LOVE AND GLORY

-サイキックの眼-

存在価値

2014-04-02 06:14:30 | サイキックの眼

       
         
存在価値
      
                  
人権問題とか。
旅をしていると、列車やバスの車窓から、市町村等のスローガン看板に掲げられているのがよく目に入ります。
〔人権問題・強化月間〕とか、〔差別をなくそう〕とか。
その看板やノボリ旗も・・色褪せて・サビついて・蔦の葉が絡まっていたりして。
          
では。〔存在価値・強化月間〕って言うのはどうでしょう?。
      
笑。まぁそんなコトをスローガンにせんでもえぇわぃ。
でも、あったらオモシロイ。
      
〔存在意義〕って言うより、〔存在価値〕って言うのが良い。
なぜならば、意義も価値も同じ意味合いなのだそうだが・・。
〔存在意義〕だと、{これから価値基準を審議しましょう}ってカンジで、
〔存在価値〕だと、{審議する以前に当然の事!}ってカンジがする。
      
ただ。
〔存在意義〕だと、みなで審議しましょう・・という猶予があるのでしょう。
しかし、〔存在価値〕だと、価値あるモノは良くて、価値の無いモノは悪い!、という判断をくだす。
    
何故こんなことを考えるのか?と言うと、僕の眼には『総てのモノには価値が備わっている』と、視え続けているからなのです。
       
             
本題に入ります。
      
自分の価値を見い出せない人がいます。
自分の存在価値が解らない人がいます。
社会が用意した価値基準テストに100点を取った人は、その社会基準に翻弄され続けます。
群衆に踊らされたトップは、群衆によって落とされます。
      
でも・・何事も経験をしないと解らないものです。
       
互いに価値を見い出せて、互いの価値を認めあえれば、言う事ありません。
      
価値のアルもの。価値のナイもの。
人間の嗜好の移り代わりでも・・その価値相場は変ってしまいます。
      
ナニが良くて?ナニが悪い?のか・・・。
僕の眼には、その判断の基準意義が無いんです。
なぜならば。
『みな同じように価値を持ち携えて生きているからなんです』
僕の眼には・・常にそう視えているし、そう視続けてきた。
審議以前のコトなんです。
僕には〔存在価値〕に対し、審議やテストなんて要らなかった。
       
ただ。〔存在価値〕を持って、この地球上で生きるには、やはり必死にならなければいけないこともまた、すべてが平等なんです。
      
解りやすく逆に言いますと。
「価値をバカにしているヤツが安全に暮らせている良き社会」
      
変でしょう?笑。
もう一度解りやすく戻して言います。
    
「〔存在価値〕を持って必死に生きることが総てに等しい姿」
      
生きている以上、どの動物も植物も微生物も・・そして個人体をもつ人間も、〔存在価値〕を持っているのです。
      
なぜこのように言いたい・・言う必要があるのか?と申しますと。
〔存在価値〕を見失っている家庭に育ってきた人の恐ろしいほどの苦労の原因と現実を理解してほしいからです。
      
日本だって、まだまだ差別文化(失礼)はあります。
きっと大昔から変わっていないでしょう。
しかし戦後・・すべてお金で精算することをしてきました。
         
お金さえあれば、平等になれる。
お金で埋め合わせてやって、平等にさせてやる。
お金が無いから、平等になれない・・・。
お金さえあれば幸せになれる・・・。
お金をやるんだから文句言うな。
働いて・・お給金さえ見ていれば・・苦労は忘れられる。
お金さえあれば我慢も出来る。
      
〔存在価値〕と〔必死(必ず死ぬという意味)〕
      
僕が市町村のスローガンの看板を建てるとしたら、
『存在価値をシッカリ生きて!必ず死のうぜっ!!』
ってことになるかな。笑
      
「価値もない・・・。」
「死ぬに死ねない。」
    
これからまだまだ家族内での殺し合いが増えると予測します。
      
自己価値を見い出せないまま、お金だけは持って。
自己価値の無い親には、自己価値の無い子が育ちます。
子供は成長したくても・・・親の価値基準が曖昧過ぎる為、無き者にしたいのです。
親が子を殺す事例でも同じです。
親が我が子の価値がうとましくなるのです。
なぜなら、親の自己価値が全く成長していないからです。
殺す。というのは恐ろしいことです。
しかし、そこまでいかなくとも・・予備軍は多いでしょう。
         
『存在価値を見い出し続けて!シッカリ死のうぜっ!!』
      
「価値も無い・・・、死ぬに死ねない」
      
どちらが良いでしょう。
      
存在価値の無い所に、存在価値は成長しません。
存在価値は、自分で実感しえる『領域』なのです。
      
『存在価値・領域』を持っている人の前では、自分の『存在価値・領域』に気付きやすくなるのです。
      
       
サイキック 山本 浩二
         
          
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