徒然なるままに~のんびり、ゆったり、こまやかに

猪突猛進型の60代。そして卵巣がんですっ転んで8年。目指すはのんびり、ゆったり、細やかな生活!無理かなー(#^.^#)

飼いネコは忠犬ハチ公を超えられるか???

2017-10-28 09:18:20 | 団塊世代夫婦の一コマ
家にはムサシ・ザ・キャット、
13歳が同居している。
ムサシの名は「宮本武蔵」さまの「武蔵」から頂いた。
が、「武蔵」さまには程遠く、
いつの間にか「武蔵」から「ムサシ」へ。

妹のところには
「小次郎」と「小雪」という、
ムサシと半年違いの猫がいる。

この猫たちの命名のときも、
うちが「武蔵」だからということもあって、
「じゃ、小次郎にしちゃおうか」ということで
雄の茶トラは「小次郎」に、
メスの茶白は、
「『お通』にしたら、やり過ぎよね」、
ということで「小雪」になった。

その後、武蔵は結局ムサシに、
小次郎も結局コジロウになった。

なんたって二匹とも、
もう、とっても臆病。
漢字の武藏と小次郎には程遠い。
来客があれば、
家のどこかに身をひそめてしまう。
ともかくビビリンなのだ。

ところで、今回私は3週間以上も
不覚の入院をしてしまった。

その留守宅でのお話。

ムサシは私がいなくなってから、
丸三日間、玄関に座って、
一日中、じっと外の方を見ていたという。

三日経って、あきらめたのか、
もう玄関に座ることはなかった。
その代り、なんとなく落ち着かない様子が続いていて、
娘たちが「ムサシ」が可哀想と言ってきた。

そうだ、きっと夫との相性の問題に違いない!
夫も新しい事態には弱いタイプ。
私には平気といっているけれど、
結構家では緊張しているのだろう。
だからムサシもなおさら落ち着かないってことかな?
なんて考えていた。

私が戻ると、ムサシは元のムサシに。
家の中ではのんびりの、いたずら坊主に戻った。

そんな話を妹と電話で話した。
そうしたら、
「まあ!ムサシちゃんは3日間頑張ったのね。
うちで前に飼っていたトラは死んじゃったのよ」(妹)

「えっ?」(私)

「ちょうど私がね、中東に駐在している夫のところに
3週間出かけたの。その時のことなんだけど・・。

家には息子が留守番でいたのだけれど、
私が出かけてから、トラは家に帰ってこなくなったの。
息子は近くの駐車場でトラを見かけることはあるって
言っていたわ。でも家には帰ってこないのよね。

ところがね、私が帰宅した1時間後に
どこで見ていたのか、トラが帰ってきたの。
そのときはね、もう、骨と皮にやせちゃってね。
それからほどなく亡くなったのよ」(妹)

「えっ、そうだったの」(私)

「そう、だから飼い主がいなくなると
死んじゃうってこともあるのよ」(妹)

「なるほどねえ」(私)

と、そんなことを電話口で話し合った。
妹はさらに続けた。

「夫が定年になって家にいるでしょ。
私もいつも家にいるのではなくて、
時々家を空けるじゃない。
そうすると、コジロウが玄関で、
外に向かって、ずーっと
ミャーミャー泣いているんだって、
夫が言うのよ。
T子が帰ってくるのを待ってるんだなって」(妹)

「え、そうなんだ」(私)

なるほど・・・、
わが家と妹の家の猫たちは
どういうわけか、私と妹にくっついているんだ、
ということがわかった。

ムサシは3日間だけだったけれど、
それでもいなくなった主が帰ってくる方向を
ずっと見ていた。
トラに至っては、主がいない家には帰らず、
主が戻った時には既に生きる力がなくなっていた。

忠犬という言葉は聞くことはあっても
忠猫という言葉は聞いたためしがない。

でも猫だって、異変を感じる。
わが家は3日間の忠猫生活、
でもトラは命を落とした。

忠犬ハチ公の忠義とは質は違うけれど、
ネコも見た目よりは太い絆で
飼い主と繋がっているのだなって、
そんなことを思った
忠猫風景でありました。






イレウス体験記②-若者のチームワークって凄い!-

2017-10-24 09:53:44 | 私のデフォルト
イレウス(腸閉塞)の疑いで緊急入院。
それから4日様子を見たが、その診断が確定。
この4日間はおなかが張って苦しかった。

診断が確定したら、
やらなくてはならないことがある。

イレウス管の挿入だ。

主治医はそれが大変だら、
様子を見てなんとか
挿入しないで治るかもしれないという
可能性に賭けてくれていた。

しかしそれは夢に終わった。
その日の夕方、イレウス管挿入となった。
時間は30分から1時間くらいとのこと。
透視撮影をして中を見ながらやるとのこと。

鼻から出来れば170㎝位挿入したいとのこと。
へええ、どんなふうにやるのかな・・・。
と暢気に構えていた。

連れていかれたところ、
そこは大腸外科の透視できる装置のある部屋。
要するに挿入したものがちゃんと入っているかを
エックス線で透視できるシステム。

胃カメラや、大腸内視鏡を入れるのと同じ感じだが
ちょっぴり大掛かりな感じ。

と、そんなことを考えてキョロキョロしていると・・、
看護師さんに、
「じゃあ、鼻から麻酔を入れるので、一緒に息をして」
とか言われて、
スーッと吸って、ゴホゴホっとなった。

麻酔が効いたころを見計らって処置は始まった。
医師は2人時々3人。

鼻から入れた瞬間はさすがにアッという感じだが、
あとはスーッと入っていった。

が、それからだ。
なんせ胃を通り抜けて、
小腸まで入れようっていうのだから
長い道のりだ。
目標は1.7~1.8メートルらしい。

さて、少し入れては胃を揺すって、
入れてはおなかを揺すって・・・
という感じに私には思えた。

その揺すり方というのが尋常ではない。
揺すっているっていうか、
叩いているっていうか。

もしかしたら、叩かれると
私の神経がそこに集中するから、
グニュグニュと入っていく管から
注意はそがれることになる。

俎板の上のコイになりながら、
そんなことを考えた。

ところが、途中から入りにくくなったらしい。
私から見れば若者の医師たちが
こっちからかなあ、
いや、こっちの方が入りやすいか・・、
いや、、
というように、悩みながら、
2人で、時に3人で相談しながら
入れる角度を考えているようだ。

途中何回も写真を撮ったし、透視はされているし・・。
なんだか私は「ゴジラ」になってしまいそう!
なんて思いながらいると・・、

どうしても目標に10㎝、20㎝足りないらしい。
エックス線の被ばく量から逆算すると、
この処置は最長1時間と決まっているらしい。

もうすぐその時間になるようなのだ。

結局、少し足りないまま処置は終了した。
が、私はなんだか達成感でいっぱいの気持ちになった。

イレウス管の威力はすごい。
このおかげで、どんどんお腹の張りがとれていった。

しかし3日後、
やはり、残りの20㎝を入れたいということで、
また、透視撮影室で俎板の上のコイに。

ここでも3人の若者医師たちのチームワークで、
入りにくくくねくね曲がっている私の小腸を
だましだまし、なんとか、
これも1時間かかって達成された。

このおかげで以後順調にお腹の張りはすべてなくなり、
挿入から8日でイレウス管を抜くことができた。

絶食終了。
これからゆっくり口から食べる修行が始まった。

なかなかうまく前に進んでくれなかった
私のイレウス管。
それを何とか入れようと角度を検討したり、
なんやかやとその若い医師たちは話し合い、
知恵を出し合いやっていた。

その様がなんとも気持ちよかった。
レントゲン技師に対する態度も丁寧で、
医師に時々ある高慢ちきさは微塵もなく、
ひたすら一生懸命、今の仕事に向き合っている感じ。

彼らは大腸外科が専門。

私の主治医は婦人科だが、
この腸閉塞が治まるまでは、
大腸外科が担当となる。

それは、緊急入院した直後に、
婦人科、大腸外科、感染症科の
連携治療対象となったのだった。

その連携が、アッという間にできるところにびっくりした。

さらに麻酔はほぼなしの状況での処置だったので、
若い医師たちのチームワークの良さというか、
徹底的に話しながらやる様子を
自分を提供してではあったけれど、
間近に観察できたことは、とても面白かった。

この医師たちが、このままスクスク
柔軟な人間関係力を持ちながら育っていくことを
なんだか心から祈ってしまった
イレウス管挿入体験なのでした。





やっと、家に戻ってきました!-イレウス体験記-

2017-10-21 09:41:59 | 私のデフォルト
やっと、家に戻ってきました!

ふー、なんと3週間以上が経っていた。

それは急に始まった。
腹痛と吐き気。
夜中のことだった。
少し我慢すれば治るかなって思ったが、治らない。

ええい、仕方がない、救急車だ。
となりの夫を叩き起こして、救急車を頼んだ。

そして、30分以上かけてかかりつけの病院へ。
救急車はガタゴト揺れる。
こんなに揺れたら、
重病の人は耐えられないんじゃないかと思うくらい。
私も吐いてしまった。

かかりつけの病院についてからは
テキパキテキパキっと事が運んだ。

レントゲン、点滴、そしてCTまで撮って
病室に運ばれた。
それも一人部屋。
うんうん唸ってしまうのだから仕方がない・・。

頭ははっきりしているのだけれど、
腹痛のせいで、見た目はうんうん唸っているおばあさんの体(てい)。
まあ仕方がない。

ともかく病室で唸っていた。

要するに、詰まってしまって、出るべきものが出ない状態。
こんなに苦しいなんて知らなかった。

7年前に手術して以来、
主治医はいつも「腸閉塞にだけはならないように!
腹7分目、いや6分目だっていいんだよ。
よく噛んで食べてね。
お腹を切った場合は、こういうことが起こりやすいんだからね!!」
と、ことあるごとに注意されていた。

最初こそは気をつけたものの、
もともと胃腸が丈夫で、大食いで早食いの私。
いつの間にかいつもの早食いに戻っていた。
それでも何事も起こらずに7年過ぎた。

だから、もう慢心状態。
この異変が起こる1週間くらい前から、
ちょっと食べ過ぎかなとは思っていたけれど、
胃腸の異常はないし、たいして気にも止めていなかった。

そして、急に激烈な痛みがきたのだった。

あーあ、大失敗。
しかし、時すでに遅し。

病室で、それでも少しづつ落ち着いてきた。
医者の見立ても、便秘かなということで
一週間以内の退院を予想していた。

しかし、様子を見ているうちに、
みるみるお腹が張ってきた。
張ってくると、息が苦しい。
肩で息をするようになってしまった。

つまり、普通の便秘ではなかったのだ。
医者も、こういうことが起こることを想定して、
様子を見ていたようだ。

そしてそれが当たり、とうとう
「イレウス(腸閉塞)です」と言い渡された。

そうなると、イレウス管という管を鼻から通して、
溜まったものを上から出す処置をしなくてはならない。
それを装着することも決まった。

それは、透視しながら鼻から入れていく。
私の場合は1時間かかった。

大腸外科の若者の医者たちがチームで取り組む。
その姿は清々しかった。

が、やられている私は、なんともはや俎板の上のコイ。
やっとこさっとこ、1.5メートルほどが挿入された。
本当はあと20㎝入れたいらしい。
ダメだったら、もう一度奥に入れることをやるという。

この装置は鬱陶しいが、効果は覿面。
溜まっていたものを排出してくれるので、
どんどん楽になっていった。
少しずつお腹の張りも取れ、普通になっていった。

絶食することほぼ2週間。
それでも生きていられることを体感した。
ただ、ずっと管人間でいる体験も。

断食の人と同じで、はじめは回復食という
ジュースが食事の代わりに出される。
それをちびちび飲む。

それでOKとなると、重湯食。
重湯にあった酸っぱい味、甘い味、塩味の
流動食もでる。
それ30分掛けて飲めという。

え、30分!
そんな長い時間かけるの?・・・。
でも時計とにらめっこしながら30分かけて飲む修行。

それが終わると半人前の五分がゆとそれに見合ったおかず。
それも30分かけて食べる修行。

これがクリアできると、
今度は半人前の全粥食。
これをやはり30分かけて食べなくてはならない。
数日間、これを訓練。

そして、腸の具合が戻っていることが確認されて、
晴れて退院となった。

しかし、一日5回食が今のところの基本。
いっぺんにたくさん食べることは禁止だからだ。

家に帰ってからもこれを守るようにと
しっかりした栄養指導が入った。

そうだったのか。
私はやっぱり自分を過信していた。
がんに軒先を貸しているということは、
それだけハンディがあるということだ。

それを知ってはいたけれど、
ハンディなんてないわとばかりに
普通に動き過ぎたのだ・・・、
というのが今の私の結論。

しばらくはスローダウンしてやっていこうと思う。
30分かけて食べる食事修業は、まだまだ続くのでした。