れら工房BLOG

2004年の夏に引っ越して、れら工房をオープンしました。
ブログを始めて10年以上が過ぎました。

イタリア保養

2012-09-10 20:49:16 | 放射能汚染

今日私はふと、久しぶりに「チェルノブイリへのかけはし」のホームページを見ていました。
するとイタリアへ昨年の夏に日本から35名のこどもたちが保養に出発した記事がありました。

昨年の記事なのですが、多くの皆様に読んでいただきたくて、↓にコピーします。
詳細は「チェルノブイリへのかけはし」をご覧ください。

~~~~~~

イタリア保養出発

7月 27th, 2011

今日、イタリア保養に子どもたちが35名、出発しました。
泣いてしまった。

さんざんお話会で、汚染の話をしてきた自分が、こうして日本から避難していく子どもたちを見たときに、「やっぱり日本が汚染されちゃったんだ」と、現実をつきつけられて崩れてしまった。お母さんたちに泣いている場合ではないと言っていた自分ですが。
おかしな話だけど、それが、自分の認知のしかたなんだ…。
自分の娘が小学生だったころの姿を重ねて、子どもたちの親たちがいかほど心配を思っているかと思うとまた、涙がこみあげてくる。

ベラルーシの子どもたちの受け入れを毎年、毎年19年も続けてきて、受け入れては、元気になった子どもたちをまた汚染されたものを食べさせられるところに返し続けてきた。
苦しかった。自分たちだけ安全なところに住んで。
助けてあげられなくて、ごめんねごめんねと、ずっとあやまり続けていた。
ベラルーシの国のことは、ベラルーシ国民でなければ解決できないことだから。
私たちはただただ、受け入れるだけしかしてあげられない。

ゲートに入って、元気よく手を振って行った日本の子どもたちを見て、この20年間の活動がちっとも日本の子どもたちを助けることにつながらなかったのだと思うと、ごめんねと涙があふれてきて、胸の奥が痛くて痛くて、つらかった。
ごめんね、本当にごめんね。
みんな大人の選択のあやまちです。
子どもたちだって不安いっぱい。見知らぬ外国での生活。不安と期待。
単なる観光旅行だったらどんなに気楽だろう。

「イタリアではもう今はこんな時間」と腕時計をすでにあちらに会わせている子もいれば、イタリア語の会話集を2冊も用意してどっちがいいか思案している子もいる。
「眠れないから家に電話しようかと思ったけど、やめた…」と今朝、言っている子どももいました。
そして、大きな子どもたちが班長になって、小さい子どもたちを面倒みつつ、小さな手にパスポートを抱えて旅立っていった。

もちろん、イタリアでも心をこめて準備を重ねてくださっている。
JTBがついているわけではない。一つ一つ、道中のそのすべてが打ち合わせが必要になる。誰が手配する、車はどうする、などなど。

こんなメールがイタリアの担当されている方から来ました。
「すでにすごい反響です。イタリアのお母さんたちから『日本の子供達を預かりたい』という申し出が殺到し、在イタリア日本人たちからは『何でもいいから手伝いたい』と言われています。(嬉しい悲鳴)イタリアで心細い思いをすることもないと思います。」

日本の外にいる日本人の方が今回の事故のことを、冷静に情報を受け取れるだろうし、心配されているでしょう。多くの海外の方からのメールや、募金、はげましをいただきましたことをここであらためて報告させていただき、お礼を申し上げます。

保養運動は地球大の命のリレーです。
日本国内でももちろん、多くの地域で子どもたちの避難の受け入れが始まっています。誰でも、自分のところでも、どんどん避難させてあげてほしい。

そして、いつかきっと政府の責任で子どもたちの避難や保養が実施されてほしいと祈っています。
(後略)