道をリュドミラはコーチのラリサとともに模索し、成功率の高さに繋げてきた。ゆえに、ラリサが自分の愛弟子に対し懸念しているのはとにかく、メンタルの部分をどれほど強く持ち、『120%の力で、必ず決める!!』と思えるかどうかという、その一点だけだったといっていい。

 成功しても失敗しても大きく体力を消耗する危険な大技だが、試合の一発で決まった時、これほど嬉しいジャンプは他にない――それもまたトリプルアクセルなのだ。

 そしてこの日、回転不足も両足着氷でもないトリプルアクセルをクリーンに決め、リュドミラは喜びに心が打ち震えた。(次の三回転-三回転も絶対に決める……!!)そう強く心を持って、そのままスピードに乗っていき、3ルッツ-3トゥループ。

 流れ・幅・高さのある完璧なコンビーネーションジャンプだった。そしてバタフライからのフライングキャメルスピンとウィンドミルからのレイバックスピンを回ったのち、ステップシークエンス。

<わたしはマリア
 ブエノスアイレスの
 ブエノスアイレスのマリア、わからないの?
 マリア・タンゴ、場末のマリア
 夜のマリア、死を招く情熱のマリア
 愛のマリア
 ブエノスアイレス生まれの
 わたし。

 わたしはマリア
 ブエノスアイレスの、
 この街でわたしが誰だかたずねたら
 すぐにわかるだろう、
 牝たちはきっと
 わたしに嫉妬するにちがいない、
 雄はみんなわたしの足元に
 ねずみのように
 罠にかかる。

 わたしはマリア
 ブエノスアイレスの、
 歌うとき、愛するとき、わたしはもっと魔女!
 バンドネオンがもっとわたしを挑発すれば……ティアラ、タタ!
 わたしは口を噛んでやる……ティアラ、タタ!
 わたしの中に花咲く10のエクスタシーで>


 男と女の情事を思わせる、情熱的なステップシークエンスのあともまだ歌は続いていく。そしてここから演技後半、五連続ジャンプがリュドミラを待ち受ける。3ルッツ、2アクセル-3トゥループ、2アクセル-1ループ-3サルコウ、3フリップ、3ループ……ひとつジャンプが決まるごと、観客席はさらに盛り上がりを増していく。

 マリアは蓮っ葉な女の演技を続けながらコレオシークエンスへ入ると、誘うような仕種でビールマンスパイラルを間に入れ、場末の酒場でタンゴを踊り続けるしかない女の哀しみを表現していく。マリアは何度も情熱の頂点で死に、そして死んでは甦る……すべての男のものであり、誰のものにもならない、それが自由な女マリア。タンゴの魂のマリアだった。

<わたしはマリア
 ブエノスアイレスの、
 ブエノスアイスレスのマリア、わたしはわたしの街!
 マリア・タンゴ、場末のマリア
 夜のマリア、死を招く情熱のマリア
 ブエノスアイレスの愛のマリア、
 それがわたし!>

 最後は、足替えのコンビネーションスピンを難しいポジション変化を取り入れて回りきり――リュドミラは腰に手を当てると、高慢な女が煙草を吸う仕種で演技を終えた。

(オリンピックでノーミスだなんて、信じられない……!!)

 リュドミラはその瞬間、自分の身に何が起きたのか、まるで理解していないほどだった。四方の観客席からは激しい雨……というよりも、雪崩を思わせるくらいの拍手と歓声が降り注いでいる。完全に演技の世界に入りこんでいたリュドミラは、その魔法からまだ覚めやらぬまま、ただ呆然とお辞儀を繰り返すばかりだった。

 まるで、引き続き勝手に体が動くといったような体で、ぬいぐるみや花束を拾い、リュドミラはリンクゲートまで戻ってくる。足が――というよりも、エッジの部分がふんわりと浮いているように体が軽く、身体感覚がいまだに何かおかしい感じだった。

「本当によくやったわ、リューダ!!」

 まだ息の上がっているリュドミラは、半ば呼吸を整えつつ、エリーナからエッジカバーを受け取った。

「はい……わたしの出来る限りのことは……」

 それ以上のことは、リュドミラにも言葉に出来なかった。これでもし、残り三名の有力選手が自分の得点を追い抜いても、自分に出来るだけのことはしたと、胸を張って言うことが出来ると思った。けれど、あとほんの数ポイントで自分は金メダルだった、あるいは銀メダルだった、銅メダルだったといった場合――ショートにトリプルアクセルを入れなかったことを、自分は生涯後悔し続けるのだろうか?

(わからない)と思い、あれだけの会心の演技だったにも関わらず、リュドミラは相変わらずどこかぼんやりしたままだった。

 そしてそんな彼女のことを励ますように、ラリサは愛弟子の肩を抱き、その頭のてっぺんにキスすることさえして、キス&クライへ向かったのだった。

 ラリサとエリーナに挟まれる形で椅子に座ると、ようやくリュドミラは笑顔になり、戻ってくる途中で拾ったぬいぐるみを右手に持ち、カメラに向け手を振った。「Большое спасибо!(バリショーェ スパシーバ!どうもありがとう)」、「Я тебя люблю!(ヤ チェビャー リュブリュー!愛してる)」と言って、チュッと手のひらのキスをカメラの向こうへ送る。

 おそらく、テクニカルパネル(技術判定委員)が回転不足かどうか、正しいエッジで踏み切ったかどうかをチェックするのに時間がかかったのだろう、得点が出るまでにかなり間があった。そして出たリュドミラの得点は……。


 技術点=76.42、演技構成点=71.94、合計=148.36、ショートの得点=76.56、総合得点=224.92ポイント。

 観客席から「ワッ!!」という物凄い歓声が巻き起こった。続く、口笛や大きな拍手……リュドミラは驚きの表情を浮かべ、そのあと暫くの間呆然としていた。隣からラリサとエリーナが、ふたりで重なるようにして彼女のことを抱きしめる。この得点はリュドミラのパーソナルベストだった。

「変な子ね!どうしてもっと喜ばないの!?」

「そうよ!去年あった世界選手権よりも上の得点じゃないの!!」

 ラリサとエリーナに畳みかけるようにそう言われても、リュドミラはまだピンと来なかった。というのも、自分の得点を越える可能性のある選手が三名も控えているため――もしキャシーか蘭か金愛榮の得点を自分が抜いたというのなら、すぐ喜びを実感できたに違いない。

(でも、まだわからない。第一蘭は、この得点よりも上のものをすでに多く叩きだしているのだから……)

 パーソナルベストはもちろん嬉しい。そして、蘭はともかくとしても、キャシーと金愛榮のふたりともがこの高得点を抜く可能性は低いことから――もしかしたら銅メダルは確実と見ていいのかもしれなかった。けれど、リュドミラはそんなふうに感じる自分を何故か恐れた。

(だって、そんなふうに期待していながら、結局銅メダルにも手が届かなかったら惨めだものね)

 そして次の瞬間にはそんな後ろ向きの思考を切り替え、リュドミラは大きな賛辞を送ってくれる観客席に向け、再び笑顔で手を振った。彼女と一緒にキス&クライを下りたラリサとエリーナは、愛弟子の金メダルを確信していたにも関わらず――当のリュドミラはといえば、カメラに映らなくなった途端、再び物思いに沈む顔つきをしていた。すべては、あと残り三名の選手の演技にかかっていると思うと……演技前ほどではないにしても、心の浜辺を不安の波がひたひたと洗いはじめるのを感じるリュドミラなのだった。

                       

 第四滑走者はキャサリン・アーヴィングだった。

 リュドミラが演技を終えたあと、観客席が熱狂し、一部でスタンディングオべーションの起きている中をキャシーはリンクへ出ていった。花束やぬいぐるみなどが数多く投げこまれ、最初はリンクの一部しか使えなかったが、キャシーの集中力が乱れることはない。選手同士にもやはり相性というのはあるもので、少なくともキャシーにとってリュドミラというのは、こうした事態になっても「癪に障る」と感じるような選手ではない。グランプリシリーズなどでぶつかることになると、「アメリカの女王vsロシアの女帝」といったように表現されがちなふたりではあるが、キャシーにとってリュドミラというのはライバルはライバルでも、フィギュアスケートという同じ道を歩む友人といった感覚のほうが強かった。

 キャシーにとって同じ感覚でつきあってきた友人として如月葵がいるが、リュドミラもまた同じグループに分類されていたといっていいだろう。けれど逆に、自分と同じかそれ以上の実力を持つ選手として、灰島蘭や金愛榮が「気に障る」グループに分類されていたかもしれない。ゆえに、自分の前滑走者がこの時灰島蘭でなくて良かったと、キャシーは感謝すらしていたほどだ。金愛榮に対してはもともと「つまらない子ね。リョウはなんだってこんな子の面倒を好き好んで見ているのかしら」との思いがあるため、どうということもない。けれど、灰島蘭は実力・人気ともに世界のナンバーワンといっていい選手だった。そして以前より「なんでこんな子の下にわたしがつかなきゃいけないのかしら」との屈折した思いが――表彰台での笑顔の裏に隠した思いが――あるため、彼女の滑ったあとに今と同じ事態が起きていたといたら、キャシーは相当イライラしたに違いない。

 リュドミラの得点が出て、ますます観客席がヒートアップしても、キャシーは平気だった。彼女の試合でのミスの少なさ、本番でも平静を保てる精神力の強さというのは、こうしたところからもおそらく見てとれたに違いない。あくまでもリュドミラはリュドミラ、自分は自分なのだ。キャシーは観客席の反応すらすっかり無視して、ジャンプの練習と振付の確認をすると、一度コーチであるヒラリー・ローレンの元まで戻ってくる。この頃にはリンク上のプレゼント群はほとんど片付き、最後に両手に抱えきれぬほどの花束を持ったフラワーガールが、息を切らしてリンクを上がるところだった。

「思った以上に落ち着いてるわね、キャシー」

「そりゃあね」と、キャシーは胸の鼓動を抑えるために一度深呼吸した。ローレンにしても当然わかってはいるのだ。オリンピックという場で緊張しない選手などいるわけがない。けれど、それにも関わらず「比較的」落ち着いているわね、と自分のコーチが言ったのだということも、キャシーにはよくわかっている。「これでもし圭が金メダルを取っていたとしたらね、わたし、きっと今以上にナーバスだったに違いないわ。でもああいうことになってしまった以上……わたしだけ頑張るっていうのもなんかね」

 圭からはきのう、携帯に電話が来た。ショートがとてもいい演技だったことを褒めてくれたり、フリーに向けて何かと励ましの言葉を口にしてくれたり……けれど、彼は決して「愛している」とだけは言わない。それが何よりキャシーにとって、いいモチベーションでフリースケーティングへ向かえる言葉だと知っていながら。

「でも、キャシーはもちろん頑張るのでしょ?」

「当たり前じゃない。これでメダルまで逃したりしたら、自分があんまり惨めでやりきれないもの」

 お互いに金メダルを取ることで、愛の再燃をはかるというキャシーの野望は費えてしまった。それが仮に一時的な気の迷いから出たものでも、圭がそうした気分に流されて自分にプロポーズさえしてくれたら――キャシーにとってあとは特に何も言うことはなかった。圭が仮にその後浮気したとしても、自分のほうで別れなければいいという立場が欲しいだけなのに、人生というのはうまくいかないものだとそう感じる。

「大丈夫よ、キャシー。あなたならきっとやれるわ」

「ええ。あの歓声からいって、リュドミラはエイトトリプルを決めたんでしょうけど、わたしのほうにはショートの貯金があることだし、気持ちを引き締めつつ、余裕をもっていくわ」

「その意気よ!」

 そしてここで、「キャサリン・アーヴィング!」と名前をコールされ、キャシーはスポーツドリンクのキャップを閉めると、気合を入れ直すようにフェンスを一度叩き、リンク中央へ向かっていった。自分に対して声援が降り注いでも、いつも通りキャシーは愛想も素っ気もなく何も応えることはない。リンクを一周ほどする間に、再び氷の感触を確かめるのと同時、「大体このあたりでトリプルルッツ、そして次にフライングキャメルスピン……」といったようにトレースが一瞬にしてキャシーの脳裏には浮かび上がる。

 スターティングポジションにつくと、キャシーは深呼吸して「火の鳥」を思わせる鳥の似姿のポーズを取った。足を交差し左手を後ろへ、そして右手を頭上高く掲げ、顎のほうを少しだけ引く。そしてキャシーは曲がかかると同時、完全に<火の鳥>になりきって演技を開始した。一度軽く跳び上がって着地し、そして両手の大きな羽ばたきとともに、最初のジャンプである3ルッツ-3ループへ向かっていく。グランプリファイナル後、振付に手を入れ、『火の鳥』はブラッシュアップされていた。また、衣装のほうも同じデザイナーによって新しいものが作られた。以前は赤と橙に黄色と金、それに銀も若干混ざっていたが、キャシーが確実に金メダルを取れるようにと銀はなくし、代わりに尾羽のところに青がつけ足された。その新しい衣装は斬新であるのと同時、従来の火の鳥=赤や金といったイメージを覆すものだったといえる。

 キャシーは両手を翼のように見立てて大きく演技しながら、スパイラルの姿勢を取ったのち、加速して3ルッツ-3ループを跳ぼうとした。だが、十分にスピードに乗っていたにも関わらず、何故かセカンドジャンプがダブルループになってしまう。3ルッツ-3ループの得点は、6.0+5.1=11.1ポイント。だが、3ルッツ-2ループの得点は、6.0+1.8=7.8、基礎点だけで計算するなら3.3ポイントの差がすでに出来ていた。

 普段試合であまりミスをしたことがないだけに……このことは完璧主義のキャシーの精神により大きな打撃を与えた。と同時に、去年の世界選手権で3ルッツ-3ループを転倒した時の嫌なイメージが脳裏をよぎっていく。体のほうはほとんど自動的に音楽に乗りながら、その後、もう一度美しい3ルッツを決めたのち、バタフライからのフライングキャメルスピンを優雅に回り、ステップシークエンス。

 ツィズル・ブラケット・ロッカー、ロッカー・カウンター・ループ……といったように、いわゆるクラスターと呼ばれる三連続のディフィカルターンを回りながら、キャシーはイワン王子を襲う魑魅魍魎どもを眠らせていく。そして、不死の魔王カシチェイの魔力を打ち破ると、まるでその勝利の舞を舞うように、後半の五連続ジャンプへ繋げていく。3フリップ、2アクセル-3トゥループ、3フリップ-2トゥループ-2ループ、3サルコウ……そして物語は大団円を迎え、魔王カシチェイもその配下の魔物や怪物どもも姿を消し、彼らに捕えられていた人々は自由の身となる。

 キャシーは続くコレオシークエンスで、魔法から解き放たれた王女や騎士、それに婚姻の式を挙げるツァレヴナ王女とイワン王子を祝福し――鳥の羽ばたきを思わせる形にポジション変化するコンビネーションスピン、そしてレイバックスピンを美しいビールマン姿勢で締め括り、最後はまた鳥の似姿のポーズで演技を終えた。

 演技終了と同時……キャシーは大きく肩を落として溜息を着いた。最初の三回転-三回転のミスのことが最後までどうしても頭を離れず、それゆえにいつものようには演技の中に没入することが出来なかった。一応見た目としては、最初のコンビネーションジャンプのセカンド以外は完璧だったように人には見えたかもしれない。だが、キャシーはこれで自分はおそらくメダルを逃したろうとの思いから――完全には演技のほうに集中できず、そのことが脳裏をちらついてばかりいたのである。

 とはいえ、観客席は大騒ぎだった。多くの人々がアメリカの国旗を掲げ、「USA!USA!!」と叫んでいるのみならず、アメリカの女王の演技に感動するあまり、涙を流す人々も少なくなかったほどである。

 けれど、キャシー自身はそのような会場の盛り上がりを無視するような形でリンクを下り、コーチであるヒラリー・ローレンには肩を竦めて挨拶の代わりにしていた。

「素晴らしい演技だったわよ、キャシー!あんな小さなミスくらいで、そんなにがっかりすることないわ」

「ええ……でも、リュドミラのエイト・トリプルに勝てたとは思わない」

 これまでの得点の出方から見て、彼女の演技にミスがない限り、自分のほうが上を行けるとはキャシーは思っていない。けれど、もしかしたら万一ということもありうるとは思っていた。もっとも、このあと続く日本のラン・カイジマと金愛榮が続けてとてもいい演技をしたら――おそらく自分は銅メダルも取れずに終わってしまうに違いない。

 キャシーはエッジカバーをブレードに嵌めると、彼女の悲観的な予想とは裏腹に、笑顔を見せるコーチとともにキス&クライへ向かった。

 リンクサイドに戻ってくる時――ほんの数秒だけ灰島蘭の姿をキャシーは視界に入れたが、(相変わらず凄い存在感だわね)と、そう感じたものだ。殺気立っているというのとも違うが、試合前の彼女には周囲の時空を捻じ曲げることが出来るのではないかというくらいの気迫がある。(他の選手もおそらく、灰島蘭の前か後に滑るのは絶対に嫌なはずだ)とキャシーは確信しているが、この時は彼女の存在に気づいたのが演技後で良かったと、つくづくそう思ったものである。

(灰島蘭と金愛榮とリュドミラ・ペトロワ……ショートでトップ、そしてフリーでもほぼノーミスの演技で勝てないのだとしたら、わたしはこれからどうすればいいのかしら)

 そんなふうに思いながらローレンと一緒にキス&クライに座り、キャシーはやはりどこか浮かない顔をしたまま、溜息を着かずにはいられなかった。そしてそんな彼女の顔をいかにも不思議そうにローレンは横から覗きこむ。

「どうしたのよ、キャシー?あんな完璧な演技をしたのですもの。きっとあなたがナンバーワンよ」

「だって、ヒラリー。灰島蘭が滑るのはこれからですもの。そのあとには金愛榮もいるし……勝負の行方はまだわからないわ」

 リュドミラの時同様、この時もまた得点が出るまでに若干時間がかかった。キャシーはルッツもフリップも正確なエッジで跳んでいるし、滅多なことではエラーマークをつけられたことがない。また回転不足を取られるようなジャンプはなかったはずなので、テクニカルパネルのほうで手間取っているとは考えにくかった。そしてこういう時やはり、世間一般でよく言われるように順位の操作といったことが実は秘密裏に行われているのではないかと、つい疑いたくなってしまうものだ。

 やがて「スコア プリーズ」というアナウンスののちに、キャシーの得点がモニターに表示された。


 技術点=71.73、演技構成点=72.34、合計=144.07、ショートの得点=79.21、総合得点=223.28ポイント。


 そして、次にモニターが切り替わり、現時点での順位が表示される。


 1.リュドミラ・ペトロワ(224.92)

 2.キャサリン・アーヴィング(223.28)

 3.エリカ・バーミンガム(212.18)

 4.高見沢由紀(208.78)

 5.マリア・ラヴロワ(207.17)

 6.石原のぞみ(198.12)

 7.李葵姫(197.77)

 8.サーシャ・アルツェバルスカヤ(197.48)

 9.ベアトリクス・アディントン(195.32)

10.王花琳(194.59)


<Rank2>という文字を見た瞬間――キャシーはまるで屑折れるようにしてローレンの肩に寄りかかり、彼女の首に縋って泣きついた。これだけの高得点であるにも関わらず、ショートでの貯金があってなお、リュドミラに勝てなかった。

 この翌日、いくつかのアメリカの新聞では<失意のアメリカ女王>というタイトルで、この時のキャシーがコーチに泣きつく写真が使われることになった。だが、この時点ではまだ、観客にも、テレビを通して中継を見ている人々にも、キャシーが嬉し涙を流しているのか、悔し涙を流しているのか、あるいはその両方なのか、わからなかったことだろう。

 コーチのヒラリー・ローレンの慰めを受けながら、キャシーは失望を隠すことさえせず、そのままキス&クライをあとにした。もちろん頭ではわかっているつもりだった。せめて表面だけでもいいから、笑顔を浮かべつつ、泣くのはバックステージに戻ってからにすべきだということは。けれど、キャシーはどうしても涙を止めることが出来なかった。また、そんなふうに感情をコントロール出来ないことも珍しいことから、キャシーは自分で自分に対し戸惑っていたといえる。

 一方、この時のキャシーの様子をオーロラビジョンを通して見ていた圭は、すぐにも彼女の元へ駆けつけたいと思いながらそういうわけにもいかず、暫くの間表情を硬くしていた。光と剛と礼央とは、すでにもうリンクの蘭の姿を追うの夢中で、目はそちらのほうに釘付けになっている。

「蘭の奴、四回転トゥループ大丈夫かな」

「六分間練習の時に失敗したからか?でもそんなの、俺たちの間でもよくあることだろ。逆に、いくら六分間練習や公式練習の時に調子よくても、試合の一発で決められなけりゃ意味なんかない」

「そりゃそうだけど……」

 礼央と剛はそんなふうに話していたが、光のほうではすでにもう言葉もない状態だった。ただ手を膝の間でぎゅっと握り合わせ、神にでも祈るしかないといった心境だった。

「よし!三回転フリップの調子はいいみたいだな。いいぞ、いいぞ。その調子で行け、蘭!!」

 剛がひとり盛り上がってそう言っても、光と圭のほうからは沈黙しか返ってこない。それで礼央と剛はほとんど同時にそちらを振り返っていた。ふたりとも、実に真剣な眼差しでリンクに視線を注いでおり、すぐに剛も礼央も何も言えなくなる。

「頑張れよ、蘭……!!」

 そして礼央もまた、独り言のようにそう呟いて、膝の間でぎゅっと祈るように両手を握り合わせていたのだった。



 >>続く。






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