炎と水の物語 2013 Apprehensio ad Ignis et Aquarius.

広大な宇宙を旅する地球。私たちは今、どの辺にいるのでしょう. 

せっかちな 「 縄文稲作論 1 」

2005-07-20 | 休憩室
数日前の朝日新聞が、第一面で縄文中期の稲もみの痕跡のある土器が、熊本県で発見されたと報じていました。日本最古の稲もみ痕だそうです。にわかに「縄文稲作」が取りざたされていますが、冷静に、物事を覚めた目でを考えてみたい。

世界一般に、土器の製作の開始をもって、新石器時代、すなわち農耕のはじまりを意味していますが、日本の土器は世界最古級にもかかわらず、縄文時代は、採取狩猟の時代とされてきました。
幸い、最近は科学も進み、縄文人のDNAが、東南アジア~中国南部~ハワイオセアニアのマレー語系の人々の DNA に近いことが、証明されています。
それでは、縄文人の源郷、東南アジア(ベトナム北部~中国南部)の人々は何を食べて生活していたのでしょうか。

それは、タロイモを主食とする根菜農耕文化であることは明らかです*。ベトナムでは、7千年ほど前から、ニューギニアに至っては、**一万年前から、タロ芋栽培の証拠が、見つかっています。また、土器にも縄目紋( cord marked、訳すと縄文 )がついていて、最古のものは9千年前に遡ります。

縄文人が日本列島に渡来したとするならば、彼らも似たような文化を携えてきたと考えるのが、妥当と思うのです。いきなり、縄文人を稲作農民に仕立て上げるのは、歴史を逸脱した無謀な行為ではないでしょうか(^^;

ちなみに、ベトナム~中国南部で、本格的に稲作がはじまるのは、3千5百年前からのことです*。   つづく....

-参考-

『東南アジアの自然と土地利用』高谷好一 勁草書房 1985年
『東南アジアの考古学』 同成社 1998年
『台湾考古民族誌』国分直一

**The evidence reported June 19 on the Science Express website by Tim Denham, an archaeologist at Flinders University in Adelaide, Australia,
"People were definitely exploiting plants, including taro, at Kuk Swamp approximately 10,000 calendar years before present," said Denham.


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2 コメント

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私のBlogへのコメントありがとうございました。 (ちょも)
2005-07-21 22:32:55
稲作にこだわらず縄文農作を考えてみる必要がありそうですね。お勧めの書籍、是非手に取ってみたいと思います。
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よろしくお願いたします。 (U-1)
2005-07-21 22:52:37
ちょもさん、ようこそ。

佐藤洋一郎『稲の日本史』、ご紹介下さりありがとうございます(^^)。



縄文の稲が、弥生の「温帯稲」とは異なる、「熱帯稲」であること興味深いです。



向こうの島々では、芋を土の中で蒸し焼きにするのを「イム」というそうです。
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