ソラから来たよ

このブログは「地球の謎解き」(http://sora.ishikami.jp/)の情報を元に構成しています。

物部氏、如意棒、飛騨の連続地震

2011年03月02日 23時20分15秒 | Weblog
飛騨地方連続地震、地震雲」、「2月の地震雲、日本に遺されたもの、物部氏」の続きです。

2011年3月2日
物部氏、陀岡神社、地球の磁力線、如意棒、飛騨の連続地震、両面宿儺、玉造、悪の三ツ輪

1)輝く太陽、太陽が喜んでいます。

2)物部氏の最後は以前から春日富士の近くと言っていましたが、「陀岡(あたか)神社に来てほしい」と言葉になり出かけましたら、驚くものがありました。

2)高山にはラダの崇教真光の世界総本山があります。

ソラ画像より
ガラス玉
まるで毛糸のようで、これまで見たガラス玉では一番小さいと思いました。
このように玉の中に糸を通して思うような形にできるように、地球の中にも見えない如意棒を通して、ラダがチョイ悪!のシリウ、オリオン、いて座の若者たちを支配し、悪さをしているそうです。
そのことを
「玉造に来てください」
と言葉になり、このガラス玉が頭に浮かんで知らせて着ました。

難波の宮跡
NHKの地下にあります。
今日のビジョンで、低い三角山がこの光のように光っていました。
プレの王が出て行った君山だそうです。

2004年1月31日
物部守屋の最期、イシカミより

2004年1月30日夜
「私は物部守屋です。
私は、星述べの者が何か知らせてくれる事を、皆に知らせる役でした。
知らせる事は農業の事で、仲間に教えていたのです。
いつ種を蒔いて、いつ何をするかという事を知らせていました」

2002年1月21日
私市の円山古墳

2002年1月18日 綾部に向かう車中にて。
(綾部の)私市の円山古墳は、誰を埋葬していたか考えていた。

「あの丘の上にいる者で物部の守屋なり。
どこまでもウマヤどのミコは追って来た。
何としても君山(=城山)の見える所に葬って欲しいと言っておいた。
けれども(敵に)君山を気づかれては困るので、君尾山の見える所(少し離れた所 = 私市)にした」

「物部の守屋がどうして(あそこに)葬られたか仲間がお知らせします。
小さな子供が、白い木の子孫です。
物部氏が滅んだ後、その子供は信貴山に送られ、そこの僧侶にさせられたのです」

2002年1月19日 綾部にて真夜中

「丘の上の者です。
物部の守屋です。
いつになったらお知らせできるかと思っていました。
【守屋】と名乗ったのはなぜかというと、矢でもってお守りする、と言う意味で名乗りました。
なぜ私のお墓が忘れられたかというと、仏教のせいなのです。
それはとてつもない言い方で押さえ込まれたのです。
守屋に付いていた小さな子供(白い木の子孫)は、支配星に支配された者につかまり、信貴山の寺に送り込まれました。
そしてその子供がそのお墓(物部氏のお墓)を祭ると、死んでから救われないから、と言わされたのです。
その代わり、家の屋根のところに口をあらわすもの(空気抜き)を作るように言ったのです。
真実が隠された事を家は見ていた、と言う事をあらわすためです。
家々にその事が語りつがれていったので、この地方の家には口の形をしたもの(空気抜き)があるのです。
叉あの家はホシノミナをあらわします。
あの形(三角)の反対の形で地球に降りてきた事を表わしているのです。
茅(カヤ)葺の屋根も意味があるのです。
カヤの花=ススキは切るとすぐ枯れて、白髪のようになります。
それは人間の肉体もすぐ年をとることを現しています。
沢山のカヤで屋根を覆い、年月が経つと葺き替えますが、人間の生まれ変わりと同じ、と言う事をあらわしています」

注)物部氏は、以前から綾部市物部町から出た人とチャネリングでは言われていました。
物部は私市の近くにあります。
この地方の農家はカヤ葺きの入母屋造りで、三角の屋根の部分にひし形の空気抜きがありますが、それが丁度口のように見えます。

2002年9月8日
3柱神社など

【春日富士】
同行者が以前この横を通った時、何か変な感じがしたそうですが、それは、物部氏がここで殺された、と降りてきて知らせた所でした。
三角山で中腹に巨石が積み重ねてありました。

【君山】
星原にて。
子供の頃は登っていましたので登ろうと思いましたが、長い間人が入らなくなり、木が生い茂り登れませんでした。
「君山です。
来てくれたのに、大人になり毛(木)が生えて邪魔をしてすみませんでした。
何もかも見ていました。
私を思ってくれる気持ちがよくわかりました。
私は(巨)石のないものですが、今日はホシノミナジンジャの屋根をきれいにしてくれて嬉しく思いました」
(ホシノミナジンジャの屋根の吹き替えされていた)

【3柱神社遥拝所】
白道路にて。
同行者が白道路(ハソウジ)の道端に気づかないくらいの鳥居を夢で見て気になると立ち寄る。
↓はその事を知らせてくれたメールです。
『夢の中でキミ山に行く途中に、三? 神社の鳥居があり、そこに入ろうとしたところで目がさめていました。
この間、綾部方面に遺跡調査に行く機会があり、夢で見た道筋をたどってみたところ、そこにはやはり神社がありました。
鳥居の額もなく、何神社か分からないくらい忘れられたものでした。
お社は稲荷神社となっていましたが、その横に立っている柱を見ると、なんと三柱神社遥拝所となっており、もともとは三柱神社だったようです。
遥拝所なので、ここからどこか別の場所をお参りするための場所だったようです。
夢の中では鳥居の額が金色に光っていて、参道の木も立派だったので、昔は大事な場所だったのかなと思います。』

「こころざし半ばで散った山彦です。
ご案内しますのでお待ちしております」

「3柱神社とはヒミコの櫛を真似た鳥居なのです。
(少し離れた若宮神社などは下半分が3本です)
それをあそこ(白道路)に作って祭っていました。
白い木の者が述べる“星述べ”を信じる者達があそこでお祭りをしていました。
けれども物部氏が滅ぼされてからは稲荷神社の形に変えられましたが、近くに観音のお蔭を説く仏教が広まり、また庚申も入り込み(石に書かれていた)忘れ去られていったのです」

ここを訪れてくれた方は2回星原の夢も見て、現実と一致していました。
(お便り紹介 2002年3月14日参照)

ソラ画像より
白川郷(合掌造り生活資料館より)
陸の孤島である白川郷には、縄文土器などがあり、平家落人説は違っています。
この近くのイシカミがそれぞれ独自に人間を発生させ、イシカミの一部が集合住宅、田畑になり人間に生きるスベを教えて、その後は寝ていたそうです。
ソラからの情報では、ここのイシカミがヤマトに殺された山彦の子孫を呼び寄せ、日本海側から入り込んだそうです。
言葉もタッツケ、へこたれるなどは綾部の言葉と同じです。

白川郷も町のようになり、離れた所の「合掌造り生活資料館」の方が昔を忍ばせます。

2007年5月5日
白川郷から立山へ、山彦の子孫の逃亡先、孤立する村の意味、地震雲、巨人の手形=悪城の壁

日本列島を横切るように日本海側に向かう道中に、5個山(5人のイシカミ?)の合掌村にも寄りましたが、白川郷より小さな村で、本当に山の中で離れています。
そして食料が限られるので、長男以外は結婚できなかったと言うような説明を聞いたためか、イシカミが降りてきて、
「人間を創ったが、住む家を造ったのでそれで仕事は済んだと思っていたので、詫びてください」
と言ってきました。
仲間のイシカミがそれぞれの地域で人間を造り、巨人が家になり、生きる方法を教えたのでその後は寝ていたので、人間が苦労しているとは知らなかったようです。
イシカミが独自で人間を創っていったことは、世界各地の民族が違うことをあらわしています。アメリカのインディアンや、アフリカなどでもいろいろな民族がいたことでもよくわかります。
深い谷があり川がありますが、私はイシカミが降りたので隙間に自然に谷が出来て川が出来たと思っていたら、「違います」と言ってきました。
すなわちイシカミ達は隙間を開けることなく重なっておりたので、巨人のイシジンが掘って川を造ったと言うことです。
次の日が天気が崩れると言うので、急遽3時ごろから立山へ向かいましたが、これがGWの混雑を避けてスムースに行けたようでした。
ただ、室堂までは行かず弥陀ヶ原でゆっくりしましたが、帰りのバスに乗るために外に出た途端、いろいろな雲や横ニジや幻日が短時間に見せてくれました。
又、立山に行った後、後見てほしいところがあるかと聞くと、言ってきた所が「悪城壁」と呼ばれる変わった崖でした。
それは巨人が川を造ったということを、巨大な手のひらに似た崖で知らせていました。
崖が一部不自然に平らになり、指のような形に杉が生えている所でした。

立山の麓の立山博物館ほど、気味の悪い博物館はありませんでした。豪華な建物で、あらゆる地獄絵の掛け軸などがこれでもかとかけてあり、石器などは年に2回ほど短期間公開されるだけだそうです。

ソラ画像より
巨人の指をあらわす

立山の川を造った巨人の手形
このコースは計画にはなかったのですが、チャネリングで聞いて行きました。
「悪壁城と言われているので雨は泣いていることを知らせます」と。
川は自然に出来たのではない。
立山の谷=川を造った巨人が、自分たちが造ったという印に残したことを知らせてほしいと。
川原の丸い石はこの巨人が砕けて出来たそうです。
ちょっとわかりにくいですが、直線に杉が生えて指をあらわすようで、近くにも杉と岩が平行しているのがあります。(↑の画像参照)

五個山の巨石
菅沼村落には巨石があちこちにあり、白川郷より小さめの合掌造りで、隣村とはずいぶん離れていて冬場は完全な孤立で少ない田畑で生きていくのは大変だったと思います。

帰雲城跡の山の崩落
岐阜県で1586年にM7.8の地震が起こり、お城と300軒余を飲み込んだと言う伝説がある崩落現場が遠くの山に見えます。

おばれ石
麓から見ると小さな点にしか見えませんが、射手座の女王が「口」のつもりで作ったそうです。
人間の大きさに比べるとその大きさがわかります。
岩の間は人間が通れる隙間があります。
女王が冥王星の王をおぶって地球に降りてきたと、最初から伝えられてそれでオバレ石というそうです。
なぜ冥王星の王をおぶって来たかわかりませんでしたが、2005年6月30日にわかりました。
射手座ではイシキは死ぬということがなく、いつまでも生きなければならないので、一旦終わって新しい体験をしたいと思ったので、死後の世界を司る冥王星の王を連れて来たそうです。
それで人間も寿命があり、新しく生まれ変わる事ができ、いろいろな体験が出来るようにしたそうです。

以前に、初期の地球は平らだったと知らされましたが、この形だったそうです。
オーストラリアの半分になった丸の岩や、地下宇宙のいろいろなお知らせとつながります。
この四角がどのようにして丸くなったか?
四隅のイシカミが後から降りてきていろいろ人間に教えたことで、神と崇められるようになったなど。
ミネラルウオーターのローマの噴水や、砂漠の豊富なカナートの水脈、柿田川や羊蹄山なども豊富な湧水なども、この間にろ過され地上に出てきたのも、マグマで埋まっている地球でないからです。

私市丸山古墳、ワの山古墳=イチゴ=ブッダの頭をあらわす
綾部市にあるワの山の古墳。
京都府一の大きな古墳ですが、近年高速道路の工事で見つけられるまで古墳という事は知られていなく、完全に隠され封印されていました。
ワの山の周りは丸い小石が敷き詰められ、石を大切にしていた事がわかります。
頂上には大人と子供のお墓があり、知らされた情報と一致しています。
周りの土器の真中に穴が開いているのは、将来このお墓の下に道路が通る事をチャネリングで知らされ、それをあらわしているとしらされました。
物部守屋と星延べの白い木の子孫のお墓だそうです。
大人と子供のお墓で1500年前。
小石が敷き詰められたワの山は、巨人の遺体です。
イチゴという名前【イシカミのチカイのゴロク】からつけられ、ワの山に小石をイチゴの種にみたてた形を真似て作られたと伝えられました。
大仏=ブッダの頭もこれをあらわしている。

ソラ辞典より
イチゴの誓いのゴロク
イチゴ=イシカミのチカイのゴロク

「イチゴは種が実の外側にありますが、その悲しい物語です。
イチゴは小さな丸山のような形です。
その周りに小さな種?がありますが、その種?からは子供は増えていきません。
見せ掛けだけの種なのです。
それはイシカミも同じでした。
イシカミはイチゴに似せたもの(私市丸山古墳など)を作りましたが、忘れ去られて行きました。
世界中のイシカミたちも、落し物であちこちに自分の分身の岩を並べておきましたが(ストーンサークル、ドルメンなど)、そこからは子供(分身)は出来ませんでした。
そして、人間達にも忘れられて行ったという悲しい物語です」

地球の謎解きシリーズ発売中!
・『地震と雲』(目次
地震の前にあらわれる変わった形の雲を、280枚の写真で紹介します。この本は地震の予知を目的に作ったのではありません。なぜ地震が起きるかという、これまでにない情報をお知らせするために作りました。
・『ソラの人間誕生記』(目次
宇宙の成り立ちについての説明や、人類発生の理由とその過程について、それらが有史以前の遺跡や製作者の分からない多くの石像と関係していることを解き明かします。
・『ソラからの真実の歴史』(目次
ソラのものやイシカミたち、過去人間だった意識が語る宇宙、地球、世界、日本の隠された真実の歴史です。宇宙や地球の成り立ち、イシカミについて、ヤマタイコク、出雲と倭の国、ヤマト、太平洋戦争までの隠された真実について解き明かします。
地震雲画像
DATE LAT LON MAG DEPTH km REGION
02-MAR-2011 12:45:18 36.51 70.50 M4.7 204.8 HINDU KUSH REGION, AFGHANISTAN
02-MAR-2011 05:59:54 44.53 148.99 M4.8 55.0 KURIL ISLANDS
02-MAR-2011 03:08:10 29.32 130.31 M4.5 45.3 RYUKYU ISLANDS
02-MAR-2011 01:23:42 37.24 71.45 M4.5 106.8 AFGHANISTAN-TAJIKISTAN BORD REG.
02-MAR-2011 01:18:42 39.09 75.26 M4.7 57.9 SOUTHERN XINJIANG, CHINA
02-MAR-2011 00:59:58 16.35 -91.13 M4.5 23.5 MEXICO-GUATEMALA BORDER REGION
01-MAR-2011 23:26:59 24.73 125.17 M4.8 39.0 SOUTHWESTERN RYUKYU ISLANDS
01-MAR-2011 21:46:42 13.50 -88.48 M4.6 198.9 EL SALVADOR
01-MAR-2011 18:01:39 6.86 126.46 M4.5 75.2 MINDANAO, PHILIPPINE ISLANDS
01-MAR-2011 17:14:02 3.87 126.93 M4.3 82.3 TALAUD ISLANDS, INDONESIA
01-MAR-2011 15:12:50 56.92 -154.70 M4.7 48.8 KODIAK ISLAND REGION
01-MAR-2011 14:56:56 12.92 -88.88 M4.4 60.5 OFF COAST OF CENTRAL AMERICA
01-MAR-2011 14:05:59 12.02 142.21 M5.1 44.2 SOUTH OF MARIANA ISLANDS

発生時刻 2011年3月2日2時16分頃
震源地 岐阜県飛騨地方(北緯36.1度 東経137.4度 深さ10km)
規模 M2.9 震度1 高山市、飛騨市

発生時刻 2011年3月2日8時27分頃
震源地 宮古島近海(北緯24.8度 東経125.2度 深さ20km)
規模 M4.9 震度3 宮古島市、震度1 多良間村、石垣市、竹富町

発生時刻 2011年3月2日8時31分頃
震源地 宮古島近海(北緯24.7度 東経125.2度 深さ20km)
規模 M3.2 震度1 宮古島市

発生時刻 2011年3月2日12時8分頃
震源地 奄美大島北東沖(北緯29.3度 東経130.5度 深さ40km)
規模 M4.3 震度1 鹿児島十島村

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以上、地球の謎解きより。
写真は3月2日のソラ。

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