LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

劣等感とコントロール

2014-05-19 08:08:08 | サイキックの眼

          
          
劣等感とコントロール
          
            
劣等感を強く持つ人は、他者からコントロールを受けやすい。
劣等感を強く持つ人は、他者をコントロールしたがります。
       
精神分析だけの話しではなく、ここは《サイキックの眼》として話しを進めて参ります。
         
劣等感は・・劣っている感・・ということです。
誰でも頭では解っていることですが、笑って世間話しに出来るようなシロモノではありません。
         
人をバカにして蔑(さげす)んでも・・自分が賢くなったワケではありません。
自分の立ち位置が危ういとなれば・・他者をバカにしてランクダウンさせようとする。
         
例えば      
       
「や~い!おまえのかぁちゃんデ~ベ~ソ~!、ば~か!。」
         
古典的?仲間外れイジメですが。
仮に例えばですが、これが『相手に劣等感を持たせてコントロールする古典的なスタイル』だと思ってみて下さい。
         
つまり、劣等感とはコントロールされ、コントロールを受ける側のモノなのです。
そして、コントロールする側は、優越感を持つのです。
そしてまた、優越感を得る側も・・深い劣等感を持っているモノなので。
つまり、劣等感を優越感に変えるには、他者に劣等感コントロールを行うと自分が優越感に返り咲けるのです。
       
なので、劣等感と優越感は表裏一体でございますぅ。
      
         
今回の本題はこれです。
劣等感とは、不自由な状態を言うのだと思います。
自分が不自由な状態であると、他者を更に不自由にさせるコントロールをするのです。
         
僕のカウンセリング《サイキックの眼》では、この不自由が各々・・何処に存在しているのかを《透視分析》し、解決方法を視い出します。
         
知らず知らずに抱(いだ)いてしまっている劣等感が、どこから来ているモノなのか?。或いは・・無意味な優越感をどこで体得してしまっているのか?。
今このように、ある程度解りやすく綴っていますが・・、実際には劣等感や様々なコンプレックスの根源は・・計り知れないほどに根っこがくい込み縺れています。
       
小さくなった植木鉢に・・めいっぱいガチガチに根っこが増え絡みついているような。
僕の眼から《視た》不自由な魂は・・そんなカンジなのです。
       
「虐めはやめましょう」
というようなこコトのポスターを小中学校に貼るよりも
『劣等感と優越感の・・メクソ・ハナクソの背ぇくらべはやめましょう』
の方が説得力あるとおもいます。
      
話しを戻します。
      
問題原因は数えればキリがありません。
人の数だけ在ります。
ただヒトコトで言うと、
「自己の不自由さをどのように乗り越えるか!?」
ということです。
この不自由さ?とは何か。
どのように乗り越える方法があるのか?。
これをアドバイスさせて戴いております。
      
「不自由さをどのように乗り越えるか?」
      
これは、自然の動物や植物・・微生物も、自然の生き物すべてが毎日行っていることです。
誰のコントロールも受けていないのです。
そして誰のこともコントロールしません。
生きることに誰の遠慮もいらないのでしょう。
      
人間はコントロールしたがります。
なぜなら不自由だからでしょう。
細胞のすべてをもコントロールする時代になってきています。
不自由な劣等感を克服する為の最新技術が、細胞のコントロールです。劣等感を優越感に変えたい最新技術です。このまま万能細胞技術が進めば・・二度と再生出来ない劣等感を抱(いだ)くコトになるでしょう。やりなおしがきかない人生ほど不幸なモノはありませんから。
これはまた別の機会にお話ししたく思っております。
         
         
「劣等感から脱する為に、他者を劣等感コントロールする。」
      
これは、自己が成長した訳ではありません。
誰だって、産まれながらに劣等感を持っている訳ではありません。
ただ、生活環境の中でポジションが決まってしまいます。
       
それが・・劣等感だらけの家庭環境であれば、我が子をも容赦なく劣等感に悩ませようとします。
コンプレックス・コントロールが家庭内にある。
(劣等感・操作)
これが一番厄介な問題です。
どこの家庭にも多かれ少なかれあると思います。
    
〔にんげんだもの〕   あい〇み〇を
         
そんな悠長なモンではありませんわぁ。
      
劣等感に無いモノは、信頼でしょう。
信頼が無い関係性に、劣等感と優越感が存在します。
      
信頼しあっている関係性に、劣等感は生まれません。
信頼しあっている関係性に、優越感は必要としません。
信頼しあっている中に、コントロールは存在しません。
       
本当に必要なのは信頼です。
    
『誰からも信頼されず育ってきた人は、劣等感のカタマリとなるでしょう。』
      
今回のテーマの中で、一番キツイ・・辛い言葉です。
         
なので、信頼される為の努力を惜しみなくおこない続けます。
家族に・・。親にです。
信頼されないコントロールを受けているのです。
これが、成長が著しく・・不自由な人生の大きな原因のひとつです。
         
となりの芝生は青い・・なんてゆう劣等感や優越感なんて悩みは、小っちゃい小っちゃい!。
       
無信頼家族は、生きる生命力も弱いです。
日々のトラブルは勿論多い。病気も多い。
なので、劣等感も強く。優越感へのこだわりも強いのです。
なので、更なる弱者をコントロールしたがります。
(ここだけのはなし・・コミュニティ系の宗教とか・・こんなカンジでしょう)
          
         
『自分を信頼する強さ』
       
これを持つことの大切さ。
カウンセリングご依頼の中で、一番重要な事と思っております。
あらゆるご相談事に対しても、すべてに共通する大切さなのです。
         
自分がコントロールを受けているコトに気付くのは難しい。
そのコントロールの報酬が甘い蜜だからです。
曲芸をする動物のように。
それでも・・甘い蜜に縛られている方が楽でイイというのなら、いつか精神が破綻するでしょう。
       
『自己信頼』
劣等感と優越感が共に嫉妬する対象でしょう。
だから
『自分を信頼する強さ』が必要なのです。
      
「社会不安」というモノも、社会がコントロールしている中で考えなければいけないからです。
コントロールされる制限内でしか生きられないから不安なのです。
国際的劣等感から戦争で他国を脅かし合い、劣等感から原子力を用い・・。そのコントロールの中で不安に過ごす。
これも「劣等感とコントロールの関係」でしょう。
原子力発電所を受け入れている土地は、劣等感を押し付けられているということです。
なのでそこには初めから何の信頼関係もないのです。
震災後は、自然災害という形で破綻しましたが、そこからずっと・・何を信頼していいのか?翻弄され続けているのが結果です。
劣っている土地や地域など、最初から無いのです。
ただ・・。劣っていると感じているモノどうしが、優越感を得るために、劣等感を押し付けあっているのです。
         
「や~い!おまえのかぁちゃんデ~ベ~ソ~!、ば~か!。」
      
「あんたらデベソ見たんかッ!!つ~の!怒」
「なんでデベソがバカやねん!笑」
             
          
サイキック 山本 浩二
            
             
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