楽健法研究会 東光寺の楽健法セラピスト養成講座

楽健法セラピスト養成講座の記録・現在第12期(2012年)4月開講から来年3月まで毎月の記録です

第9回12月8日(1日目)その1

2013年01月10日 | 第12期楽健法セラピスト講座
ついてまずは…おやつ!




12/8 13:06「光明真言」
 今月は12月1日が土曜日だったので、合宿は早めの8日、奈良イオンハウスの講習会に参加した前々泊のひとや、昨夜来られた方もいられて道場も暖まっています。東光寺山は道場から本堂を通り越して裏山にまわると、葉を落として枝を広げている落葉樹の森が迎えてくれます。葉が落ちると西側の展望がひらけて、耳成山と二上山が見られます。山道も木立の間も落ち葉が積み重なっていて、枯れ葉を踏んで歩くサクサクという音は東光寺山ならではの感触でしょうか。木立の向こうにはすこし広くなっている野原とも畑ともつかないスペースがあって、数条の畝らしき盛り上がったところには豆の苗が育ちはじめています。この野原から収穫できるのはエンドウ豆ぐらいだと、手入れもあまりしない人が何日か前に蒔いたのが発芽しているのです。この野原を挟むように大きな桜が二本あるのですが、どちらも老木で数年前から朽ち始めて満開の桜の花が半減してかなりさびしくなってきました。しかしこの桜の下で毎年4月には受講生一同揃っての記念撮影をしているのです。



開講

(宥厳先生)えっと、一人まだ…諸戸さんまだやね?
(琴美ちゃん)え、でも多分靴あったからいる…。
(宥厳先生)いらっしゃる?
(幸子先生)諸戸さん来てやったで。
(宥厳先生)まだ来てないやろ。電車ちょっと遅れたからって言って。え?いらっしゃった?よかった。あ、で、みんな揃ったんだ。…もうちょっと後ろ行こう…(一同笑い)。よいしょお~

(宥厳先生)おはようございます。
(一同)おはようございます。
(宥厳先生)えっと、今回ちょっと二人ほど急きょ…二人やった?
(受講生)二人です。
(宥厳先生)ね。あの~小山さんが少し体調がすぐれないとかで、何かあのしんどそうな声で断って来られたので、それで、恭子ちゃんに来て頂きました。そしたら、今朝になって柳田さんが雪が降ってきたので、まだスノータイヤに付け替えてなくて怖いから車で出られませんというようなことで、言ったのでそれで堀内さんにピンチヒッターに来て頂きました。どうもありがとうございます。
(一同)よろしくお願いします。

(宥厳先生)長年こういう湿気の多い場所、山のお寺で暮らしてましたら、色々建物にも異変が起きたりして、先月は本堂の須弥壇の天井の一部が抜け落ちているのに気がつかなくて、本堂の前の供物、果物なんかお供えする棚がバラけて下に落ちとったので、おかしいなと思って、猫が入ってひっくり返したんだわい、と思って、それは拾ってきてね、自分で修理したんですけど。その後で琴美ちゃんが本堂を掃除してくれてたら、先生天井が抜けてますよ、なんて言われて。

 天井の右端が雨が漏って、べニア板がバラバラになった所に天井に猫が入って、その猫が踏みぬいたみたいなんですね。それで、慌ててその棚とか、壇の上の物ひっくり返してね、それでどうも逃げて行ったみたいなんです。それまだ修理してないんですが、大工さんの源ちゃんに電話して見に来てもらったら、別に瓦が割れたりしてるわけじゃなくて、枯れ葉が積もりすぎて、それで水が中に落ちたと言うことが分かってまあ屋根を綺麗に掃いてもらって、近いうちに須弥壇の天井をべニア板でなくて杉のむく板で貼り替えてもらうことにしました。

 それを決めたのは今朝なんです。というのは天井が落ちた次に壁が剥がれて、こう傾いてきたんです。ある場所の。それがここ、道場の床の間なんです。それで、上の方がベローっとこうこちらに倒れて来たのを、それも琴美ちゃんが発見して(一同笑い)。それで、取りあえずグーッと手で押し込んで、釘でちょっと仮止めしてあったんですけど、まあ、それを今朝源ちゃんが来てくれて、ねじくぎで奥の方にびゅっと何箇所か止めてくれたんで、壁にねじくぎの穴が開いたもんですから、ちょっとそれ隠すために、釘の穴を修理したんですけど、色が合わなくて汚いもんですから、上に和紙を貼ってみたんです。それで、まあ、あれで乾いたら白くきれいになるだろうと思うんですけどね。そんなことで壁にもそんなことが起きたりしました。



まあ、何でもきちんとある状態を維持していくと言うのは大変難しいことですね。どんな頑丈なものを作ってあっても必ず時が経てばくたびれていくので、形あるものは必ず滅す、と言う風に昔から言われてる通りで、ひとには奢れるものはひさしからず、と言う風にも言うし、人間は調子に乗って受けに入っていると思ってたらね、突然ひっくり返って天下を取られると言うこともあるでしょう。

 民主党が今にも日本に素晴らしい改革をするのではないかと思わせて政権をとった結果、以前にも増してひどくなってしまって、それを良くするんだと言ってやってる今回の選挙なんかでも多分、自民党がまた天下を取るのかもしれませんけれども、もう前途…暗雲が立ち込めたような時代になると思います。憲法を改正するとか言うとるし。まあ、どういうことになるのかわかりませんけども、何かもっと悲惨なことがもう一回起こって、無政府状態にでもなったようなところから出発しないと本当は立ち直れないのかもしれないなと思いますね。

 大阪の知事の橋下さんにしても、理念をもって政党を率いて動かしていく力を持っているとはとても思えないので、やっぱり自民党がレベルの低い意識で、自分たちのメリットのあるところだけを優先してやっていくことになるんでしょうね。

で、原発もやっぱり再稼働したり色んなことが起こってくると思いますね。ゼロにはならんと思います。だから、まあ原発ゼロにするには、もう一度やっぱり今の福島を越えるような事故がどっかで起こらないと日本人は懲りないと思うんです。

 第二次大戦で日本が敗戦してやったことに懲りたのだろうか。300万以上の日本人が死んでるんですよね。世界中ではそれはもっとすごい数なんですけど。あれくらいの人が死んだらちょっとは気がつくかもしれない、と言うくらい人間というのは疎いもんですね。事前に何か手を打つうということはできないことですね。

 先手必勝みたいな感じで早い目に用心しとけば上手くいくという建前でやられてる健康診断とか、何でも早手回しにチェックしたら、小さいうちに気がついて大丈夫だろうと思ってやるんですが、それで、今、大体、日本人2人に1人はガンで死んでいくような時代になってきましたからね。まあ、これから今年で120万くらいの人が年間死んでますかね。これ200万くらいの人が年間死んで行くようになったら、もっとガンの死亡者が増えてくると思うんですね。ま、そういう恐ろしい時代になって来ています。だけど、まあそんなことだけで、いつも国民が振り回されているようではいけないので、やっぱりしっかりした信念と方法論を持ってそれで、健康に生きてる人たち。そういう人たちがどんどん増えて行かないといけないと思うんですね。ま、そういう感覚で、農業…先祖伝来農業やって来たような人は農業捨てて、若い人は皆都会に出て行ってしまって、それで、農業に何の関係もなかったような若い人たちが、Iターンとか言って、古民家に住みついて、農業に取り組んだりして、電気もろくに使わないような暮らしを志してみたり。この間から何回かそういう人たちにお目にかかったりして、そういう暮らしぶりを楽しんだりしてる、いわゆるこの前も話したかと思うんですけど、ローカリゼーションなんていうね考え方で、地産地消とか、その土地で…身の丈に合った暮らしをしていかないと本当はいけないんだと思うんですね。

 私はまあ何度かインド人とも接したり、チベット医学とかネパールにも行って色んなそういうネパールの人たちの、山奥で暮らしてるような人たち、直接はあんまり見てませんけども、そういう暮らしを見ていると、何か人間というのは何百年も相も変わらずこう横ばいの成長なんかとまったく関係のない、横ばいの暮らしをして生きて行くのが、人間の生き方ではないかなと思うんですね。

 だから、いつも、GDPですか?経済グローバリゼーションの経済発展に乗ってどんどん発展して行くのが何か幸せに繋がるように思ってきたのがもうそうではなくなりましたよって言う限界が見えているんですね。もうそういう時代に入って来てるんですね。もう限界が見えて来たということでしょうかね。地球の持ってる限界とかね。

 僕はいつも東京へ行ってもどこへ行ってもそうなんですけど、すごい人間の数を見てこういう人たちが毎日腹いっぱい飯食ってるんだと思ったらね、どこにそんな食べ物が豊富にしまわれていて、それがいかに上手いこと配給されてるんだろうと思って感心しますね。何か地球の懐の大きさみたいなもの。しかし、そのもう、懐が間に合わなくなって来てるということが、もう目に見えてきてるんですね。だから、今は何かそういうことをセーブしていきながら、上手に生きていかないと人類全体が生きていけないと言うことに気付き始めたんでしょうね。

で、まあそういうの手っ取り早く解消しようと思ったら、アメリカみたいに戦争してね。たくさんの人を殺してというようなこと繰り返して行くのか、それとも、皆が仲良く健康にどこの国の人もすこやかに生きて行くような方法を編み出すのか、どちらかですね。

しかし、アメリカなんかはやはり武器で食ってる国なので、小さなどっかアフリカの国で内戦が起きたりしたら、どちらも武器を、双方に武器を売りつけて、しこたま稼いでね、それでまたそれを防止しようと国連で論議して、紛争を沈めようとしたりって全く茶番劇ばっかりやってるわけですね。足が地に着いた人間の暮らしみたいなものが模索されて、それを実行されていくという時代になって行かないといけないんですけれども、まだまだ100年やそこらはこの残酷物語が世界に繰り広げられて行くことだろうと言う風に思いますね。

人間の歴史を振り返ってみても本当に平和な、小さな範囲では長い平和を享受したと言うような国もあるんですよね。日本がそうですね。明治維新まで300年も全くどこにも害を及ぼし…まあ、秀吉なんかは朝鮮に出兵したりしましたけれども、平和にこうどこからも侵されることなく、うまく国も崩壊しないで生きて来たという日本なんか稀有の歴史を持った国ですね。世界中ではたくさんの文明が滅びていってますからね。廃墟になって。そういう意味では日本ではうまく生態系も利用したりして上手くやって来れた国なんだろうと思いますね。まあ、今から私たちはどういうことを考えて、何を目指して生きて行くのか、と言うことをやはりこう庶民の立場からたくさん実践していく人たちが出てくることによって、世の中が変わっていく、あるいはそういうことに気づいて行く人が増えて来ないとね。

 数からいえば力をもった邪悪な人の数の方が圧倒的に多いように思います。経済力や権力をもっている人間は無情ですね。弱いひとが善良で、良心なんていうのは、いつも踏みにじられてきたように僕は思うんですね。まあ、しかし、そういうなかで、こういう天井が抜けたとか壁がちょっと倒れたとか言うてね、一喜一憂するような呑気なことがやれていると言うのは非常に幸せなことだと思って、まあ、1日1日感謝して行くしかないのかな、と思ったりもします。



この間から、ちょっと話をしてましたけれども、この分厚い本が出ましてね、これは、ペテロ・バーケルマンスっていう方で、神父さんです。ベルギーの方ですね。えーっと、19…何年生まれやったかな?今、50ちょっと過ぎたくらいの年代ですけど、私と知り合ってかれこれ25年近く、ちょうどこの東光寺へ私が入った、入る直前に知り合って、それ以来の付き合いで、これ何年生まれって書いてあるかな?
(受講生)1960年。

(宥厳先生)1960年生まれ。
(受講生)52。
(宥厳先生)52歳やね。60年っていたら昭和で言ったら何年ですか?
(受講生)34年…35年生まれ?
(宥厳先生)35年?うちの上の息子が36年やね。1月の生まれやね。まあ、だから、ペテロさんがちょっと上なのかな。このペテロ神父さんはベルギー人で、20世紀に最後にキリスト教に入った、つまり、神父になろうとしてカトリックに入った20世紀最後の人で、多分今後、ベルギー人で神父になろうと言う人は現れないだろうと言う風に言われてるそうなんです。

 カトリックの、彼のセクトは日本では淳心会って言うんですけど、神父になろうとしているのはインド人、それからインドネシア人とか、東南アジアの人たちですね。そういう人たちが勉強して神父になろうと思って神学校に入るわけですね。それで、そういうキリスト教の神父になろうと思って組織に入れば、ちゃんと神学校、大学まで行って神父になると言う、地位が約束されますからそれでそういう第三国の方から志望されて入ってくる人が多くて、彼はいままでに何人もそういう人をここへ連れてきています。

インド人の神父さんを連れてきたこともありますが、まあそういう状況を見ているとスタンダールの「赤と黒」という小説がありますけど、ああいう世界にどっか似てるなと思いますね。「赤と黒」と言うのは、赤っていうのは軍人になることを、赤と言ってるんですね。で、黒というのは聖職者になること。だから、貧しい身分の、まああまり金持ちでないね、身分のそんなに、家柄の名門でないような家に生まれた人が、のし上がっていこうと思ったら軍人になるか、牧師になるかどっちかだって言うのが、それが「赤と黒」っていうことで、ジュリアン・ソレルって言うのは、その軍人になって出征して行こうとする青年ですね、出征を目指すためにやるんですけど、それは結局悲劇に終わると言う小説なんですね。そういう意味でカトリックの神父さんになるというのも、どうも黒の方に、第三国の人たちは、そういうレールに乗ることによって、人生の何か、より高いところにのぼりつめようと言うことができるような感じを僕は受けるわけです。

 ペテロさんは来月この教室に夜、土曜日に来られて講演してくれることになっています。それで、この東光寺で私が入った年。1990年なんですけれど、4月にここに引っ越して来たんですが、彼はそれから半年くらいの間、週に3回以上もこの東光寺に泊りがけできてくれたりして、それで、本堂の方の整備やら色んなことを手伝ってくれたんですね。前にも話したかと思うんですけど、庫裏の前にボロボロの六畳一間くらいの家があって、平屋ですけれどもね、その家の中にもう前からお寺に住んでた人が、捨てることもできないようなガラクタを一杯ほり込んで、ガラクタ小屋になってたんですけど、家も全部、ペテロさんと二人でばらして、それでトタンを、屋根にふいてあったトタンを針金で縛りつけて箱にして、ふたも作って、その中にばらした家を順番にほうり込んでニか月がかりで、家を一軒燃やしちゃった。そんなことを手伝ってくれたんです。

ここの、突き当たりの磐余堂がありますけれども、この中でペテロさんは瞑想するのが大好きで、いつも東光寺へはメディテーションに来られて座っていかれて、日本で一番好きな場所だとか言ってられます。それから後に彼は日本語をマスターして、それで南山大学へ入って、神学部で勉強されたんですね。それで、修士論文なんかも日本語で書かれて、それで南山大学卒業してから、高野山大学に入って密教学を専攻するわけですね。

 彼は比較宗教学というのをベルギーの大学で専攻して来られたので、それで、カトリックの教会の人たちは他宗教との対話ということをよく言われるんですね。色んな宗派の、宗教が違っても必ず共通点があって、色々対話をすることによって、お互いを理解できて、それで世の中の平和に寄与することができると言う考え方ですね。だから、他宗教を攻撃したり、批難したりはしないと言う考え方ですね。カトリックの対話運動なんですね。

 他宗教と比較、対話するためにベルギーから日本に来て、高野山大学にも入って、お坊さんの資格を取って、英語で外国の人たちに真言密教が理解できるような、真言密教のガイダンスを執筆され出版されたんです。それを、日本語にも翻訳して出したいというので、最初私に翻訳してくれんかとか言われたんですけど、私はそんな翻訳するような語学力がないので、まあ、彼の原稿用紙30枚くらいの短い論文は翻訳してインターネットに掲載したりしていますけれども、なかなかそんな学術書をしっかり訳すほど力がないので、まあ、ペテロさんが日本語にしたものをリライトするんだったら喜んで手伝いますと言うようなことで、始まったのがこの本なんですね。

 それで、ワードのファイルをもう沢山送ってくれましてね、どんどこ送って来て、それをだいぶ手伝わせてもらったんですね。それが数年かかったと思います。

で、キリスト教に関する記述の所は、まあ私はキリスト教のことはそんなにわかりませんので、まあ一応目を通しましたけれども、それは他の方がまたリライトして、それを全体を日本文として構成をきちっと目を通すと言うのを、富田林にいらっしゃる小谷良子さんって言って、まあ今、大学で教鞭をとっていられる知人がいるんですけれども、この人がまあ最終的にこなれた日本語に直してくれたわけです。

 そんないきさつで出来た本です。それで、彼の本で私が長年疑問に思ってたことが一つわかったことがあったんです。何年か前に、多分もう10数年前に、ある晩夢を見たんですけど、私が白い衣を着て勤行の場所に座ってね、それで、同じ真言を繰り返し繰り返し唱えている夢を見たことがあります。その真言が「オンタタターソワカ」って言うんですよ。僕がガーンと鐘を鳴らして、オンタタターソワカ、オンタタターソワカって唱えまくってるんですね。それで、オンタタターソワカって目が覚めてからね、オンタタターソワカって何だろうと、長い間分らなかったんです。それは、僕なりに持ってる範囲の文献で調べたりしたんですけど、まあピタッとはまらなかったんですが、この本をリライトを頼まれて彼が送ってきた論文の中に「タタター」と言う言葉は「真如」。真如苑って宗教がありますけど、あれがタタターなんですね。真如。真如って「真実は海のごとく広くて大きい」と言う意味があって、それで、まあ真如と言う意味がタタターなんですね。

この間マット島君が僕にメールで「先生が言ってたタタターはあの真如のタタターのことですか」ってメールくれたことがありました。もうその時には私はこの本を読んで「ああ、そうだったんだ」と言うことが分かったんですね。それで、多分「タタターソワカ」というマントラをどっかでずっと唱えていると何か不思議なことが起こるんじゃないかなと言う感じがいつもあって。ときどきオンタタターソワカって唱えているわけですね。

 不思議な暗合みたいなもんですね。そのオンタタターソワカと言う真言を、彼の原稿を読んでチェックして気がついて、それから2,3日した時に、大阪へ出て近鉄特急に難波から乗って、八木で降りるために乗ったら、私が買った指定席は通路側、いつもよく通路側もらうんですけど、たまたま自動で買ったら通路側だったんで、私の席に行くと窓側に女の方が座ってられたんですね。私より…多分60前後の人だと思うんですけどね。で、その人が熱心に何か本を読んでられて、僕は五鈷杵を手に持ってるもんですから、手の中でこんなことしてたら、向こうがそれに気がついて何となく質問を受けて、それはどういうもんですかって言われて、で、その人の本をパッと見たらそれが真如って書いてあるんですよ。真如苑の信者さんみたいだったんです。それで、その話になって、そしたらまあ、その人は伊賀の市中に古い藤堂家の子孫が住んでる大きな屋敷があって、で、女学校、高校卒業するまでそこで暮らしていたらしいんですけど、その家を最近伊賀氏市へ寄付をして、史跡として、と言うような話をされていたんです。それで、不思議な人やなあと思って、それでまあ話を聞いていたら、どっかの大学で英語を教えてる先生みたいだったんです。しばらくしたら、検札が回って来ましてね、それでその女の人に切符見て、あなたの席は間違っていますって言われて、ちょっと3つほど前の方に移動されたんですけど、何かそういうタタターという言葉をめぐって、たまたま真如苑の本を持っている人と、何かそういう不思議なシンクロがあったりするんですね。

 その後その人とは2回くらいメールのやり取りしましたけど、それ以上にお互いに用事もありませんから、それっきりになっていますけども、ま、伊賀に行けば藤堂家のそういう大きな屋敷が今一般公開されてるみたいです。去年の四月から公開されてみたいですね。そんなことをインターネット見てたら出てきました。で、そこの奥さんの名前もなんか新聞記事が載ってて、地元のね。その人ではないですかって聞いたら、私はそんな偉い人ではありませんって返事が来たことがあってそれっきりなんですけど。ま、そういうことがありましたですね。

夢のなかで不思議な真言を唱えてる、僕が考えだしたんじゃなくて夢の中で与えられたんじゃないかなと思うんだけれども、オンタタターソワカって言うような言葉が何か不思議な力を持っているかもしれないし、だから、皆さんも気が向いたらオンタタターソワカって唱えてみられたら、1000回くらい唱えたら何か不思議なことがシンクロするかもしれません。

 真言を唱えることで、本当に不思議なことが僕は何度も体験してるんです。車を運転しながらでも、いつも唱えてる真言はサンスクリットの原語の光明真言です。

 高野山に入るよりだいぶ古いんですけれども、アグニヨーガの会って言うのがあったんです。
 ニコライ・レーリッヒという画家がいて、その絵は、ニューヨークのニコライ・レーリッヒ美術館って言うところに700点ほどあるんです。この美術館がアグニヨーガの本部になってるんです。その日本支部が東京にあって、大阪でも勉強会がたまにあってぼくはそこへ行ってたんです。

 モスクワにもニコライ・レーリッヒの美術館があるとか。もう一つはインドのマナリにあるんですね。マナリってのはかなりヒマラヤに近いところです。あなた方がよくいかれるとかいうアシュラムの近くなんですよね。マナリへ一度行きました。

 ニューヨークは一回だけいきました。ニコライ・レーリッヒに関心を持ち始めて、それで、一度ニコライ・レーリッヒの美術館に行きたい、行きたいと思いながらニューヨークへ行くチャンスなんてまずありませんからね、それで、まあ本でニコライ・レーリッヒのことを知ってただけだったんですけども、そしたら、ここの道場が使えるようになった直後くらいに頻繁に東光寺へ来られているモダンダンスの有名な三条真理子さんて言うダンサーの方がいて、その人がねニューヨークに40年越えてると思うんですけど、ニューヨークに住んでいる人なんですね。

 三条真理子さんが、ここへ楽健法の勉強に来られて、彼女は彼女のダンスの理論と楽健法の私の考え方とか非常にこう合致するところがあって、日本に来るたびにここへ勉強に来られてたんですね。その人が60歳になった時にもうラストダンスをニューヨークでやるから、是非宥厳先生見に来てくれっていうようなことで、それでラストダンスを見るために、安い航空券を買って3日間だけニューヨークへ行ったんです。ニューヨークで3泊。全部で5日くらいかな、飛行機の中の往復も入れて、で、10万円くらいの切符で行ったんです。

三条真理子さんと話してて、「山内さんニューヨーク行ったことありますか」と聞かれて、いや全然アメリカにいたことがないというと、アメリカに関心がないのかって言うから、いや、関心はあってニューヨークのニコライ・レーリッヒ美術館って言うところにぜひ行きたいんだって言う話をしたら、三条真理子さんはビックリされて、日本人でレーリッヒ美術館へ行きたいなんて言われたのはあなたが初めてです、なんて言われてね。

 三条真理子さんはニコライ・レーリッヒ美術館が好きで時々行かれてたらしいんですね。ま、そんな話をされててそれでまあ私のダンスと美術館と引っかけて是非来て下さい、と言うようなことでニコライ・レーリッヒ美術館に行ったんです。で、私がフェイスブックでプロフィールに使ってる帽子をかぶった写真はレーリッヒ美術館の中なんです。あの中で写したものね。それでニコライ・レーリッヒの美術館って言うところは、ちいちゃな長屋の4階建ての、4階の、4軒くらいの長屋がずっと立ってるブロックがあるんですね。

 何とか川、あれフォトマックっていうのかなニューヨークの川。そのすぐ近くにね、その長屋があって、その長屋の右端の1軒がレーリッヒ美術館になっている。間口もそんなに広くなくって、入ったって狭いんですけどね、そこで階段が、4階建てですから、そこらの壁面から階段から、もうあらゆるところに上手いこと絵を吊ってあるんですね。で、日本人の絵を、僕はまあ額ぶち屋やってますから、絵を吊るすと言うことは盛んに色んなところでやって来て、ここにも色々絵を吊ってますけども、白人の絵を陳列する感覚と言うのは日本人と全然違いますね。それでもう上手いこと数もたくさん吊ったりするんだけど、それが様になるような吊るし方で、まあ、日本人の美学って言うたら、大きな壁面にポンと1枚と言う感じですね。その中に20枚ということはあまり考えないです。20枚あると額ぶち屋さんみたいになっちゃって、それは絵を飾ってるって感じじゃなくなるんですけど、ヨーロッパの人たちはちいちゃな写真にしろ、なんかたーくさん飾ってね、それが様になるようなインテリアの作り方知ってますね、あれ。何か違う感じを受けるんですけど、レーリッヒ美術館もそんなかんじでしたね。たくさん絵があって。

それで、まあニューヨークに3日おる間に3回行ったんです、そこへ。ところがその美術館は、2時にオープンして5時に閉めるんですね。それで、1日に数名しかお客さんが来ないっていうそういう美術館なんだけど、その美術館を管理している人たちはみなボランティアで、ロシア人のそのアグニヨーガのメンバーが管理しているわけですね。

で、アグニヨーガって言うのは、アグニって言うのは「火」って言う意味なんですよ。fireのことですね。アグニヨーガはどうやって始まったかというとニコライ・レーリッヒの奥さんのヘレナやったかなちょっと今名前をど忘れしましたけど、そのニコライ・レーリッヒの奥さんがチャネリングができるひとで、それでニコライ・レーリッヒの奥さんにモリヤ大師って言う人が降りてくるんですね。そのモリヤ大師の言葉がそのままこうバイブルみたいになって、「モリヤの庭の木の葉」って言う本になって、翻訳されています。

 多分、今アマゾンで申し込んだら、2冊くらいは買えるかもしれないと言う本ですね。その本をずっと昔に私が買ってね、それで絶えず何か自分が知りたいとか、ちょっと問題を感じた時にあるページをパッとめくると必ずそこに応えが書いてあるような本なんですね。アグニヨーガの本は私は今も持ってますけど、とても大事にしてる本ですね。で、それのモリヤ大師の教えを実行する、つまりこれはバクティヨーガなんですね。アグニヨーガっていうのは、要するに努力して人のために一生懸命尽くしなさいと言うことなんですね。だから、私がこうやって楽健法の教室で一生懸命楽健法を広めることもアグニヨーガを実践してると言う意識なんですね。

ま、だからバクティヨーガといってもいいんだけれども、それがアグニヨーガです。そのアグニヨーガの中で教えられる教えの中で、光明真言の呼吸法って言うのがあって、で、それを僕は勉強したときからずーっとやってるわけですね。で、光明真言って言うのは日本でまあ、今朝も本堂で唱えましたけれども、オンアボキャベイロシャノウマカモダラマニハンドマジンバラハラバリタヤウンっていうのが光明真言なんですね。これを、まああのウィキペディアなんかで光明真言って引いてもらったら、これのサンスクリット語が出てきます。




発音と意味
om amogha vairocana
オーム (聖音) 不空なる御方よ 毘盧遮那仏(大日如来)よ
オン アボキャ ベイロシャノウ 
唵 阿謨伽 尾盧左曩

maha-mudra mani padme
偉大なる印を有する御方よ 宝珠よ 蓮華よ
マカボダラ マニ ハンドマ
摩訶母捺囉 麽抳 鉢納麽

jvala pravartaya hum
光明を 放ち給え フーン (聖音)
ジンバラ ハラバリタヤ ウン
入嚩攞 鉢囉韈哆野 吽




 で、それはオンアボキャベイロシャノウマカモダラマニハンドマジンバラハラバリタヤウンって書いてあるのをサンスクリットの所を見たらそうは書いてないんです。オームアモギャバイロキャノウーマハーンドラマニペードムゼバラプラバルターヤウーンって書いてあるんです。

 それはサンスクリットが英語、ローマナイズされてますから読めますけども、そういう、そのサンスクリットの唱え方で、それを呼吸法としていつも、呼吸法にそれを光明真言を使っていて、それをまあ僕は毎日やってるんですね。今もね。光明真言をいつも唱えていることで、いつも自分も浄化されていくし、回りもよくなっていくし、ほしいものはすぐに手に入るようになって来るし、と言う風に人生が展開していくと言うことをずっと実践しているわけですね。

 だから、まあ東光寺に来てからも道歩きながらでも、オーム アモギャバイロキャノウーマハーンドラマニペードムゼバラプラバルスターヤウーンっていう呼吸法を、歩きながらでも心で唱えながらとか、車を運転しながらでも、それを唱えると言うようなことをやってましたらね、そしたら何かサイクルが変わってくる、人生の。

 まあそういう感じでね、光明真言っていうのはずっとやてるんですね。この呼吸法はオームアモギャバイロキャノウーっと唱えながら息を吸って、マハーンダラマニペードムゼバラーっと息を止めて、プラバルスターヤウーンって息を吐くんですね。

 これが光明真言の呼吸法で、それで光明真言はお唱えするときはきっちり10秒間で唱える。測ってみたらわかるんですけど。オームアモギャバイロキャノウーマハーンダラマニペードムゼバラプラバルスターヤウーン…で、きっちり10秒です。今唱えたんでね。多分測ってみたらそうなると思います。そういう練習をしてそれで、まあ光明真言をいつも唱えて、ま、そういうことしてると何か都合のいいように、都合のいいようにって言うか何か導かれて、道が開けてくる。で、ここの階段登りながらここの家を眺めて、あの家が手に入ったらいいのになと思いながら、この前を上がったり降りたりしてると、何かいつの間にやら自分のものになってたって言うような感じになるんですね。

まあ、ここへ最初に1期生で勉強に来られた方で萬成さんっていう人がいるんですけどね、彼女は私が東光寺へ来たと言うことをテレビで見て、テレビでね朝の8時過ぎのニュースタイムの時間に生中継で放送されたことがあったんです。そこでこのお坊さんは楽健法をやってる、天然酵母パンやってると言うようなことを放送されたんですね。それを見て王子に住んでる人なんですけど、彼女が楽健法をやってほしいと毎週一回来られるようになった。
 彼女はね、東光寺へ毎週来られていたんですが、ここの前を登るたびにね、ここの家が東光寺の手に入ったら和尚さん便利ええやろな、といつも思ってたって言うんですね。それで道場が合宿して使えるようになってきたので、第1期生となられたんです。彼女が思っていた通りになったということですね。まあ不思議なことが時々あります。

ま、そんなことで詰まらんことをお話しましたけれども、今から楽健法やりましょう。じゃ、護身法ね。はい。



楽健法(8)



Dinner
●れんこん饅頭(れんこん、こいも、ほうれんそうのお浸し、ちりめんじゃこ、シソの葉、小麦粉)●おでん(大根、こんにゃく、ちくわ)●たくわん辛し和え




石笛







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