(有)妄想心霊屋敷

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新転地はお化け屋敷 第二十八章 無計画な戯れ日和 二

2009-07-29 20:57:42 | 新転地はお化け屋敷
「ワンッ!」
「おはよー、ジョン」
 足音(と言うか草を踏む音ですが)を聞き付けたのか、犬小屋から飛び出して一吼えするジョン。栞さんはそれに返事をし、近付いてしゃがみ込むと、彼の頭を撫でました。体は大きいながらも非常に大人しいジョンは、栞さんの手に頭を預け、パタパタと尻尾を振っているのでした。
 僕も栞さんと同じように、とジョンへ向けて足を踏み出した丁度その時、二階からカラリと戸が開かれる音。
「休日だというのに早いなー。おはよう、二人ともー」
 ベランダの手すりに顎を乗せるような格好でこちらを見下ろしているのは、202号室にお住まいの白くて小さな女の子、哀沢成美さん。大きくもなれるのですが、現在は小さい姿でした。
「休日なんてもんは孝一にしか関係ねえけどな」
 そしてその隣には彼女の恋人――もとい夫であり、背が高くてちょっとお馬鹿な男、怒橋大吾も。
「おはようございますー。大吾は……まだ眠そうだねー」
「そりゃあ、たったいま叩き起こされたんだからな。まあ起きるけどよ」
 二階のベランダと裏庭ということでやや距離があり、他のみんなはやや声を張っているのですが、一人だけぼそぼそとした口調の大吾。どうやら、相当に辛いようです。
「あ、ごめんねー。起こしちゃったー?」
「いや、起こしてきたのは成美だしな。……まあそれも、オマエ等が来たからなんだけどよ」
「あはは、ごめんねー」
「ワンッ!」
「あー。……顔洗ってくるわ、取り敢えず」
 しんどそうな大吾はしんどそうにひらひらと手を振り、しんどそうに踵を返してしんどそうに部屋の中へ戻っていきました。ああしんどそう。
 そしてベランダに残るは手すりに顎を乗せた成美さん一人。普通に立っているだけでは恐らくそれすら不可能な身長なので、もしかしたら大吾が脇を抱えていたりするんだろうかとも思っていました。のですが、大吾がいなくなった今でも顎を乗せているということは、足元に何かしらの台を設置しているのでしょう。ああ低身長。
「いきなり無愛想ですまんなー」
「いえいえー」
「わたしも戻るよー。仕事、ご苦労様ー」
 というわけで成美さんも引っ込み、庭掃除再開です。それでもやっぱり傍から眺めているだけなので、あまり邪魔にならないよう、ジョンをもふもふしてみたり。
 ややあって。
「ねえ、孝一くん」
「はい?」
「十一時ちょっと前くらいだよね? もう」
「それくらいですかね。外に出たのが十時半でしたし」
「大吾くん、寝不足かな」
 言いつつ、二人がいなくなった203号室のベランダを見上げる栞さん。確かに大吾は「たった今起こされた」と言っていたし、こんな時間まで寝ていた割にはあのフラフラっぷりでしたけど。
「……そこはあまり、気にしてはいけない問題なような」
「や、やっぱり?」
 もちろん、ただ単に目覚めが悪かっただけという可能性もあるわけですが。特に理由もなく何とはなしに眠いということは、もちろんあるわけですし。
「ワウ?」
 単なる推測がそのまま邪推になってしまうようなこの問題。邪推を継続させるのはもちろん、それを避けようとして別の可能性を模索してみるのもまたしのびなかったので、考えること自体を止めてしまおうと思います。
 というわけでその手段として、もう暫くジョンをもふもふすることにしました。
 栞さんも栞さんで、これまで以上に掃除に没頭しているご様子なのでした。
 ――しかし、気持ちを切り替えるような暇もないまま。
「おや、上のお二人はもう中に戻ってしまいましたか?」
 202号室の真下、102号室。そこから現れたのはもちろんそこにお住まいの、眼鏡で糸目で常に笑顔な頼れる目上、楽清一郎さん。
 なのですが。
「だっからヒゲのSHAVING前に出ようゼって言ったんだよ清一郎~」
「ま、まあまあ。あとでいくらでも会えるんですから」
 同居人である(人ではありませんが)牙の生えた大きな口を持ち、多数のいばらで器用に動き回る植物のサタデーと、見た目そのまま蛇である、おしとやかな女性のナタリーさん。清さんは、その両名に上半身をぐるぐる巻きにされているような状態なのでした。
 失礼ながら、かなり不気味です。
「あの清さん、それはいったいどういう状況で」
「いやあ――んっふっふ、昨日の寝る前からずっとこんな感じなんですよねえ。意外と眠れてしまったので、特にどうにかしようと思ったりはしないんですけど」
 そういう展開が起こることに心当たりがないわけではありませんが、しかし問題がないにしても、どうにかしようと思うでしょう普通は。
「昨日フライデーが言い出した時は何言ってんだってなモンだったけど――中々どうして、割とGOODな寝心地だったゼ。なあナタリー?」
「寝返りをうたれると下敷きになっちゃうんで、それだけ怖かったんですけど、清さんって寝てる間は全然動かないんですよね。おかげで私もぐっすりでした」
 清さんの右肩から顔(と言うか花)をのぞかせているサタデーと、左肩から顔をのぞかせているナタリーさんが、揃って上機嫌に言葉を交わします。その位置関係からか「人形劇」という単語が頭をかすめますが、清さんの上半身全体を合わせて見ると、そんな可愛げのある表現はすぐにどこかへすっ飛んでしまいます。
 ――しかし、朝一番の挨拶の段階で驚いてばかりもいられないでしょう。心を落ち着かせて冷静に現状を受け止めようと試みてみます。
 ナタリーさんとサタデー、その両名の清さんの体における、ぐるぐる巻きの分布。
 サタデーは、上半身のほぼ全域。対してナタリーさんは、サタデーとも重なっているのでぱっと見には分かり辛かったのですが、どうやら左腕だけをその領域としているようです。まあ、いばらを伸ばせるサタデーと身一つのナタリーさんじゃあ、長さが違いますもんね。
 と、冷静になろうとしての無駄とも言える分析を終えまして。
「改めて、おはようございます」
「おはようございます」
「ワフッ」
 庭側のこちら三名が挨拶をし、
「んっふっふ、おはようございます」
「おはようございます」
「GOOD MORNING!」
 102号室側のあちら三名から挨拶返し。やはり、気持ちが良いものですね。
「お仕事中ですよね? いつもご苦労様です、喜坂さん」
「あ、いえいえ」
 僕にも成美さんにも言われた労いの言葉を清さんからも受け取る栞さんですが、別のことが気になっていた成美さんの場合を別として、やはり栞さんの様子がちょっと変です。過剰に畏まっているというか、照れているというか。
 そしてこんな時に限って、
「同じ植物としてはあれだゼ、裏庭でいつもこれだけ草どもが元気なのは、THANKSだよな」
「ですよね、他の人が手入れしてるふうでもないですし。いつもお疲れ様です、喜坂さん」
 サタデーとナタリーさんも、栞さんへ労いを。
「でで、でも……栞がしてるのはただのお掃除で、草のお手入れとか、そこまでのことは」
「おいおい喜坂、草だって生き物だゼ? 何から何まで面倒見てもらわなきゃ生きられねえってほどヤワじゃねえさ。最低限の環境――人間で言うならHOUSEか? それだけ用意してもらえるだけでも、充分なんだゼ」
「うん……」
 さすがは同じ植物だけあって、サタデーの言葉には説得力があります。庭の手入れが、人間でいう家の提供。ううむ、なるほど。
 栞さんはそれでも躊躇いがちなようですが、悪いことに。
「BADなことに」
 サタデーという植物は、饒舌なほうなのです。
「植物は口がねえから礼が言えねえけどな。ケケケ、だから俺様がその代表だゼ? つーわけでもう一回言うけど、毎日ありがとうな、喜坂」
「あ、ありがとう」
「おいおい、だから礼を言うのはこっちだってのに。言い返されてもよぉ」
 半笑いでそう言いつつ、いばらのうち二本を「やれやれ」の形に持ち上げるサタデー。
 そうして栞さん以外の全員、僕も含めて、心地良い可笑しみに包まれてくすくすと笑い始めるのでした。尻尾をふりふりしていたので、ジョンも多分笑っていたんでしょう。
「…………」
 そんな中で張本人の栞さんだけは、箒を抱き締めるようにして顔を伏せがちにし、唇をきゅっと横一文字にしていました。

 ここまで来たらあまくに荘の全員と話をしたかったのですが、あまくに荘の管理人である家守さんとその夫である高次さん、この101号室住人の両名は、いつも通りに霊能者としてのお仕事で出掛けています。
 ちょっぴり残念ですが、そのまま栞さんの庭掃除を眺め続けました。

 階段横の物置から始まった庭掃除は、その庭をぐるりと一周してまた物置の前へ。
 つまり、これにて終了です。
「お疲れ様でした」
 ジョンは裏庭に繋がれたままなので、現在栞さんの隣にいるのは僕一人。ここで初めて「でした」と過去形になる労いの言葉を、全員を代表させてもらいまして。
「……うん」
 元気がない、というのとはまた違うのでしょうけど、返事に覇気がありません。どうにも、ただ普段のお礼を言われて照れているというだけではないようで。閉じられる物置の戸も、からからとん、と小さい音です。
「どうかしましたか?」
「…………」
 後ろから声を掛けてみたところ、閉めた戸の取っ手から手を離さないまま停止してしまう栞さん。どうかしたようでは、あるようです。
 取っ手から手を下ろし、しかしやはりこちらに背を向けたまま、
「嬉しかった」
 栞さんは呟きました。何が嬉しかったんだろうと考えれば、それはもちろん今の今まで行っていた仕事に対するみんなの言葉だったんでしょう。どうしてそんなに大きな反応をされたのかどうかはともかく、僕のそれに対しても嬉しそうでしたし。
「……でもね、何でだろう?――ううん、分かってるんだけどね」
「…………?」
「みんなに同じだけ嬉しくなるべきなんだろうけど、それなのにね、孝一くんに言われたことが明らかに一番だったんだよ。庭をいつも綺麗だと思ってるって」
 それは悪いことでしょうか? というのが真っ先に浮かびます。どうして僕が一番なのかというのも、原因を思い付けないわけでもありませんし。僕だって、誰かに何かを褒められるとしたら、まず間違いなく栞さんに褒められた時が一番嬉しいでしょうし。
 それを悪いことだと思っているなら、きっと殆どの人が「それは考え過ぎだ」と言うことでしょう。202号室、102号室のみんなだって、そう言うはずです。
「へ、変なことを言ってるっていうのは分かってるんだよ? そうなって当然だっていうことも分かってるし。でも、ちょっと戸惑ってるって言うか」
「うーん――よし、じゃあこうしましょう」
「どど、どうしましょう?」
 不穏な気配でも感じたのか首から上だけ、しかも完全にでなく半分ほどだけ、ぎこちなくこちらを振り向く栞さん。
 そんな栞さんの頭へ、ぽんと手を乗せる。
「僕が一番でもまるで問題がないように、僕が一番、栞さんを褒めてみます」
 乗せた手でわしわしと、栞さんの頭を撫で回す。
 身長が同じくらいなのでどうにも格好がつきませんが、そもそもこんなことをしている時点で格好も何もあったもんじゃないのです。
 それにしたってどうしてこんな方法なのかというと、今言ったことに加えるところもう一つ、意味合いがありまして。
「こ、これはさすがに恥ずかしいよ」
「お仕置きの意味も含んでますから」
「……なるほど」
 つまりはちょっとした罰ゲーム。悪意あってのこの行動だということを、ここで隠そうとはしません。
「他のみんな――特に、礼を言ってまでいたサタデーのことが、ですかね」
「うん。そうだよね」
 僕が一番になってしまうことは悪いことなのでないか、というのが誰から見ても「考え過ぎ」で済まされるであろうことは、さっきも考えた通り。なので最も感謝の意が深かったサタデーを一番にしなかったことではなく、逆に、そんなことに疑問を持ってしまった部分に対してのこの仕打ちなのです。
 まあ頭を撫でているだけなので、仕打ちというほど大袈裟なことでもないですけど。ぶっちゃけ「ただいちゃいちゃしてるだけだ」と言われても反論できませんしね、この現状。
「じゃあそろそろ、戻りましょうか」
 あまり長々とこうしていても、誰かに見られて自分が恥ずかしい思いをしてしまうという事態に陥りかねません。それを考えると部屋に戻ってからこうすれば良かったと考えないわけではないですが、それは今更な話。
 というわけでちょっとした罰ゲームを行っていた手を下ろすと、
「あ、うん。……ごめんね」
 ようやく体全体でこちらを向いた栞さんは、少しだけ申し訳なさそうでした。
 そこまでされるほどでもないとは思うのですが、しかしお仕置きと称する行為を行っていた者として、それをここで口にするのはどうかと。なので、最後にもう一度だけ頭にぽんと手を乗せて、しかし何も言わないまま、階段へ向かうことにしました。
 何を言えばいいのか咄嗟に思い付かなかっただとか、そういうことではありません。……いえ、あります。

「もしかしたらそろそろ、散歩のお誘いが来るかもしれませんね」
「そうだね、それくらいかも」
 示し合わせたわけでもなく二人揃って204号室というのは、まあいつものことではあるのですが、今回に限っては「物置前でのあれはそんなに深刻な話でもなかったから」という思惑が無きにしも非ずです。別に、誰それが気分を悪くしたという話でもありませんでしたし。
「……さっきみたいなことって、結局、まだ慣れてないってことなんだろうね。特別な誰か一人っていうものに」
 照れ笑いを浮かべながら小さく呟く栞さん。座り込んでいるその位置は、「特別な誰か一人」であるところの、僕の隣。
「それに関しては僕も同じなんですけどね。自分で言うのもなんですけど――まあその、客観的に考えて、いくら何でも栞さんのことばっかり考え過ぎですし。デレデレし過ぎ、と言うか」
 もちろん栞さんと一緒に行動していることが多いから、というのもあるだろうけど、それにしたって。
「お互いに初めての恋人だし、付き合い始めてからまだ一ヶ月経つか経たないかくらいだし、だからそれも仕方ないのかもしれないけどね。特に栞は……」
 言い掛けた栞さんはしかし、短い逡巡ののち、僕から視線を逸らしました。話の全半はその通り、動かしようもない事実なのですが。
「栞さんは?」
「……その、恋人とか以前に、人付き合いそのものがね、普通の人より少なかったから」
 明言はしなかったけど、何が言いたいのか、そしてなぜ言い難そうにしているのかは、すぐに判断が付いた。少なかったという過去形での表現と、普通の人という区切り方で。
 栞さんも、それだけでこちらが判断を付けることは分かっていたんだろう。
「それに関係することで、孝一くんとはいろいろあったんだけどね。……ううん、いろいろしてもらった、かな」
「出だしがああいう感じだったから、皺寄せが来てるんですかねえ。今になってこういう話をしてるっていうのは」
 少し前までは胸に傷跡があり、嬉しいことがあると泣き出してしまっていた栞さん。その嬉しいことというのが僕と付き合うということに直結していたので、僕は――と言うより僕と栞さんは、付き合うと決めた以上、急速に近付かなければならなかった。
 栞さんは傷跡とそれに関連する過去を僕に打ち明けられるようにならなければいけなかったし、
 僕はそれらの話を引き出せるように、そして受け止められるようにならなければいけなかった。
「何の事情もないただの恋人同士って状態で過ごせた時間が、まだまだ足りないのかもしれませんね」
「あはは、庭掃除を褒められたくらいであれなんだもんね、確かにそうなのかも」
 再び顔をこちらに向け、楽しそうに微笑む栞さん。もう不意に涙を流すようなことがなくなったその顔に、ならば僕は一切の不安を持ち合わせることはない。
 それは、本当に自分の力で手に入れたものなのかどうか疑わしくなるくらい、大きくて大事で大切なものだった。
 改めてそんなふうに感じてから――僕は、鼻を鳴らしました。
「毎日毎晩会ってるってことを考えたら、それでも贅沢な我侭なのかもしれませんけどね」
「そう? でもまあ、そのへんは個人差ってことでいいんじゃないかな。贅沢でも我侭でも、栞はまだこうしていたいし」
 言って、栞さんは僕の肩に頭を預けてきました。そして、
「……ああ、やっぱりそうだ」
「ん? そうって、何がですか?」
「昨日、孝一くんの膝の上で寝ちゃったの。あれ、ただ単に気持ち良かったからだよ」
「ああ」
「あと昨日は、大学が終わってから孝一くん、一貴さん達と外に出てたからね。そのあいだ寂しかったからっていうのも、ちょっとだけあるかも」
「あの時『気にしないで行ってこい』って言ったの、栞さんなんですけど?」
「えへへ、まあね。だからちょっとだけ。ほんのちょっとだよ」
「……まあ、ちょっとくらいなら。本当に全く気にされないっていうのも、それはそれでショックですから」
 付き合い始めてから一月近く――僕達はまだ暫く、こんな感じが続きそうです。

「はーい」
「おう。これから散歩だけど、一緒に来るか? 喜坂もいんだよな?」
 鳴らされたチャイムに玄関のドアを開け放つと、そこに立っていたのは自分よりも一回り大きい赤タンクトップの男。庭掃除の時と違って、もうすっかり目は覚めたようです。
 そういえば散歩の誘いを断ったことってこれまでにあったっけ? ということで、いつも通りの誘いにいつも通りに頷いて、今日も今日とてお散歩です。
 ――で、外に出てみると。
「清さん、まだそのままだったんですか……」
「いやあ、んっふっふっふ」
 左腕にナタリーさんを、上半身全域にサタデーを装着している清さんが、成美さんとジョンに並んで待っていました。
「今日は俺様達、ずっとこうしてることにしたんだゼ! なあナタリー?」
「は、はい」
 多分、ナタリーさんはサタデーの命令に従っているだけなのでしょう。不憫――と言ってしまっていいのかどうかは、ナタリーさんに現状の良し悪しを聞いてみないことには分かりませんけど。
「というわけで、今日は私もご一緒させていただきます」
「ワンッ!」
 異様な格好の清さんですが、ジョンはその同行を素直に喜んでいるようです。こちらも見習わなくてはいけません。いえ、もちろん、清さんが一緒に来るというその点だけなら、僕もジョン同様の反応をしていたんでしょうけど。
「言いたいことはあるだろうが、普段わたしが大吾の背中を借りているのとまあ同じことだからな。我慢してやってくれ」
 考えが顔に出てしまっていたということか、成美さんからそんなふうに言われてしまいました。しかし確かに、その通りではあります。
「HEYHEY、我慢って何だよ哀沢ぁ。何ならお前に巻き付いてもいいんだゼ?」
「そこでわたしに巻き付くという反論が出てくるあたり、分かっててやってるんだなお前は」
「んっふっふ、分かっててやられちゃってますか、私」
 それですら楽しそうな清さんですが――ところで成美さん、おんぶを例に出した割に、現在は大人バージョンです。猫耳隠しの灰色ニット帽もちゃんと被ってますし、このまま散歩に出るんでしょう。
「んで、今日はまたあのペットショップ行くからな」
「何かお買い物?」
 ちょうどいいタイミングで大吾の口から出てきた話題に、栞さんが質問。しかしまあ、尋ねるまでもなくお買い物なのでしょう。なんせ普段は当てもなくふらふらするのがこの散歩の慣例で、そんなこの散歩において目的地を決めてある以上は
「前に買っただろ、ナタリーの食い物。なんかもう残り少ねえとかでな」
 と言うと、冷凍のネズミですね。
 ええ、さすがにもうどうとも思いませんともさ。がっつり丸飲みなお食事シーンを思い出しても。
「す、すいません。久しぶりの食事だったんで、嬉しくなっちゃってつい……」
「いやだから、謝られるようなことじゃねえっての。それがオレの仕事なんだし。……嬉しかったってんなら、むしろ良いことなんだよ」
 照れるくらいなら言わなければいいのに、というのは誰でもすぐに思い付く突っ込みなのでしょう。なのですが、照れようが何だろうが思ったことは言ってしまうというのが、この男なのです。
「は――はい!」
 良くも悪くもな特徴ですが、今回は良い方向に作用したようです。ナタリーさんは感激されたようでした。
「この位置関係だと、私も一緒に言われてるみたいですねえ」
 感激したナタリーさんのすぐ横で微笑んでいる清さんがそんなふうに言うと、「ケケケ、おっさん相手に顔赤くしてやんの」とサタデーが追い討ち。もちろん清さんにたいして照れていたわけでない大吾は、即座に表情を落ち着かせます。
「んなわけねえだろが。活力剤買ってやんねえぞ」
「PETSHOPにそんなもん置いてあるわけねえだろ? もとから買う予定なんてないクセによ」
「そのペットショップまで行く途中にいつものデパートがあるんだろが」
「俺様が買ってくれって言ったら買いに行くんだな? じゃあ買ってくれ」
「へいへい。まあ実際に買うのは成美だけどな」
「こらこら、その通りだがわたしを話に巻き込むな」
 照れてしまってでも思い付いたことを言う場合もあれば、照れ隠し、もしくは負け惜しみのようなものを言う場合も、もちろんあります。
 そんなふうに散歩の責任者が目的地を一つ増やしたところで、今日も今日とて出発です。

 散歩の最中に誰もが無言、ということは当然ながらないので、暫く歩いたところで栞さんと成美さんが会話を始めました。聞き耳を立てるというほどのことでもありませんがどんな内容なのだろうかとそちらへ意識を向けていると、
「おい孝一、ちょっと」
 意識の外から小声で呼び掛けられました。肩に手も掛けられました。誰からかと言うと大吾からでした。
「なに?」
 小声ということでこちらも小声で返すと、今度は無言で引っ張られ、栞さんと成美さん、そして成美さんがリードを掴んでいるジョンの三名から、やや距離をとらされます。
 急に何かと、そして何をそんなにコソコソしているのかと思っていたら、
「ちょっと頼まれてくれねえか?」
「何を」
「ペットショップにな、猫じゃらしのおもちゃが売ってあるんだよ。それ、買ってくれねえか?」
「…………」
「金はもちろんオレが出すから」
 お金はともかく。
 猫じゃらし。細くて長い茎の先に毛が集まったような部位(種だっけ? あれ)があり、何を連想させるのか、猫にそれを見せるとじゃれ付いてくる、という妙な植物です。それを模したおもちゃでかつペット用品となれば、それはもうこの「猫をじゃれ付かせる」という特性のみを目的としたものであることは明白で、となれば当然買い手側も、猫相手に使うことを想定して購入するわけです。
 買い手は大吾。
 彼の妻は元猫。
 つまり。
「変体」
「なっ!」
「変体変体変体」
「なななっ!」
 そこはかとなく厭らしい気配が漂ってくるような想像しかできませんでした。
 それがいわゆる飼い主とペットの関係であれば微笑ましい光景なのでしょうが、夫婦となればそうもいきません。しかも奥さん、元猫であるだけで、現在は人間なのですから。
「……いや、そういうことじゃねえんだよ」
 しかし、そういうことではないんだそうです。


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