(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第二十八章 無計画な戯れ日和 一

2009-07-24 21:00:31 | 新転地はお化け屋敷
 おはようございます。204号室住人、日向孝一です。
 目が覚めてみると天井の位置――正確には自分が仰向けになっている布団の位置が、いつもよりややずれているような気が。大したことではないにしても「はて寝ている間に何かあっただろうか」と思考を巡らせてみますが、しかし巡らせきってしまう前に、何があったのかを思い出せてしまうのでした。いえ、思い出すよりも前に見てしまったのかもしれませんが、それはともかく。
 いつも僕が寝ている位置には、栞さん。
 僕はその隣に敷かれた布団で眠っていた、というだけの話なのでした。
「だけ」で済ますにはいろいろな意味で衝撃的な事態ですが、それで驚くようなことはありません。なんせ僕が自分でそこに布団を敷き、栞さんを寝かせたのですから。
 実際には「既に寝ていた栞さんをそこへ横たわらせた」というのが正確な表現なのですが、それはまあ些細なことでしょう。
 何はともあれ現在、隣の布団で栞さんが眠っています。枕を抱き締めるような格好で、すやすやと。
 好きです。
 ……いや、これは何か違うな。
 違うとは思いつつも訂正はしないでおいて、布団から起き上がらないまま、栞さんを眺めてみます。今が何時なのかはまだ確認していませんが、本日は土曜日。何の用事もないので、時間を気にする必要はないのです。
 というわけで気にしないなりにゆったりぬくぬくと眺め続けてみるのですが、そこで一つ、気付いたことが。
 栞さん、枕を抱いています。それ自体は見ての通りで全く問題がないどころか、むしろウェルカムなのですが――抱きながら寝入ったならともかく、眠った後に眠ったまま抱く、というようなことはあるのでしょうか? 栞さんは昨夜、眠った後になって僕に布団へ運ばれたわけで、もちろん僕はそこでわざわざ枕を抱かせるようなことはしていません。自分でそうさせるのは邪道です。……ん、これも何か間違っているような。
 ともかく、枕を抱いているということは栞さん、もしかしたら一度目を覚ましたのかもしれません。だから何だって話でもないですけど。
 ――さて、そろそろ起きましょうか。あちらが目を覚ますまで眺め続けるというのも、(今の時点で手遅れなのかもしれませんが)何となく不恰好なような気もしますし。
 不恰好、といえば。「恋はみっともないもの」と語っていためがねの女性、諸見坂さんは昨日あの後、一貴さんとどこへ行ってどうなったんだろうか? 朝の身だしなみと一杯の水のために台所側へ移動しながらそんなことを考えても、当たり前ですが答えは出ません。そもそも起き抜けの頭じゃあ、真面目に考えても纏まりやしないんでしょうけど。それに歯を磨きながら全力で考え事っていうのも、妙な感じですし。
 顔周辺の身だしなみを整え、このまま朝食を作ろうかとも考えましたが、まあそれはまだいいでしょう。栞さんが寝たままだし。
 ということで私室へ戻り、今度は布団を畳み始めるのですが、これが意識してみると結構音を立ててしまいます。音だけでなく、ばふんばふんと風圧も。
「う……」
 正確な時刻は確認していないもののそろそろ目が覚めてもおかしくない時間ということで、これだけ賑やかな中で眠り続けるのは難しいのでしょう。栞さん、目を覚ましました。
「おはようございます」
 起こしてしまって何ですが、できるだけそれとなく、かつ爽やかに、朝の挨拶。
「あ、うん。おはよう、孝一くん」
 やはり一度起きたのでしょう、お目覚めが僕の部屋だというのに、落ち着いた様子です。それについてはやや残念な部分もありますが、まあまあ。
「ごめんね、昨日、寝ちゃって。それにこんな、お布団まで出してもらっちゃって」
「いえいえ、むしろそれだけのことですし」
 浮かない顔の栞さんですが、それは起きたばかりで気だるいという面を反映してのことなのでしょう。そう言ってくる声自体は、それほど後ろめたそうなものでもないようですし。
「でもあの場面であれだけぐっすり寝ちゃうって、疲れてたんですか?」
「うーん、そんなことはなかったんだけど……ともかく、ありがとう。おかげで、それこそぐっすり眠れました」
「どういたしまして」
「夜中に一回目が覚めちゃったんだけど、動く気になれなくてまたそのまま寝ちゃうくらい、気持ちよかったです」
「なんと言ってもその布団はお客様用ですし、だもんでそりゃあ僕が使ってるのよりは寝心地もいい筈ですからね」
 栞さんの表情はまだ気だるそうなままでしたが、「それでもなんとか」といった程度に微笑んでくれました。
「じゃあ、朝ご飯にしましょうか」
 ここで初めて壁時計を確認するのですが、指された時刻は七時半。いつもよりちょっとだけ早いですが、しかし大学以前はこれくらいだったので、まあ早過ぎるということもないでしょう。
 休日なんだからもうちょっと寝ててもいいんじゃないかとは思いますけど、そして普段なら二度寝しているところなんでしょうけど、栞さんがいるもので。目は覚めるし、覚めなかったにしてもあまりだらしないところを晒すのもどうかと思ったんだろうし。
「孝一くん、パジャマのままだよ?」
 おおう。
 ――つまり、注意を引かれっ放しだってことなんでしょうかね。そうなんでしょうね。
 一方の栞さんはというと、私服のまま眠り込んでそれっきりだったので、もちろん現在もそのままです。
「栞も着替えないとなあ、昨日からこれ着っ放しだし。……それに昨日、お風呂も入ってないし」
 前者はともかく、後者は大きな不覚だったようで、もう分かりやすくがくりと肩を落とす栞さんなのでした。僕はそれほど気するつもりもありませんが、しかし僕がどうだというだけの話でもないんでしょう、やっぱり。
「ごめん、孝一くん。一回自分の部屋に戻るよ」
「じゃあその間に朝食の準備、済ましておきます」
 話からすれば風呂にも入るんでしょうし、となればそれくらいの時間はあるでしょう。……いやしかし、たまにはちょっと凝った朝食もいいだろうか?
「うん、ありがとう。それじゃあ、後でまた来るね」
 何を作ろうかと考え始めたところですが、栞さんが一旦の帰宅です。すぐに風呂に入るからということなんでしょう、枕元に置かれていた赤いカチューシャは手に掴んだだけで、頭へは移されませんでした。
 それは実になんてことのない振る舞いの一つでしかないのですがしかし、栞さんはいつもあのカチューシャを頭に着けているわけで、となるとそうでなかった今の状況は、僕からすれば意識してしまわざるを得ないことなのです。
 カチューシャを着けずに手に持ったまま。この場合で言うならそれはつまり、風呂に入るんだなと。
 ただその事実を把握するというだけではありません。意識してしまうのです。風呂に入るんだなと。
 ……我ながら、というか我だからこそ、とてつもなく気が滅入る。これじゃあ単なるスケベな思春期少年だって。

 ちょっと凝った朝食を、とは考えたのですがしかし、さじ加減には気を付けなければなりません。それが夕食ならまだしも、起きた直後という体がまだ半分寝ているような状況なので、食べるのに体力を消費するようなものは避けるべきなのです。まあ、僕自身が朝にちょっと弱いというだけのことですが。
 ――ということでパジャマから着替えてお客様用布団を畳み、朝食の準備に入り、一度203号室に戻った栞さんが、着替えはしたであろうものの見た目にはそう変わらない服装で、しかし今度はカチューシャを着けて現れて以降。
「いつもみたいにただ焼いてジャム塗るだけってのも何なので、フレンチトーストにしてみました。あと、ただの目玉焼きってのも何なので、ハムエッグです。そしてただ切っただけの生野菜サラダを、酢だの何だのの手作りドレッシングで」
 まるで凝ったようには見えない品揃えですが、その基準を普段のメニューに置くとするならば、このくらいで丁度良いのではないでしょうか。食パンは二人で三枚使いましたし。
「美味しそう。あの、後でフレンチトーストの作り方、教えてもらっていい?」
「もちろん。焦がさないように気を付けさえすれば、教えるというほど難しいものでもないですけど」
 というわけで。
『いただきます』

「食パンの耳があんまり好きじゃないって人は結構いるみたいですけど、フレンチトーストの耳はむしろ好きなんですよ、僕。程よく柔らかくなってて」
「あー、うん、食べながらだとよく分かるよ。耳じゃないところと味もちょっと違うし。栞は別に、普段の耳も嫌いじゃないけどね」
「そういえば栞さんって、好き嫌いないですよね。今までそういう話、聞いた覚えがないですし」
「そうだね。はっきりと嫌いな食べ物っていうのは、これと言ってないかも。ほら、病院で出される食べ物って、食べやすいものばっかりだったし」
「あ……。――いえ、こういう顔する段階じゃないですよね、もう」
「ふふ、孝一くんが自分からそう言ってくれると、嬉しいな。でもごめんね、今のは配慮不足だったね」
「いや、まあ何にせよ、こういう会話ができるっていうのは嬉しくもありますし」
「それもそうなんだよね。――そう思えるからなのかな、孝一くんを好きになったのって。それとも、好きになったからそう思えるのかな」
「どうでしょうねえ……きっかりとそのどちらかってことでも、ないんじゃないですか?」
「どっちもあるってこと? そっか、それもありそうだね。好きってわけじゃなかった頃には何もなかったかって言われたらそうじゃないし、好きになったらそれ以上は何もないかって言われたら、それも違うし」
「『それはこっちだ』って言い切れたほうが、格好はつくんでしょうけどね」
「なかなかそうはいかないよね。栞は、それでも全然いいんだけど」

『ごちそうさまでした』
 真面目な話だったのか、それともいちゃいちゃしてみただけなのか。そんな判断が下し辛い会話もあったりなんだりして、いつもよりほんのちょっとだけ手の込んだ朝食が終了しました。
「じゃあ早速ですけど、フレンチトーストの作り方を」
「お願いします。――って、え? 実際に作るの?」
 食事に使った食器を台所の流しへ移動させ、そのまますぐ隣のキッチンに立つ。そんな僕に、栞さんは意表を突かれたようでした。
「いえいえ、何となく移動してみただけで――でも、どっちでもいいですよ? 栞さんが無理でも、僕が食べますから」
 もちろん、教える側としては実践させたほうが楽だ、という面もあります。そのほうが面白くもありますし。
「ああ、無理ってわけじゃないんだけど。ちょっと食材を消費させてもらい過ぎかなーって」
「今更じゃないですか?」
「そうなんだけど、今更ってところまで来ちゃってるのがまたね」
「まあ、それも含めて、どっちでもいいですよってことで」
 むしろ作るほうにして欲しい、とは言いません。言っちゃったら「どっちでもいい」じゃなくなって、作ることを強要しているのと殆ど同じになりますし。栞さんは消極的なようだから、そうして作ることになったとしても、気分良く料理をするということにはなりそうもないですからね。
「じゃあ……今更だけど、作るのはなしでお願いします」
「了解しました」
 それもいいでしょう。
 ということなので。
「説明を聞く限りじゃあ、簡単そうなんだけどね」
「実際にも簡単ですよ」
 簡単なので、説明だけでもあっと言う間。なんせ卵と牛乳と砂糖を混ぜたものに食パンを浸して、しっかり染み込んだら焼くってだけですし。混ぜる、浸す、焼く。たった三工程です。
「孝一くんも、初めはこういう簡単なものから作り始めたの? やっぱり」
「だったら良かったんですけどねえ。なんせ最初の最初となると小さい頃で、おままごとも同然だったもんで。いきなり『ちゃんとした料理』を作ろうとして大失敗ですよ。調味料なんか、入れれば入れるだけ美味しくなるものだと思ってましたから」
「へー」
 砂糖や塩なんかをそのまま指ですくって舐めてみるというのは、結構な割合の人が経験のあることなのではないでしょうか。そこから僕のような行動に移る人となると、それはさすがにそうそういないんでしょうけど。
 それを裏付けるかのように、栞さんは苦笑い。
「……それだけ聞いても、かなり出来上がりが不安になるね」
「正確には、出来上がらなかったってことになるんでしょうけどね……。それより、よく怪我とかしなかったなってもんですよ。その程度なのに包丁も出してましたし」
 なんせ料理をしない人でも知っているであろう基本中の基本、包丁を使う際の猫の手すら、まだ知らなかったわけで。誇張なしに、指をざっくり切り落とすことも有り得たのです。生々しく痛々しいので、そこまでは言いませんが。
「あ、危ないね、それは」
「ええ。親に見つかった時はすっごい怒られましたよ。当たり前ですけど」
「初めから上手かったわけじゃないっていうのは、前に聞いてたけど……そこまでだとは」
「そこで料理を禁止にされなかったのには、感謝感謝ですけどね。今となっては自分唯一の取り得ですから」
 今思うにあれは多分、禁止にするよりはちゃんと基礎を教えたほうが安全だと判断されたんだろう。危なかったとは言え実際に怪我をしたわけではなく、だからその時の僕は自分がどれだけ危険なことをしていたのかも理解できておらず、となればそこでただ禁止にされたところで、親の目を盗んで繰り返していただけだったんだろうし。
「栞は、唯一だなんて思わないけどね」
「そうですか?」
「うん」
 栞さんが何を言いたいか。見当が付いているのに訊き返してしまうのは、我ながらちょっと厭らしい。
 ――しかし栞さん、それ以上は言いませんでした。料理以外にどういう取り得があるのかという説明はなく、薄く微笑んでいるだけでした。それは多分、見当が付いているのに訊き返すという僕の行動と、似たようなものなのでしょう。
 言外のところで思惑が噛み合うというのはどうにも、嬉し恥ずかしな心持ちです。がしかしこの場合、全てを言葉に表してしまうというのも、それはそれで似たような心持ちになるような気がします。……ううむ、逃げ場がない。
 もちろん、逃げる必要なんかこれっぽっちもありませんけど。

 さて。なんのかんので、休日らしくだらだらと時間は過ぎていきます。それでもまだまだ正午になってもいませんが、はて、どうしましょうか。どうもしないという選択肢も僕としては大いにアリですが、それも含めて何かしらの決断をしなくてはなりません。
「お掃除、してこようかな。そろそろ」
「あ、じゃあ僕も一緒に出ます。手伝いはしませんけど」
「うん」
 いつものお仕事、庭掃除。手伝わないとは何と非道なと思われるかもしれませんが、しかしこれでいつも通りなのです。手伝いはしないというよりも、手伝うのを認めてもらえないという話ではありますが。
 これが昼食頃だったなら食事の用意をして帰りを待つことになるのですが、それにはちょっと時間が合いません。現在時刻は十時半くらいなのです。
 ――というわけで、外。
 二階へ上がる階段の向かい側、自転車置き場の横にある、物置。栞さんが使う掃除用具はここから取り出されるのですが、そういえばこれまでに意識して中を覗いてみたことはなく、掃除用具以外に何が入っているのか、よくは知りません。
 もしかしたら他に何も入っていないということも有り得ますが、思い立ったがなんとやら。栞さんが物置を開いた時に、覗いてみることにしました。
「結構いろいろ入ってるんですね、ここ」
「まあ、いろいろ入れるためのものだしねー。でも、あれ? 孝一くん、見るの初めてだった?」
「ええ、まあ。自分がここに用があるわけじゃないですから」
「そっか。まあ、わざわざ見るところでもないしね」
 などと会話をしている間にもごそごそと覗き続けるわけですが、まあ当然と言えば当然か、そう目新しいものはありません。物置に入れてしまうようなものは、どこの家庭でも似たようなものだということなのでしょう。ビニール紐にゴミ袋、裏庭にあるものの予備であろうゴムホースとか。あと、こんな所に押し込められた時点でもう二度と出番はないのであろう、使わなくなった家具とか。
 しかしそれら目新しくないものの中に一つ、目新しくないながらも目を引くものが。
「栞さん栞さん、これは……」
 顔を物置内に突っ込んだまま傍に立っている栞さんへ手招きをし、ついで取り出しましたるその品物は。
「空気入れだね、自転車のタイヤの」
 もちろん言われるまでもなく見て分かりますが、しかし説明どうもです。
「誰のですか? これ。自転車乗ってるのって僕だけですし」
「前に住んでた人の忘れ物だと思うよ」
 家守さんが使っていた時期があったんだろうかとも思ったのですが、予想外のお答えが。
「え、他に誰か住んでたことがあるんですか? ここって」
 その「他の誰か」というのはもちろん、幽霊でない人間で、ということ。成美さんのように実体化できでもしない限り、幽霊が自転車に乗ったら怖いことになりますしね。幽霊が見えない人からすれば。
「そりゃあ、ね。四年もやってれば何人かは。……でもまあ、みんなすぐに引っ越しちゃうんだけどね。人によっては名前を覚えるよりも早く」
「それは……」
 あまくに荘の入居者第一号、四年前からここに住んでいる、喜坂栞さん。第一号ということは、全てを見てきたということになるのか。
「幽霊だって、音を立てずに生活するのは無理だもん、やっぱり。部屋の電気だって点けるから、暗い時に外から見たら、明らかに誰かいるってことになるしね」
「……ですよね」
「だからここは、『お化け屋敷』って呼ばれないと駄目なんだよ。本気で幽霊が住んでると思ってる人はそりゃあ滅多にいないだろうけど、噂程度でもそういう認識を持ってもらったほうが気兼ねなくここに住めるんだよ、栞達も」
 世知辛い話だけど、仕方がないことだというのは分かる――そんな後ろ向きな気分でいる僕に対して、栞さんは世間話をしているかのような気兼ねのなさ。そして更には微笑んで見せると、
「他の人から見て不可解に思えることは、結構あると思う。でももしそう思った人がここに来たらね、自称霊能者さんが、『ええ、ここにはしっかり幽霊が住んでますよ。しかもわんさか』って感じに言うの。信じるどころか拍子抜けした顔で帰っていったよ、そういう人達みんな」
「そりゃ――そうなる、んでしょうね」
 霊能者と言えば、世間一般では胡散臭さの権化のような扱いだ。そんな人に、幽霊の存在を誤魔化そうとされるどころかすっぱり認められてしまったら、馬鹿らしくなるのも当然なのだろう。「仕込みだろうな」とか、もっと言えば「どうせ本当は誰か住んでるんだろ」とか。
「ベランダに洗濯物を干したりもしなくちゃいけないしね、幽霊だって。でも、そういう生活観のある風景って、普通の人が持ってる幽霊のイメージとかけ離れてるでしょ? こうなるまでは栞もそうだったし」
「ですねえ。幽霊もののホラー映画とかだと、とにかく怖くて怖いこと以外は何もしない、みたいな」
「だから意外と何とかなっちゃうんだよ、普通に暮らしてても。普通だからこそね。――ここで一緒に暮らす人は、さすがにそうもいかないけど」
 そうもいかなくて現在、ここに住んでいる幽霊でない人間は、管理人夫婦を除けば僕だけ、ということになっている。
「それでも、普通なんですもんね。幽霊だって」
「そうそう。幽霊になった途端に――例えば『呪い』だとか、そんなことができるようになるほうが有り得ないんだって。そんなに嫌なことがあったんならお風呂に入ってすっきりすれば? ってね」
「となると、嫌いですか? 幽霊もののホラー映画」
「嫌いってほどじゃないけど、苦手かな。怖いから」
 怖いから。つまり、ごく一般的な範の内と言える理由でした。
「いやあ、何だかんだ言っても怖いよ、やっぱり」
「怖がらせるために作られてるものですからねえ」
「でも現実の幽霊は、お給料を貰って庭掃除をするような存在なのでした」
「怖がる要素が何一つとしてないのでした」

 手伝わせてはもらえないので、栞さんが掃除をしている間は眺めているか、横から声を掛けるのみ。しかし和むと言うか何と言うか、僕は栞さんが掃除をしている姿がどうにも気に入っているようで、無意識のうちに口数が減ってしまうのでした。
「こうして見られてると丁度いいよね。ゴミが残ってないか、いつも以上に気になるし」
「いや、ぱっと見た感じじゃあ、初めからゴミなんてなさそうなんですけど」
「ないならないでいいんだよ。それを確認するのも、掃除の手順の内だしね」
 プロフェッショナルだなあ。ただの庭掃除とは言え、さすが仕事として引き受けているだけはある、というところだろうか。
 見ているだけの僕にそう思わせる辺り、素敵です。
「ただちょっとだけ、お願いしたいことがあってね」
「何ですか?」
「時々でいいんだけど、庭を見てね、綺麗だなって思って欲しいかな」
「え、いつも思ってますけど」
 何を仰りますか急に、と言わんばかりの即答をしたところ、栞さんがびくりと停止してしまいました。となると、こちらも停止せざるを得ません。
「……ま、またまたー。冗談でそんなこと言われてもさあ」
「冗談って……あれ、変なこと言いました?」
「じゃあ、本気で言ってるの?」
「だって栞さん、毎日掃除してますし。用事とかで時間がなかったってことは、たまにありますけど」
 今のように近くにいれば意識するのはもちろん、毎日掃除をしていると知っている以上、離れた場所にいたとしても、「そろそろ掃除してる時間かなあ」とか考えてしまうのは、自然なことなのではないでしょうか? そして掃除というものがその場所を綺麗にする行為である以上、それに付随して栞さんが今言ったようなことを考えてしまうのも、自然なことなのではないでしょうか。
「毎晩の夕食を楽しいと思うことと同じですよね? えーと、多分」
 栞さんの庭掃除を僕の料理教室と置き換えれば、つまりこういうことなんだろう。しかし何故か栞さんが驚いているので、自分は何か問題を取り違えているんだろうかと不安にもなりますが。
「いや……まあ、うん。それはそうなんだけど」
 やはり話が噛み合っていないのか、栞さんまで発言が曖昧になってきてしまいました。そして仕舞いには俯きすら。
 それでもこちらとしては首を傾げたくなるような展開なのですが、しかしそれはあまりにも露骨な「話が読めていない」ポーズなので、栞さんをこれ以上困惑させないためにも控えておきます。――となればもう、ただ黙り込むしかないわけで。
 顔を隠すように俯いてしまった栞さん、二、三度箒で地面を引っ掻くと、ぽつりとこう言いました。
「……ありがとう」
 何に対してのお礼だったんでしょうか、それは。
 ただ、それが庭掃除に関連していることだけは確かなので、「いつもご苦労様です」と無難な返事をしてみます。すると栞さんは顔を上げ、
「うん。今日も頑張るよ」
 良い笑顔なのでした。

 さて。今日も頑張ると意気込んでいた栞さんにただただ付き添うだけの僕ですが、掃除が進めば場所も変わり、表の庭から裏庭へ。土が露出している表とは違い、こちらは草が一面、踝の高さ辺りまで生い茂っています。もちろん、それでも栞さんの掃除の対象にはなるのですが。


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