ちょうど27年前の今日、国鉄が最後の日を迎え
翌4月1日から、全国7社の民営会社に分割された。
その最後になった日は全国でいろんなイベント列車が
運行されたが、私が選んだのは山口線のC57だった。
理由は覚えていないが、さして撮影意欲を駆り立てる
列車がなかったのであろうが、山口線にあったとも
思えない。
山口線といえば、いまやSL復活路線の代名詞的
路線だが、先の洪水で一部区間が壊滅的な状況に
なり、一時はSL運行はなくなるのではないかと
思われたが、無事C56で復活した。
しかし、全線復旧には相当な日数を要するため
途中駅までしかいまは運行されていない。
私も津和野へは3度程訪れて撮影しているが、
ぜひとも全線復旧しまたC57が走ってもらいと
願っている。いまや全国殆どの場所でSLは
運行され、さして珍しいものではなくなって
しまったが、復活の聖地の火が消えるような
ことがない事を願うばかりだ。
1987年3月31日 SL やまぐち号 山口線 撮影区間不明
あの震災の日に津波に飲み込まれたED751039。
ゆうづるでは撮影していないと思い込んでいたが、
撮影記録があった。
75のラストナンバーということより、いまや
津波に耐えたカマで一躍有名になった。
一時は廃車になるのではないかと思われていて
復活してから長くない時間での震災の日であった。
以外に撮影していなのかと思いきや、のべ5回を
記録していた。
あの震災の日から遠くない日にJR貨物の75運用は
静かに幕を下ろしてしまい、いまや5両の700番代
車が細々と残ることになった75。
いつまで残るかわからないが記録できるうちは
是非記録しておきたい。
ED751039(青)※撮影当時 6002レ 1987年12月30日 青森駅
言わずと知れた山陰本線の名撮影地。
今は新橋梁に架け替えられてしまい
鉄骨むき出しのこの橋はもう拝めなくなった。
山陰本線から客車列車がなくなる頃に
撮影した、出雲3号。
出雲狙いではなく折角なのでということで
撮影した。
道なき道を登って俯瞰撮影に挑んだ。
出雲終焉には様々なカットが紹介されたが
この角度の写真はあまり見たことがないような
気がする。
苦労がなしえたカットだ。
山陰本線 餘部
今は新橋梁に架け替えられてしまい
鉄骨むき出しのこの橋はもう拝めなくなった。
山陰本線から客車列車がなくなる頃に
撮影した、出雲3号。
出雲狙いではなく折角なのでということで
撮影した。
道なき道を登って俯瞰撮影に挑んだ。
出雲終焉には様々なカットが紹介されたが
この角度の写真はあまり見たことがないような
気がする。
苦労がなしえたカットだ。
山陰本線 餘部
廃線後も未だ人気が衰えない南部縦貫鉄道。
1987年8月撮影を始めた、ゆうづるの間合いで
しばしば訪れては撮影に興じていた。
まさしくこれぞレールバスそのもので、
限りなくバスに鉄のタイヤをまとって走っている
そのものだった。また、丸っこい車体が愛嬌が
あり好きだった。
いかんせん、地方ローカル線で1日何本もなく
撮影本数も少なかった。
ゆうづるを撮影していなかったら、おそらく
全く撮影には行くことがなかっただろうと
今思う。
廃線後も車両は保存されており年に1回程度
の公開されているようだ。
また是非行ってみたいと思う、唯一の鉄道である。
前にも語ったと思うが、いすみ鉄道がこの車両を
買って動態保存してはくれないものだろうか。
1987年頃 坪川
1987年8月撮影を始めた、ゆうづるの間合いで
しばしば訪れては撮影に興じていた。
まさしくこれぞレールバスそのもので、
限りなくバスに鉄のタイヤをまとって走っている
そのものだった。また、丸っこい車体が愛嬌が
あり好きだった。
いかんせん、地方ローカル線で1日何本もなく
撮影本数も少なかった。
ゆうづるを撮影していなかったら、おそらく
全く撮影には行くことがなかっただろうと
今思う。
廃線後も車両は保存されており年に1回程度
の公開されているようだ。
また是非行ってみたいと思う、唯一の鉄道である。
前にも語ったと思うが、いすみ鉄道がこの車両を
買って動態保存してはくれないものだろうか。
1987年頃 坪川
京葉車両センターの主こと、E331系が今日25日
長野へ向けて回送された。
長らく未使用のまま留置されていたが、遂に住処を
離れ帰らぬ旅路についた。
数日前から噂があったが今朝64に繋がれている姿を
見て確実なことなのだと思った。
連接台車という特異な車両で試験的に導入したが
ドア位置や、台車強度などの問題から通勤車両としては
量産にはいたらなかった。
連接台車はやはり定員制のTGVやロマンスカーの
十八番で定員以上の負荷がかからない優等列車
にしかつかえないのかもしれない。
日曜日などの閑散日にわずかな運用だけで
出番もなく結局は終わってしまった。
朝の京葉区に1編成ポツンとおかれている
いつもの光景は過去のものとなってしまった。
多分旅立ちの準備中のE331系 2014年3月23日 京葉車両センター
(敷地外より撮影)Canon Powershot G10
長野へ向けて回送された。
長らく未使用のまま留置されていたが、遂に住処を
離れ帰らぬ旅路についた。
数日前から噂があったが今朝64に繋がれている姿を
見て確実なことなのだと思った。
連接台車という特異な車両で試験的に導入したが
ドア位置や、台車強度などの問題から通勤車両としては
量産にはいたらなかった。
連接台車はやはり定員制のTGVやロマンスカーの
十八番で定員以上の負荷がかからない優等列車
にしかつかえないのかもしれない。
日曜日などの閑散日にわずかな運用だけで
出番もなく結局は終わってしまった。
朝の京葉区に1編成ポツンとおかれている
いつもの光景は過去のものとなってしまった。
多分旅立ちの準備中のE331系 2014年3月23日 京葉車両センター
(敷地外より撮影)Canon Powershot G10
イオン幕張新都心店の中にある、自称、鉄道カフェ。
どんなもんか入ってみた。
バリバリの鉄道カフェというわけでもなく、
まあ子供連れ家族向けという感じ。
机の前には、お決まりのNゲージが走っている。
子供は喜びそうだが、いわゆる、オタには
遊び程度だと思う。
メニューも少ないが、ケーキが
すべて新幹線のE5、E6、ドクターY
の先頭車の形をしているのは感心した。
入り口の様子
机から見えるジオラマ
九州新幹線800系、ここでも流してみました。以外に流れてない?
2014年3月23日 イオン幕張新都心店にて
どんなもんか入ってみた。
バリバリの鉄道カフェというわけでもなく、
まあ子供連れ家族向けという感じ。
机の前には、お決まりのNゲージが走っている。
子供は喜びそうだが、いわゆる、オタには
遊び程度だと思う。
メニューも少ないが、ケーキが
すべて新幹線のE5、E6、ドクターY
の先頭車の形をしているのは感心した。
入り口の様子
机から見えるジオラマ
九州新幹線800系、ここでも流してみました。以外に流れてない?
2014年3月23日 イオン幕張新都心店にて
幕張メッセに隣接する大型ショッピングセンター
イオン幕張新都心店の中にB787の実物大?
のモックがある。先頭部分のみであるが
京葉線の上り電車からもガラス越しに見える。
気になっていて、野暮用でいく用事があったので
探しに行って見た。
どうもキッズのお仕事体験のコーナーらしく
その一部のようだ。パイロットの仕事体験
でもできるのだろう。
残念ながら中は見れなかったが
航空ミュージアムのようで楽しかった。
2014年3月23日 イオン幕張新都心店にて
イオン幕張新都心店の中にB787の実物大?
のモックがある。先頭部分のみであるが
京葉線の上り電車からもガラス越しに見える。
気になっていて、野暮用でいく用事があったので
探しに行って見た。
どうもキッズのお仕事体験のコーナーらしく
その一部のようだ。パイロットの仕事体験
でもできるのだろう。
残念ながら中は見れなかったが
航空ミュージアムのようで楽しかった。
2014年3月23日 イオン幕張新都心店にて
横浜線の帰りにもうひとつ寄ってみた、こどもの国線。
昔は、ほんとうにこどもの国に用事がない限り
まず乗車する線区ではなかったが、近年の宅地化
の進化で中間の恩田駅もでき、十分な通勤線区に
変わってきている。
25年前に撮影した、長津田工場入場車の
珍編成。先頭2両は6000系、中間3両が8000系
最後2両は3450系の編成だ。
25年後の今は。背景の宅地化が明らかに違う。また田んぼ内の道路も整備されている。
2014年3月22日 長津田~恩田
昔は、ほんとうにこどもの国に用事がない限り
まず乗車する線区ではなかったが、近年の宅地化
の進化で中間の恩田駅もでき、十分な通勤線区に
変わってきている。
25年前に撮影した、長津田工場入場車の
珍編成。先頭2両は6000系、中間3両が8000系
最後2両は3450系の編成だ。
25年後の今は。背景の宅地化が明らかに違う。また田んぼ内の道路も整備されている。
2014年3月22日 長津田~恩田
実家の用事を済ました後に、そうだ横浜線でも
撮影して帰るか、と思い撮影に臨んだ。
かつての踏み切りなどは住宅やフェンスが
立ち並び、また道路も整備が進み、遠い昔の
横浜線沿線しか頭になかった私にはタイムスリップ
したようだった。
まだ、というより一部残された田んぼから
逆光だったが流してみた。
運用開始した233系は以外にも結構な本数
が走っていた。今夏にはすべて置き換わるよう
で混在運用は今しかないと思う。
多分もういかないと思うので205系を見る
最後になると思う。
お世辞にも場所も背景もよくなかった。
YOKOHAMA LINEの文字が入っている。
デビュー当時違うのは、先頭車のスカートぐらいか?
ともに2014年3月22日 中山~十日市場
撮影して帰るか、と思い撮影に臨んだ。
かつての踏み切りなどは住宅やフェンスが
立ち並び、また道路も整備が進み、遠い昔の
横浜線沿線しか頭になかった私にはタイムスリップ
したようだった。
まだ、というより一部残された田んぼから
逆光だったが流してみた。
運用開始した233系は以外にも結構な本数
が走っていた。今夏にはすべて置き換わるよう
で混在運用は今しかないと思う。
多分もういかないと思うので205系を見る
最後になると思う。
お世辞にも場所も背景もよくなかった。
YOKOHAMA LINEの文字が入っている。
デビュー当時違うのは、先頭車のスカートぐらいか?
ともに2014年3月22日 中山~十日市場
DF50なきあともう四国には足を踏み入れる
ことはないだろうと決心していた。
しかし、なんのイベントか覚えていないが
全国のジョイフルトレイン(当時の呼び名)大集合なる
ものがあり、北海道から九州までのリゾート列車
が四国へ集合することになり、再び足を運ぶことに
なった。
その中でJR西日本からの上陸列車の、あすか。
四国の吉野川を渡る風景だ。
偶然にも人も入って畑の煙も入っているが
今みればこれはこれでよいかなと思う。
大判のフィルムで撮影していたことで
美しさもあっていいのではないかと思う。
この数年後の多度津工場公開イベントを
最後に私の四国上陸はなくなった。
土讃本線 箸蔵~佃 1989年
ことはないだろうと決心していた。
しかし、なんのイベントか覚えていないが
全国のジョイフルトレイン(当時の呼び名)大集合なる
ものがあり、北海道から九州までのリゾート列車
が四国へ集合することになり、再び足を運ぶことに
なった。
その中でJR西日本からの上陸列車の、あすか。
四国の吉野川を渡る風景だ。
偶然にも人も入って畑の煙も入っているが
今みればこれはこれでよいかなと思う。
大判のフィルムで撮影していたことで
美しさもあっていいのではないかと思う。
この数年後の多度津工場公開イベントを
最後に私の四国上陸はなくなった。
土讃本線 箸蔵~佃 1989年