ゴマと暮らす

非常に可愛いダンナと暮らす日々。
私の結婚生活はこんな感じ。

寝起き

2008年02月27日 | 当直ナイト
おとといの朝、
夫が私を起こしたとき、
私は目をパチクリさせて
関西弁で、
「なんや、夢かいな」
といってまたスースーと寝たらしい。

え~~~~~~、覚えてないよ。
夢じゃないよ!!!

スマイルライン

2008年02月25日 | Weblog
祖母が亡くなったので、実家に帰っていた。

もともと夫婦二人でこの週末(22日~24日)に帰る予定だったが、
20日に危篤のしらせを受けて私だけ21日にくりあげた。

ばあちゃんが胆嚢というわかり難い箇所の癌で、
もう余命いくばくもないということを聞いたのは一ヶ月前のことだったから、
そのあいだに子供や孫やひ孫や親戚は、心の準備ができた。

最期は3年間お世話になったグループホームの代表の方が、
ターミナルケア(人生の終末期を穏やかに迎えるケア)を申し出てくださって、
本人らしさを残して、数日前まで「風邪ひとつひかない」といつもの調子でうそぶきつつ、かわるがわる訪れる訪問客を喜んでいた。
もう、いよいよあぶないと聞いたとき、
私は長男の嫁である母を助けに帰るつもりだったから、
ちょうど、飛行機が福岡空港に降り立って、
「もう帰ってきてるよ」と空港バスに乗って母に電話をしたすぐあとに、
祖母が静かに息をひきとったことをきいたとき、
ああ。待っていてくれたんだ、と思った。

ばあちゃんは最期にいいことをした。

これはみんな言っていたし、
私もそう思う。

なくなるまでの一ヶ月にすべての親戚がやってきた。
そして、仮通夜、通夜、葬儀と続く中で、
ばあちゃんの5人の子供たち夫婦、その12人の孫、10人のひ孫と大勢の親戚(ばあちゃんのいとことか姪とか)が一同に会した。

私の夫、ゴマも、22日の通夜に間に合ったが、
迎えにいった車の中で、
「うじゃうじゃいるから覚悟してね」と言ったとき、
ゴマはたぶん自分の親戚の2倍くらいだろうと覚悟した。
家に着いて、「ただいまー」と玄関を上がったら、
もう酒盛りに入っていた皆が、大拍手で迎えてくれた。
(これには私もおどろいた。照れくさくて恥ずかしかった)

あとでゴマさんは2倍じゃなくて6倍だったと言っていた(笑)。


私はばあちゃんの長男の長女だが、
父はわりと後で結婚したので(14歳離れた母の大学卒業を待っていた、ということだけど、たんにモテなかったというウワサがある)
私たち兄妹にはたくさんの年上の従兄姉がいた。
一番上の従兄弟の惣領は、もう45歳だってさ!!
名古屋にいる、うちのダンナと同じ名前のYちゃん、奥さん子どもも含めバスケ家族だ。
その長女はもう17歳だってさ!!赤ちゃんの時しか覚えてないよ!
長男はバスケで滋賀の高校に進学して寮生活をするんだって。大阪に近いからよろしく頼まれた。大歓迎だ。

うちの親戚は、なにかあると一同が集まってたな。
うじゃ、うじゃ、と人が大勢いて大人は酒を飲み子ども達はわーわー走り回ってはしゃいでる中で、私は黄金の少女時代を送った。

Nにいちゃんが私を川で溺れさせたとか(絶対言うなよ、言わんでくれ!頼む!と約束させた)(でもうちの母も弟を溺れさせたし、私も妹や近所の子を溺れさせかけた)、従兄弟の一番上のYちゃんは、私がうまれたとき、
ああ、この赤ちゃんは眉毛がつながってるなぁ。と思った話とか(大ヒット)、
従兄弟何人かで外で遊んでいるときに、
石を軸にしてその辺にあった長い板の片方に私(なぜか私)をのせて、
もう片方にあとのみんなで勢いをつけて乗ってみたら、
私がピュ~~~~ンと空中に弧を描いて飛んでいって(これを話す時Nにいちゃんは今でも笑いをこらえきれない。私もだ)、
飛んで落ちたところに大きな岩があってそこで鼻をうって鼻血がブヮーーー!!!!!!と出て小さな私は大泣きしたんだけど、とくになんてこともなかった。もちろんNにいちゃん達は大人に火が出るほど怒られた。
でもまた懲りずに遊んでもらってた。
お正月に近所のセメント工場で遊んでいて、
固まりかけのセメントの池の上を、私たちみんなはバランスよく渡るんだけど、
Kねえちゃんだけがズブズブ沈んでしまい、靴も方っぽ脱げて、腿までセメントだらけになって帰って怒られたこともあった。すっっっごく面白かった。

いつかのお正月に、
中学生のTにいちゃんが金髪リーゼントにしてやってきた。
小さい私たちは遠巻きにして見てたけど、Tにいちゃんは私たち小さい子には変わらず優しかった。そのときの集合写真にもちゃんと一緒に写ってる。
今、そのTにいちゃんには3人の子どもがいて、
長男は中3、勉強大好きですごく頭がいい。その長男が受験に合格したときに、Tにいちゃんは手放しで喜んだらしい。
うちによく遊びにきていた長女のまりんは中1、ひ孫代表で「おおきいばあちゃん」に手紙を読んだ。会場全体が涙をこらえ切れなかった。
Tにいちゃんは「順子(私は長男の子どもだから孫代表だった)の時にもうあぶなかったけど、まりんでもう限界で、もう立ってられないかと思った」と後で言ってた。


黄金期を過ごさせてくれたYちゃんにいちゃん、Tにいちゃん、NにいちゃんやHねえちゃん、みんなと、久しぶりに会えて、夫ゴマも加わって一緒に違和感なく大人として話ができたことがとてもうれしかった。


Tにいちゃんは自分のやんちゃだった頃の話を子どもにされるのを嫌う。
口は悪いが、めちゃめちゃいい人だ。
優しくて、世の中のことをすごくわかってる。
顔は怖いがめちゃめちゃいい人だ。

Nにいちゃんはゴマになんかわけわからん名前のプロレスの技をかけられて、
ギブアップしてた。悔しがってリベンジしていた。めちゃめちゃ嬉しそうだった。

私たちにもし、子どもがうまれたら、
カブトムシを採りに連れて行ってくれる人が、二人できた。


ばあちゃんは、最期にとてもいいことをしてくれた。



ちなみに、Tにいちゃんは、
ポルノグラフィティのボーカルを思い切り怖くしたような顔だ。


スマイルラインという、ほのぼのした名前の運送会社を最近立ち上げて軌道にのってるらしい。



Hi5

2008年02月18日 | 当直ナイト
当直ナイトがやってきた。
もともとこのブログは当直の夜のために始めた。
結婚して、私は生活がかなり変化したから、
その変化した部分をたのしんだり、
変わらない部分を確かめたり、したかった。
まあ、それは本当いうと後付けな理由で、
始めた動機は、とにかく圧倒的に当直の夜が心細かったこと。
当直というものはたいてい「当直明け」というものがあるようで、
夜勤するかわりに翌日の朝には帰れるというイメージがあったが、
ゴマさんの場合は、翌日も引き続き通常勤務がある。
まる二日近く、家を留守にするわけで、
本人も、妻も、けっこうダメージなので、
私たちは今も、何とかダメージを減らそうと工夫をこらしていて、
試行錯誤の日々だけど、一年くらい経った今、けっこううまいこといくようになった気がする。
私の「当直のおとも」も、いろんな分野にわたってきている。


でもほんとに、生活が変わった波に押されて忘れかけていたことを気づかせてくれた友人の存在はとても大きい。
書いたり、話したり、表現したりすることは、欠かせないことでとっても大事なことだった。日々の暮らしと同様に。
彼女たちや、彼たちがいたから、
私は自分にとって大切なことが、独身でも結婚してもかわらず続いているのだという、嬉しい事実に気づくことができた。


それにしても最近になってやっと言葉にできた=はっきり自覚できたことがわりとあって、
そのひとつなんだけど、

独身時代、私は漠然と「結婚したらきっと幸せで余裕があるんだろうなぁ」
と思っていた。でも、
私たち、初めてのことばかりで、幸せだけど余裕なんてなかった!

という事実に気づいた。ほんと最近。
周囲や自分との葛藤はほとんどこのギャップからうまれてたような気がする。


まぁともかく、今夜は当直ナイトなんだ。


Hi5のことを書こっと。
ちょっと前なんだけど、
エクアドルにいた頃の、大好きな友人から、
Hi5のお誘いをうけていた。
私は最初ウィルスかなにかだと思って怪しんでたけど、
ネットで調べたらmixiの世界版みたいなものだとわかり、
mixiのほうは苦手で未だに使い方よくわかっていないんだけどちょっと覗いてみたところ、これけっこう楽しくて、私も始めてしまった。

http://ritmo21.hi5.com

私がエクアドルと南米にいたのは2002年の一年間だからもう5~6年前になるんだけど、当時14歳だった、私の大好きな友人の娘のおませなカティ(Cathy)が、もう19歳ですっかりお年頃になっていて100人くらい友達をつくって青春なやりとりをしていたりするんだ!すごい感慨深い。
まぁカティからすれば、
「失恋したり痛い目に遭ったりして私のママの胸で泣いてたあのちっちゃなジュンキートが、結婚したんだなぁ~」と感慨深く思ったりしてるかもしれないけど!

彼女が最近贈ってくれたカード。

"Las personas dejan huellas en tu vida,
los amigos,las dejan en tu corazon
(人々はあなたの人生に足跡を残し、友人たちは心に残していく)"


彼女の母親であり、私のスペイン語の先生であり、のちに大切な友人となった、
Cisa(シッサ)は、実は私と同じ誕生日である。
日付は一日彼女の方が早いんだけど、エクアドルと日本とは14時間の時差があるので、実は同じ日なんだというややこしい偶然の一致に、気づいたときはちょっと興奮した。

CisaがHi5にくれたメッセージに、
私も忘れかけていた大事な思い出のことが触れてあった。
彼女はそのことを今もとても、大切にしてくれていた。


南米滞在の後半で、私は旅をした。
ナスカに行ったときに、
地上絵を観察するための高い塔(ミラドール)の上で、
ペルー人のガイドとアルゼンチンから単車に乗って旅をしている男の子二人と、日本人の女の子である私、の4人がたまたま一緒になった。
その塔は地上絵の研究のためにドイツ人の女史が建てたもので、現在その一部が観光客にも開放されているが、けっこう急な階段で高さもわりとあるので、その時一緒に旅していた私の連れは上まで登らなかった。
研究用に建てられたものなので大人が4人も立てばぎゅうぎゅうになるような、そんな塔の上で、私たち4人が偶然、全員「射手座」であることを知ったとき、ペルー人のガイド(名前はJesus:ヘスス)が印象的な話をした。
これは射手座以外の人にはあんまりおもしろくない話かもしれないので(?)ここでは詳しくふれずにおくけど、
エクアドルに帰ったとき、私は親愛なる射手座の人、Cisaにこの話をして、
ナスカの地上絵で射手座のシンボルと現地の人に信じられている、
ハチドリの姿を象ったネックレスをプレゼントしたのだった。


Cisaはこのときの話をずっと覚えてくれていてそれを大切にしてくれていた。


宝物を、見せるのは私にとっては勇気がいる。
それが大事であればあるほど、
見せられる人は限られる。
私は、夫であるゴマさんに、私にとっての宝物のひとつをその数日前に見てもらって、大事な思いを共有していた。


ナスカの布と共にある私のハチドリのネックレス。
ガイドの名前がJesusだったってことはこの際気にせずにおこう!!



エクアドル日記:番外編

2008年02月17日 | Weblog
学校から少し辺りをぶらぶらし、
カフェでケーキとカフェコンレチェ(牛乳たっぷり入りコーヒー)を頼んで、ファミリーのことについて考えながら日記を書いた。
レジで代金を払っていると、レジのお兄さんと、年配のおじさん(すてき)が、
「De donde eres?(どこから来たの?)」と聞いてきて、日本人だと知るといろいろと話しかけてきてくれて、話に花が咲いた。
カフェのお兄さんは日本のCDを持っていると言ってかけてくれた。なんと「マジンガーZ」だった。こんなところで聞けると思っていなくて、うれしかった。エクアドルでも「マジンガーZ」をTVで放映しているらしい。
そして年配のおじさんは日本に20年前に住んでいたことがあり、日本を
「Super Lindo(スーペルリンド:素晴らしく素敵)」だと言っていた。
東京、大阪、京都、広島・・・
「日本人の友達もたくさんいるよ、TOMOOKA,KAMEI,INOUE・・・」

日本は美しい国で、人々はとても知的で才能にあふれている。日本は本当にいい国だ。大好きだ。

エクアドルという外国で、自分の国のことをこんなにほめてくれる人に出会えたことは、私にとって心が熱くなる出来事だった。

なんとなく、私は日本のことを そう良く思ってなくて、
この国で日本のことを誰かに話す時、否定的・批判的にばかり話していたような気がする。
遠慮とか、謙遜とか、日本人の特徴で、外国では受け入れられない部分ばかりが思い浮かんで、日本人であることに誇りを持てなかった。
けれども、世界に輸出されて人々に愛され 愛用されている、機械や製品、車、バイク・・・物(もの)づくりの国として誇れる部分だ。
日本人は、少しだけ不器用でアピールが下手なんだけど(あくまでも私の独断と偏見)、
世界に誇れる、素晴らしいものをたくさんたくさん持っているはずなんだ。
日本人である私は、誰よりも その素晴らしい部分を理解して 日本人であることに誇りを持って、周囲にアピールしていくべきなんだ。

私たちの持っている能力、温かい人柄、人間としての魅力を、無理することなく自然にアピールできると思う。

私としてだけでなく、日本人として...。今日初めてそう思った。




                                   (2002年3月23日の日記より。)

サボテンにチクッと

2008年02月01日 | 日々のつれづれ
いやぁ~。。。

やってしまった。ごめんなさい。
朝起きたら、隣に誰もいなかった。
誰もって言ってもダンナと二人暮らしやから、
ゴマさんがいなかったんやけれども。

その代わり、気分がめっちゃ爽快やった。

「ゴマ~」呼んでも返事あるわけない。
もうゴマさんはとうに仕事に行っていた。
あーーーーー!記憶さえない。
お弁当も持たせずに、見送りもせずに・・・。
せつないってこういうことかしら。
こういうことがあってはいけない!ほんとになんてことだろう。。。

でも、気分は爽快やった。
前日の夜から一度も目を覚まさないまま、
深~い、気持ちのいい、眠りを何にも邪魔されずに
(あとで聞いた話だとダンナさまは起こしてくれたらしい)
(私はにこやかに応答したらしい)、ぐっすりと眠る幸せ。。。
このブログ、ダンナはたまに見るけど、それを承知で言わせてもらえば、
ほんともう最高に幸せでした。


な~んて、思いながらうちの植物たちに水をやっていたら!!!!

サボテンが!転げた!!!床に!そして私の素足にチクッと!!!!!

これってパニッシュメントかもしれない。。と思いつつ再び反省しました。
ゴマさん、本当にごめんなさい。

以後、本当に気をつけます。


でもさぁ、一週間に当直3回はいくらなんでも多すぎよ!
・・・と関係のない愚痴で矛先をそらす。
ごめんなさい。もうパニッシュメント、イラナイ。