茶道と仕事力~千利休とスティーブ・ジョブズに魅せられて

茶の湯の心と茶道の基本、出会った言葉やその日の出来事から、気付いた事をつづります

“茶の湯”と“茶道”の違い

2010-03-08 22:57:03 | お茶のはなし
茶道って言ったり、茶の湯って言ったり、その言葉の定義は同じでしょうか?
ということで、今回は精神論の話です。

「茶の湯とは、ただ湯をわかし茶を点てて、のむばかりなることと知るべし」と
千利休が言ったそうです。つまりこれが“茶の湯”の定義です。

お茶を振舞う亭主と、招かれた客とが心を通い合わせた状態の、一期一会をお茶
では大切にします。一期は一生、一会はただ一度の出会いです。 茶席で何度同じ
人々が会するとしても、今日の茶会はただ一度限りの茶会であるから、亭主も客も
ともに思いやりをもって取り組むべきというわけです。このような気持ちを持って
さえいればお茶を楽しめるというものです。
ということで、どなたでも、初めてのかたでも、体験でもwelcomeなのです。

一方、茶道はというと、単なる娯楽ではなく宗教の根本的な考え方に通じる、
人の心を養い、人間の価値を高めるための一つの教えとして学ぶものだそうです。
特に禅で教えられる精神を基にしていますが、禅の精神は、一点の非も見逃さぬ
ような鋭さをもちながら、悠々迷わず一直線を進み、その一歩の歩みの中に自己の
心の中を深く見つめ、磨いていく。というものと記載されているのを見ました。

というわけで、しっかり茶道を学ばれようと思われる方は、自己の修練の場として、
一つずつ作法を習得することを通じて、精神を鍛えてください。

お家元、千宗室は
『一碗のお茶をまず自分が楽しみ、そしてその一碗をお人と分かち合う一期一会
の機会をもつことが“茶の湯”。一方、茶の湯を楽しむ一人ひとりが立ち止まって
自分の歩んできた道を振り返った際に、その道が利休居士に続いているということ
を確認すること、それが“茶道”なのです。』と書かれています。
(淡交タイムズ2009年12月号巻頭言から抜粋)
http://www.urasenke.or.jp/textm/headq/soke/times/times200912.html

“茶の湯”と“茶道”という語が普通に共存しているところからも推察されるよう
に、ある時は楽しく・ある時は厳しく、自分の中でバランスをとればいいのだと
思います。

この考えを応用すると、合コンの企画も、取引先VIP接待のコーディネートも、同じ
に出来ますよね。(私流の発想です。茶道家からは叱られそう。)