ショーン・ペン監督の映画をDVDで見て主人公のことをもっと知りたいと思った。
原作のノンフィクション「荒野へ」(ジョン・クラカワー著、佐宗鈴夫訳、集英社文庫)を読んだ。
1992年、アラスカで一人の若者の死体が発見された。
彼の身元がわかってくるにつれて、マスコミに取り上げられ、
その生き方は人々の心を揺さぶった。
青年の名はクリストファー・マッカンドレス。
父は元NASAの研究員の裕福な家庭で育ち、
彼自身も優秀な成績で大学を卒業。
もしそのままエリートコースを進んでいれば、
また違った意味で有名になっていたかもしれない。
しかし、そういう真っ当に見える道を彼は選ばなかった。
大学院進学用に貯金していた多額のお金を全て慈善団体に寄付し、
クレジットカードも社会保険カードも焼き捨て、無一文で旅に出る。
トルストイやソローなどの著書に心酔し、
この文明社会に真っ向から疑問を持つ。
本名も捨ててアレグザンダー・スーパートランプと名乗り、
途中に出逢った様々な人に、
強烈な印象を与えながら・・・
時には激流をカヌーで、
なかなかつかまらないヒッチハイクで、
何日も腹をすかせて徒歩で、
あてどのない旅は、やがて彼を北の大地へと向かわせる。
4月。大した装備をないまま、まだ雪深いアラスカの荒野に彼は分け入った。
凍った川を超え、狩猟用に放置された一台のポンコツバスを見つけ、居を構える。
土地が与えてくれるものだけで生きる。
それが彼の目標だった。
たまにしかとれない狩りや、生えている植物の実などで飢えをしのぐ。
植物図鑑を研究し、食用の草花を見分ける術を身につける。
3ヶ月が過ぎた7月。
彼は元来た道を戻りこの体験を終えようとする。
しかし凍結していた川は雪解けで轟々として流れ、
とても渡れるような状態ではなかった。
仕方なしにまたバスに戻り、
水がおさまるまで耐え凌ごうとするが、
ある致命的なミスにより餓死してしまう。
ジョン・クラカワーはこの原因を、
状況証拠から鋭く推理している。
地元アラスカの猟師をはじめとして、
彼の行動を無謀だと批判する人は多かった。
そんな原野で生きるには、知識や準備がすくなすぎる。
自然をなめてかかっているというようなものだ。
確かにそうかもしれない。
しかし、私はこう思う。
もし人間が先人の知恵や経験によることを何も知らなくて、
自らだけの能力で目の前に起こることに対処しなければならないとしたら。
物凄い注意力と物凄い対処能力が必要となる。
そういう経験を踏まえて社会というものを造り、
生きていくことを楽にしている。
しかしそういう社会では人の行動というのは、
かなり限定されたものになってくる。
そのとき人間の自由とはどこにあるのか。
マッカンドレスは社会に不自由さを感じていたのではないか。
最初は上昇志向の強い父親に対する反抗からだったのかもしれない。
しかし真の自由を求めるがゆえに、
なるだけ余分なものを捨てて身一つで、
アラスカという最も過酷な地に向って行ったのではないか。
そして最後にその地で命を落とした。
彼の言葉は持っていった本の余白に細々と綴られているばかりだ。
マッカンドレスの遺体は死後19日ほど経って猟師によって見つけられた。
もしそれが正確なら、荒野に入って112日過ごしたこととなる。
映画ではエミール・ハーシュが理知的な主人公を好演。
本のほうは登山家でもある著者が自らの単独登山の体験を、
重ね合わせて書いているところが興味深かった。
どちらから観ても読んでもいいと思う。
原作のノンフィクション「荒野へ」(ジョン・クラカワー著、佐宗鈴夫訳、集英社文庫)を読んだ。
1992年、アラスカで一人の若者の死体が発見された。
彼の身元がわかってくるにつれて、マスコミに取り上げられ、
その生き方は人々の心を揺さぶった。
青年の名はクリストファー・マッカンドレス。
父は元NASAの研究員の裕福な家庭で育ち、
彼自身も優秀な成績で大学を卒業。
もしそのままエリートコースを進んでいれば、
また違った意味で有名になっていたかもしれない。
しかし、そういう真っ当に見える道を彼は選ばなかった。
大学院進学用に貯金していた多額のお金を全て慈善団体に寄付し、
クレジットカードも社会保険カードも焼き捨て、無一文で旅に出る。
トルストイやソローなどの著書に心酔し、
この文明社会に真っ向から疑問を持つ。
本名も捨ててアレグザンダー・スーパートランプと名乗り、
途中に出逢った様々な人に、
強烈な印象を与えながら・・・
時には激流をカヌーで、
なかなかつかまらないヒッチハイクで、
何日も腹をすかせて徒歩で、
あてどのない旅は、やがて彼を北の大地へと向かわせる。
4月。大した装備をないまま、まだ雪深いアラスカの荒野に彼は分け入った。
凍った川を超え、狩猟用に放置された一台のポンコツバスを見つけ、居を構える。
土地が与えてくれるものだけで生きる。
それが彼の目標だった。
たまにしかとれない狩りや、生えている植物の実などで飢えをしのぐ。
植物図鑑を研究し、食用の草花を見分ける術を身につける。
3ヶ月が過ぎた7月。
彼は元来た道を戻りこの体験を終えようとする。
しかし凍結していた川は雪解けで轟々として流れ、
とても渡れるような状態ではなかった。
仕方なしにまたバスに戻り、
水がおさまるまで耐え凌ごうとするが、
ある致命的なミスにより餓死してしまう。
ジョン・クラカワーはこの原因を、
状況証拠から鋭く推理している。
地元アラスカの猟師をはじめとして、
彼の行動を無謀だと批判する人は多かった。
そんな原野で生きるには、知識や準備がすくなすぎる。
自然をなめてかかっているというようなものだ。
確かにそうかもしれない。
しかし、私はこう思う。
もし人間が先人の知恵や経験によることを何も知らなくて、
自らだけの能力で目の前に起こることに対処しなければならないとしたら。
物凄い注意力と物凄い対処能力が必要となる。
そういう経験を踏まえて社会というものを造り、
生きていくことを楽にしている。
しかしそういう社会では人の行動というのは、
かなり限定されたものになってくる。
そのとき人間の自由とはどこにあるのか。
マッカンドレスは社会に不自由さを感じていたのではないか。
最初は上昇志向の強い父親に対する反抗からだったのかもしれない。
しかし真の自由を求めるがゆえに、
なるだけ余分なものを捨てて身一つで、
アラスカという最も過酷な地に向って行ったのではないか。
そして最後にその地で命を落とした。
彼の言葉は持っていった本の余白に細々と綴られているばかりだ。
マッカンドレスの遺体は死後19日ほど経って猟師によって見つけられた。
もしそれが正確なら、荒野に入って112日過ごしたこととなる。
映画ではエミール・ハーシュが理知的な主人公を好演。
本のほうは登山家でもある著者が自らの単独登山の体験を、
重ね合わせて書いているところが興味深かった。
どちらから観ても読んでもいいと思う。
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