愛と恐怖
恐怖を感じると・・愛をもとめ。
愛をもとめると・・恐怖を感じる。
恐怖をまのあたりにしたとき・・愛を感じ。
愛を感じたとき・・恐怖と共に居ることを認める。
愛を求め、愛に満たされたいと願う人は居ても・・。
恐怖を求め、恐怖に満たされたいと求める人は殆ど居ないだろう。
人間以外の有機物質は、恐怖を知っている。
だから、愛ある美しい姿をしているのです。
人間以外のすべての有機物質は、恐怖に自己責任を持って生きている。
だから、愛ある姿にも自己責任という自由が在るのです。
人間って、何も満たされていないようです。
愛も・・、恐怖も・・。
恐怖も疑似体験する遊園地があり。
愛も疑似体験する施設がある。
幾ら体験しても・・年間パスポートを買って通っても・・まだ満たされない。
もっとスリルが欲しい。
もっと癒され疑似体験が欲しい。
人間以外の生き物は、本当の恐怖を知っていて、本当の恐怖に強い生命を知り持ち得ている。
だから、本当の愛を知っている。
だから美しいのです。
恐怖と共に在ることが、愛と共に在ること。
それは、対・人的な恐怖ではない。
ドメスティックバイオレンスなど、暴力などの関係性から生まれる歪んだ愛情の関係。
国家間での抑止力による恐怖から出来る虐めや・・愛国心?。
人間同士、人工的な恐怖を与えあい・・その人工的恐怖に耐えることに愛を感じる・・歪み。
歪んだ恐怖と、歪んだ愛。
なぜ?これが歪んでいると言えるのかと言うと。
「本当の恐怖」と、「本当の愛」が存在するからなのです。
僕は、《サイキック=透視》を持って依頼者方にカウンセリングを行うにあたり、その人が一番に恐怖を感じている部分に触れるよう心がけています。
いいえ・・。心がける以前に既にもぅ視えているのです。
その恐怖が、歪んだ・対・人的関係からなるモノであれば、それはトラウマや病いという大きな壁となり、息苦しい・・時間も成長も止まった人生になっており、それは・・愛情の持ち方も歪んでいることに比例し続ける。
僕が、カウンセリングを行う上で一番大切にしている事は、「歪んだモノ」と「本当のモノ」との違いを再確認してもらうことなです。
歪んだ愛から生まれる・・歪んだ恐怖。
その歪んだ恐怖からまた生まれる・・・更に歪んだ愛。
更に歪んだ愛から生まれる・・・・・・更に更に歪んだ恐怖。
もぅ。。ゆるキャラでも見て笑うしかありません。
そうではない。
「本当の恐怖」には、悩み・・苛まれる(さいなまれる)ことは無いのです。
「本当の恐怖」には、「本当の愛」が在るだけなのです。
「本当の恐怖」とは。
総ての有機物に平等に在るモノなのです。
人間だけが、それを克服し?・・無きモノにすることは出来ないのです。
僕は・・幼くモノゴコロある時には既に「本当の恐怖」を感じ続けてきました。
幼稚園でも小学校でも・・その後の勉学も、楽しいと思えた時は一度もありませんでした。
不安症とかではない。
「本当の恐怖」も「本当の愛」も、何処にも見当たらなかったからだった。
本当の恐怖も、本当の愛も、ただただ尊い限りなのです。
「尊い恐怖」と「尊い愛」
それを感じ続け持って生きて居たい。
なぜなら。
それは、総ての有機物に共通する基本だからなのです。
サイキック 山本 浩二
□ 「愛か?お金か?。」も、併せてご閲覧下さい。
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