今日はちょっと遠足の後みたいになっています(笑)
疲れてるのに、頭が冴えてるみたいな感じ。
今日は、都内のとあるスタジオで、
ドイツから来日されているTorger先生の
公開レッスンを受けてきました。
Torger先生は、今ついている学校の先生のお知り合いなのです。
もともと、舞台に立つのはどうしようもないくらい緊張しますが、
レッスンは、いくら人に見られていても気にならないタイプなので、
今日もレッスンは、それなりにすぎたのですが、
私の前に2人レッスンがあって、最後だったので、
集中力が切れそうだったのが大変だったのと、
多分、その3人の中では、
私がいちばん「良い子」じゃないので、
前2人が言われたとおりすんなり納得して直していくのを見て、
ひとりどきどきしていました(笑)
私は、すさまじく、なんでっ子なので、
なんでそうするのか分からないと、
いくら偉い先生が言ってても、体が言うこときいてくれないんです(涙)
だから、納得するまで、なんで?なんで?って
聞き過ぎちゃうクセがあって。
先生によっては、そういうのちょっと嫌がる方もいるんですよね。
四の五の言わずに言われたとおりやれ!っていう、
こう、硬派な感じの、ね(笑)
今回のTorger先生がそういう先生だったらどうしよう…って
心配してたんですけど。
こっちが聞かなくたって言葉を尽くしまくってくれる先生でした。
というか、うちの父は、
「先生が話してばっかりでお前ほとんど弾いてなかったじゃないか」
と言ってました(笑)
確かに、録音聞いたら、音、少なっ(笑)
でも、おもしろい話をいろいろとして下さったのでいいですけどね。
私、今、バッハ=ブゾーニのシャコンヌを弾いているのですが、
この曲は二短調ですが、バッハなど、バロックの作品では、
短調の曲でも、最後の和音だけ長調にして終えるという、
ピカルディ終止という終わり方が使われることが多いんです。
で、このシャコンヌも、
ピカルディでもいいよ、という指定がされているのですが、
私は、悲しいものは悲しいまま終わりたいし、
バッハの平均律なんかでピカルディで終わるものって、
最後の和音の前の数小節くらいから、
そこはかとなく明るくなりそうな雰囲気が漂ってたりするんですけど、
このシャコンヌの場合には、その前ぎりぎりまでほんと暗いから(笑)、
最後だけ長調にすることにどうしても違和感があって、
結局最後は短調のまま終わってたんです。
でも、やっぱり先生は、最後は長調で明るくして終わりたいみたいで、
盛んにそこを長調で弾いて、
「君は短調か」みたいな感じで弾きなおすので(笑)、
先生に、
「そこはピカルディにするべきですか?それは何か理由があるんですか?」
と聞いたところ、
バッハより前の時代、
長三和音(たとえばドミソね)だけが三和音では協和音だという取り決めが教会でなされていたんですって。
つまり、短三和音(例えばレファラ)は不協和音扱いで、
だから、協和音で曲を終わらせるために、
短調の曲でも最後だけ長調で終わらせてた時代があって、
その名残がバッハの時代にも残っていたので、
バッハにはピカルディ終止が多く見られるんだよ、とおっしゃっていました。
でも、このシャコンヌ、バッハの作った原曲はヴァイオリンのためのもので、
それの最後は、実は、ニ短調の主音である、
レの音、単音のみなんです。。。
それを、ブゾーニという、新しい(といっても1900年ごろね)時代の人が、
ピアノに編曲した時に、
最後の方、音を厚くするために、
三和音にしちゃったんです。
だからどうしましょう、って先生に言ったら、
「バッハらしくしたかったらピカルディ、
ブゾーニらしくしたかったら短調のまま」
と言われました。
…バッハらしくはしたいんだけど、
ピカルディは、なぁ…。
むずかしい選択です。
でも、そういう私の逡巡みたいなものを
否定しないで下さったのはとてもありがたかったです。
それに、自分の、一瞬の欠点ではなく、
ピアノをやっていく上での根本的な欠点を指摘して下さったのも
ちょっと、なんというか、うれしいというか、良かったかな。
自分でも分かっていてもなかなか直らないところ(私の場合、全体的に重たくなるところ)をこの一回でちゃんと見つけてもらえたら、
直す手がかりを少しでも得られるかもしれないし。
来週、今度は公開ではなく、学校の先生のお宅で、
レッスンがもう一度あります。
そのときに、なんでっ子全開で(笑)
いろいろ根掘り葉掘り聞いてこようと思います。
しかしシャコンヌ、十分の一も終わらなかったんだよね。
時間が短かったのもあるけど、
通訳とおしてるから仕方ないのもあるけど、
録音聞くと、やっぱり話、ながいなぁ(笑)