最後の投稿から1年余り経つのですが、しぶとく元気にしています。昨年10月に突然の高熱に見舞われ、肺炎で一週間入院しました。回復して2日程は出社したのですが、今度は朝から呼吸困難に陥ってまた入院となり、いろいろ調べた挙句、心筋梗塞によるものと判明しました。実は、その前月の心エコ-検査で心筋に腫瘍があることが判明していたので、心筋梗塞の説明の時は妻も呼ばれ、心筋梗塞を起こしている原因が心筋に浸潤している胸腺腫と考えられるので、治療の手段が無いことを告げられました。その時点でかなり胸が苦しく大変だったのですが、呆然としている妻に声をかけて退室し、用意された個室で今後の事を相談するのですが、取りあえず、妻に感謝を伝えて昔の話をする位の余裕はまだありました。すると、突然面識がない医師が4人入ってきて、今からカテ-テル検査をして何とかあなたを助けられないか調べるので自分たちに命を預けて貰えないかというので、嬉しくなって妻に向かってこっそりⅤサインをしました。カテ-テル検査で、3本ある冠動脈の内、2本が完全に閉塞していたのが分かり、内1本にステントを入れて血流が回復しました。その瞬間に胸の苦しさは無くなり、命を救われました。心筋に転移?した胸腺腫は3か所あるとのことですが、心筋梗塞は、これら胸腺腫の増悪によって引き起こされたものではなく、通常の動脈硬化によるものでした。閉塞したもう1本の冠動脈は、血管の傷みが酷く、使いものにならないとのことで2本しかないためか、結構な心臓障害が残り、障害者手帳を取得しました。1カ月の入院生活も辛かったですが、退院しても身の回りのことさえできず、復職も考えられない状態でしたが、12月を過ぎてから急に心臓の調子が良くなって1月から職場復帰が叶いました。当時よくどうしてまた生き残ったか考えていましたが、未だ答えは出てこず、終わってしまった方が楽だったかもしれないと思うことがあります。職場に戻れて本当に嬉しかったのですが、現実は厳しいもので心不全による体力低下が著しく、1日机に座っているだけで夕方には疲れてふらふらしている状態でした。4月になって抗癌剤治療を受けたのですが、投薬によって心臓の調子が悪くなったため、抗がん剤治療を継続しないことを医師に求めました。先週のCT検査で半年前と比べて胸腺腫はどこもはっきりと大きくなっていましたが、心臓の問題があるので抗癌剤治療はやらない方が良いのではないかとのことでしたので経過観察を続けて様子を見ることになりました。それから、8月の話になるのですが突然声が擦れるようになり、飲み物で酷くむせるようになったので調べたら、反回性神経麻痺と言って左側の声帯が麻痺していることがわかりました。これは胸腺腫の増悪によってもたらされた障害ですので、今後も段々と体が不自由になっていくことを改めて覚悟するようになりました。その頃から仕事をどうするか悩むようになり、然るべき人に相談したところ、早期定年退職制度が適用されると言われたので、いろいろ考えて躊躇もしたのですが、今年度末で退職することに決めました。非常に難しい判断であり、後悔することもあるかもしれないのですが、仕事を辞めて家族とゆっくり暮らしたいという気持ちが強いです。これから、まず退職願を書いて、明日妻に話をします。そして休み明けに上司に退職の意向を伝えたいと思います。退職後はもう自分にできる仕事はないので退職金と傷病手当金の受給で暮らしていくことになります。60歳までは何とか頑張りたいと思っていたのですが、2年も早いリタイヤになって残念ですが、病気に負けずここまで来れただけで十分じゃないかと思います。