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篤姫が終わって インフラ再整備に努めた小松帯刀に学ぶ

2008-12-30 00:41:14 | 小松帯刀
 幕末における一連の小松帯刀の功績は,「藩政の基盤-インフラ整備-」に他ならない。「百年に一度の危機」といわれる混迷の時代にあって,小松帯刀の時代感覚を持っての藩政運営と国政への提言は,参考とする点,多である。

▼斬新・革新の試み
 
 小松は貿易活動にも積極的に取り組み,琉球や清国と盛んに交易。そこで得たカネを軍事や教育といった重点分野に投入した。1867年には,今でいう商社の機能を持つ会社「大和交易コンパニー」を設立している点にも,先見の明を感じさせる。

▼薩摩藩が出展した1867年のパリ万博 
 1867年に開催されたパリ万博に,薩摩藩は自前で「薩摩パビリオン」を出展。欧州で薩摩藩の存在を印象づけることにも成功している。こうした先進的な政策が,薩摩藩の近代化につながっている。
 
▼龍馬との交流

 土佐藩を脱藩し一介の浪人に過ぎなかった坂本龍馬とも懇意であった。勝海舟の軍艦奉行罷免に伴い神戸海軍操練所を追われ,行き場のなくなった龍馬ら一団を長崎で給与を支払って航海事業に従事させるなどして援助。これが,龍馬の貿易会社「亀山社中」(のちの海援隊)に発展した。
 その一方,帯刀は龍馬の縁から,長州藩の伊藤博文・井上馨らとの関係を深めたことで薩長の不仲を解消すべく行動し,後に薩長同盟へとつながっていく。

 薩長同盟は1866年1月,京都の小松邸で坂本龍馬の仲介のもと,帯刀と西郷隆盛,長州藩の木戸孝允が会談を持ち,締結された。さらに帯刀は,翌年には土佐藩との間で薩土同盟も成立させている。帯刀のバランス感覚溢れる人脈介入と交渉手腕が,これらの同盟実現の原動力となっていた。

▼大政奉還の必要性を説く 
 時代が倒幕に大きく傾いたのを受け,時の将軍・徳川慶喜は、1867年10月13日、京都・二条城に各藩の代表者を集め,大政奉還の是非を問う会議を開く。この際にも帯刀は,大政奉還の必要性を説いたという。帯刀の提言が,慶喜に大政奉還を決意させたとの見方もある。

 帯刀は,明治政府樹立までの節目ごとに,キーマンあるいは調整役として重要な役割を果たしている。彼は,敵・味方といった単純・短絡な見方ではなく,日本を良くするにはどうすればいいかという視点から,絶妙な調整役を果たした帯刀の功労なしに,明治維新という大事は成し遂げられなかったのではないだろうか。

◆参考文献
・瀬野富吉著 『小松帯刀伝』 宮帯出版社
・新人物往来社 『天璋院篤姫と幕末動乱 別冊歴史読本 82』
・原口 泉『龍馬を超えた男小松帯刀』グラフ社

⇒関連HP 歴史ロマン 小松帯刀
       http://studio11.web.fc2.com/man/komatu/komatu-1-1.html


龍馬を超えた男小松帯刀
原口 泉
グラフ社

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2 コメント

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先生の (fukuhira)
2009-02-19 10:18:01
はじめまして。
ブログを読んで、色々考えました。
僕は、高卒ですが、こういった歴史や経済の事をとても知りたいと思います。
もちろん、そう思っている、大学生でなくても、学びたいと思う人は、沢山いるはずです。
もっと先生の話を地域の人や社会に出て学びたいと思う人が、自由に聞けたらと素晴らしいなと思います。

これからも、応援しています。
はじめまして (fukuhira)
2009-02-19 10:23:09
すごく面白いと思いました。
先生のお話がもっと聞けたらと思います。
これからも応援しています。

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