帯刀は1870(明治3)年,36歳の時,大坂で他界。最初,大阪・天王寺夕陽ヶ丘墓地(現・大阪市中央区)にまつられた。その4年後,京都妻お琴も26歳の若さで病死し,同じ墓地に葬られた。
1876(明治9)年正妻お近(おちか)が2人の墓を,ふるさと鹿児島の日置郡吉利(よしとし)郷(現・日置市日吉町吉利)の曹洞宗「清浄山園林寺(しょうじょうさんおりんじ)」跡小松家墓地に移葬した。
園林寺は,1869(明治2)年の廃仏毀釈で廃寺となり,墓地のみが残されていた。1877(明治10)年,藩政時代は禁制であった浄土真宗が実質解禁となり,この地に「清浄寺(しょうじょう)」が誕生した。以来,清浄寺は小松家の菩提寺となった。
なお,帯刀の孫(帯刀とお琴間に生まれた安千代改め清直の長男で帯刀を名乗る)は,祖父の維新の功により伯爵を授けられ,貴族院議員をもつとめた。
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