2020@TOKYO

音楽、文学、映画、演劇、絵画、写真…、さまざまなアートシーンを駆けめぐるブログ。

私の好きな歌-12 「主よ、憐れみたまえ」 / マグダレーナ・コジェナー

2008-06-05 | ■私の好きな歌
  
  アンドレイ・タルコフスキーの遺作「サクリファイス」は、バッハの「マタイ受難曲」第39曲“主よ、憐れみたまえ”で始まる。長いオープニング・タイトルを、このアリアが哀しく、美しく先導する。

  タルコフスキーの「ストーカー」では、主人公がこのアリアの一節を口笛で吹く場面がある。「ストーカー」を初めて見た頃は、まさかこのアリアが「サクリファイス」に受け継がれるとは思ってもみなかった。

  このアリアは、レチタティーヴォ“ペテロは外の庭に座っていた”に続いて歌われる。ペテロはイエスと共に囚われの身となりながら、イエスなど知らないとシラをきる。ペテロが三度、イエスを知らないと誓ったとき、傍らで鶏が鳴くというシチュエーション。イエスはすでにこの状況を予言していた。『あなたが私のことを知らないと3度言ったときに、鶏が鳴くだろう』。

  “主よ、憐れみたまえ”、名曲「マタイ受難曲」の中でもとりわけ美しいアリア、全曲盤で聞くのが一番良いのだろうが、私はチェコのメゾ・ソプラノ、マグダレーナ・コジェナーの歌で聞くことが多い。結果的に彼女の出世作となったCD、" BACH ARIAS " (バッハ アリア集)の4曲目に収録されている。

  このCDはアルヒーフからリリースされていて、コジェナーの歌もさることながら、音質の良さで定評がある。実際、私はオーディオのレファレンスCDとして活用しているが、伴奏を受け持つ古楽器アンサンブルの粒立ち、ずばりセンターに定位し、細かいニュアンスが聞きとれるメゾ・ソプラノのソロには感心した。そして、何よりも測定装置が証明する良い音ということではなく、音楽の真髄を伝えるような雰囲気のある録音に、私は多大な共感を覚えるのだ。

  
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地上デジタル放送 レグザ REGZA ハイビジョン バルディア

2008-06-01 | ■エッセイ
  
  映画は映画館で観るものだし、北京オリンピックなど何の興味もない…となれば、大型テレビは必要ないはずだ。

  というふうに考えて、私はDVDの仕事をしていながら、自分の部屋のテレビは9インチ、居間ですら20インチのアナログで通してきた。

  しかし、何の脈絡もなく、地元のイトー・ヨーカドーで37インチの液晶テレビを購入してしまった。動機はいまだにはっきりしないが、心のどこかで、自分だけが世の中から取り残されていく恐怖を感じていたのかもしれない。

  それが先週の日曜日、翌日には仕事の帰りがけに、これまた地元のヤマダ電機でハイビジョン・レコーダーを購入した。購入動機ははっきりしている。せっかくハイビジョンのモニターを設置するのだから、レコーダーも高品質でなければならないと考えたからだ。

  じつは、大型テレビなど必要ないなどとウソブキつつ、結構これについての記事などは読んでいた。しかし、個性豊かなオーディオ製品などと異なり、いわゆる家電は、どのメーカーも優秀な技術者がいるだろうから、品質的には五十歩百歩、あとはデザインで決めるだけ…というのが持論。デザイン、映画の再現性、音質、機能性、操作性など、もっともピンときたのが東芝のレグザなので、イトー・ヨーカドーの店頭で安売りコーナーに晒されているレグザの姿を見つけたときには思わず「これください!」と叫んでしまった。何の説明を受けるわけでもなく、値切るわけでもなく…これには店員さんも驚いただろう。

  というわけで、録画機材も当然互換性のよい東芝となった。

  昨日、レグザが届いた。私は技術の進歩に目を見張った。これは、全く別物である。2011年にすべてのテレビ放送がデジタル化する(アナログ放送がなくなる)そうだが、当然である。真冬に温かい居酒屋へ飛び込むとメガネが瞬時に曇る。デジタル放送に比べると、アナログはこの曇ったメガネと同じである。

  BSハイビジョンの精彩さ!刮目して見るべし!何より驚いたのは、かねてから言われている双方向性。クイズ番組などへの視聴者参加という意味があるようだが、スカパーについての問い合わせを画面上で行った結果、PCに回答が届いた。

  何と言う世の中だろう。テレビでこの変化である。私が知らないうちに、世の中はもっともっと進歩しているのに違いない。気をつけねば!
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