晴れた空も、横を通り過ぎる人や車も、私にとっての普通の日常は変わらない筈だと思ってた――
会社へ行く父と、大学へ行く陽兄と別れて私と太一兄は同じ学校である栖鳳(セイホウ)高校へ向かった。待ち合わせ場所のバス停で奈美ちゃんと合流して、普段と変わらない会話をたわいなくする。
橋ノ蔵奈美ちゃんは、心と書いて心友。以心伝心がたまに伝わる貴重な人なのだ。同じ幼稚園、小・中・高校と同じ地区の学校に共に通っているいわゆる幼馴染。腰まであるストレートの髪が艶やかに風で靡き、歩く姿は芍薬の花。座る姿は牡丹と着物が似合う大和撫子。主に和菓子を作っている老舗の由緒あるお店の一人娘で、将来は女将さん!! 美人な上に頭が良い我らのマドンナ、私の誇れる友達なのだ。
「もうすぐ学園祭ですわね。理緒は何かしてみたい事とかありますの?」
「私は男子が女装してくれれば何でも良いんだけど……メイド喫茶か演劇かな? 笹井に田山や木城君なんかが女装してくれれば面白いと思うんだけど、女子はケーキ作ったり裏方で良いんじゃない?」
「フフ、考える事は皆一緒ですわね。我らクラス女子一同の意見はもう纏まったも同然。嗚呼、楽しみですこと」
クスクスと愉快気に持っている扇子を広げて、口元を隠す心友の奈美ちゃん。広げた扇子から上品な和のかほりがする……くんくん。
「プハッ! そうだ、女装した皆の写真を撮ったら皆欲しがるよ。ねぇ、奈美ちゃん?」
「そうですわね。我がクラスのイケメン三人衆は他の女子からも人気がありますし、売ればかなりの額が期待できますわ」
Dカップ奈美ちゃんに抱きしめられながら「ねっ?太一兄!」と伺ってみる。
「確かになってオイ、何で愉快気にこっちに話を振るんだ! 俺は欲しくなんて無いぞ」
「(最初は頷いた癖に、チッ!!)太一兄も陽兄もお父さんも、基は良いんだから女装したら絶対イケてると思うんだけどな」
「銀座で敵無しのキャバクラが出来ますわね」
言いながら三人で我が家の男性陣が女装した姿を想像する。
なんともゴージャスな女性に早変わり、巻き毛にシリコンを胸にセットしたセレブ風女性の父と、かつらを被った兄二人による超絶人気ナンバー1のインテリホステスにギャル風ホステス。店のトップ3の彼らに懸かれば必ず長蛇の列が出来ると、奈美ちゃんに熱弁された。
「~~理緒っ! 橋ノ蔵! お前らの思考回路はどうなってんだよ! そっ、そんな事陽兄や父さんに言ってみろ、もの凄い見返りを要求してくるぞ……」
「わっ、太一兄ぃ! 髪の毛がまたグシャグシャだよぉ!!」
太一兄が、顔を茹でダコの様に真っ赤にして食って掛かって来た。からかい甲斐のある反応だ。ついおちょくってしまう。これを我らが長男の陽兄には出来ないから、尚更ヒートアップしちゃうんだ。
女装状態の腹黒父と、冷やかな双眸をさらした兄の事を考える。二人からの要求を考えて陽兄と揃って身震いした。
三人でああだこうだと論議しつつ、思考云々で太一兄には言われたくないと憤慨しながら学校に着き、それぞれのクラスへ歩いていった。
今日も一日の授業が終わり、空が茜色に染まりつつある時――
「奈美ちゃん、私今日図書委員なんだ。だから先に帰ってて」
「わかりましたわ。本当は一緒に残る所なんですけど御免なさいね理緒、今日は家に従兄とその子供たちが来ますの。いいですわね? 寄り道しないで真っ直ぐ帰りますのよ。私から太一さんに連絡致しますから」
奈美ちゃんの家に従兄の蓮見さんが遊びに来るみたい。結婚して今は3児のパパ。
三人の子供たちも遊びに来るみたいだから顔が見たいんだって。友達だけど、どこかお姉さんみたいに頼れる心友の奈美ちゃんが私は好きだった。
「ありがと。じゃあ奈美ちゃん、また明日ね!!」
手を振って別れると、自分の鞄を持って図書室に向かう。
自分のクラスを出て廊下を歩いていると、後ろから誰かが声を掛けて向かって来た。身長は170センチ近くある笹井明人、私のクラスのイケメン三人衆の内の一人。笹井は私の数少ない男友達だ。
男女共にクラスの人気者で、リーダー役もこなせる凄く頼れる奴。一年で既に副会長だ。彼は縁の下の力持ちという立場の方が気楽で良いという。裏方に廻るタイプなんだと。うむ、謙遜してるのかも。
「大泉はまだ帰らないのか?」
「うん、私は図書委員だからね。今日は当番だし遅くなるんだ」
「なぁ、俺も図書室へ行くんだけど、一緒に行かないか?」
「へ?う、うん。じゃ、じゃあ一緒に行こう」
笹井の顔が赤くなりながら(風邪かな?)、二人並んで廊下を歩く。
――18時00分――
辺りはすっかり夕闇に染まっていた。
今の季節は10月で日中の気温はまだ暖かいのだが、太陽が隠れてる今となっては肌寒い。
静かな図書室で勉学に勤しむ生徒が大勢いたが、閉館時刻のため生徒も帰路に着き閑散としている。本の遅延者のリスト作成や新刊の手続き等、やっとキリの付く所で終わる事が出来た。図書室の戸締りをして、私達二人はすっかり薄暗くなった廊下を歩いて下駄箱に着く。
「ふぁあ、やっと帰れる」
「お疲れさん」
「あの、それで話ってなに?」
質問すると隣に居る彼は顔を赤くしながら横を向く。笹井は話があると言って、図書委員の仕事が終わるまで待っていたとのこと。だったら話を聞かなければと、改めて彼と向かい合う。
「大泉、オレ、お前のことが」
「ん?」
「好きなんだ。だから付き合ってほしい」
「私の事が好きって、ぇええっ! ちょっ、ちょっと笹井、本気なの? じょ、冗談で言ってるんじゃないよね? マジなの?!」
「マジだ! 本気だ! 俺は好きな奴に嘘なんか付かない!」
笹井の語る言葉が本当かどうか、ジッと見つめた。スゥ、ハァと深く呼吸をして彼も私を見つめ返す。
「部活でランニングしてて俺がすっ転んだ時、膝から血を流してたらお前が血相抱えてやってきて手当してくれたろ? それから意識しだして。そ、それにお前がお弁当の中にオレの好きなもんがあるとたまにくれたりさ。
お前が何やっても可愛く見えるわ、意識するわで、気づいたら頭の中がお前一色……うおっ!! 何言ってんだオレ?」
彼は真っ赤な顔を片手で押えながら悶えている。つられて私も恥ずかしくなってきた。
「……」
「このまま想いを伝えない、とも思ったけど出来なかった。だってお前はクラスでも人気あるし、ほっとくと誰かに盗られると思って」
ん? クラスで人気があるのは笹井の方なんじゃ、と眉を顰める。
――が、思わず息を呑んでしまった。笹井の真剣な瞳で見つめられる。
真実味のある話だとやっと理解した時、顔から火が出そうなほど熱くなった。
「笹井、私は……」
心臓が高く鳴る。告白なんて、自分には縁遠いものと自覚していたから。
「お前、俺のことダチとしか見てないんじゃないかって思ってたんだ。俺のことを意識して欲しいんだ。その時でも良い。返事を、聞かせてくれないか。どんな言葉も受け取る」
「笹井」
「頼む! 俺にチャンスをくれっ」
「わ、分かったから。頭上げてよ!!」
「……サンキュ」
下げた頭を勢い良く上げられ 笹井は嬉しげに顔をほころばせていた。テストで満点を取った時も、こんな顔をしてただろうか。友達だと思ってた彼の、意外な一面を知った時だった。
「それでさぁ……中学の時だった頃の数学の先生ときたら、ちょっと居眠りしてただけで宿題を増やすんだよ。その時、一緒になって悪ふざけしてた男子も巻き添えにしちゃって。宿題追加するんだよ、ひどいよねぇ」
「ぷっ、大泉が寝てたのか。今とあんまり変わらないよな」
「むっ、なによぅー!」
薄暗い夕暮れの中だったと思う。
二人で校門を出ようとそれぞれが足を一歩踏み出した時。遠くでカラスの鳴く声が聴こえ、一斉に羽ばたく音が闇夜に響き渡った。
「な、なんか不気味だよな。まだ鳴き止まないのかよ」
「怖い感じ。早く帰ろう……あっ?」
足元が一瞬崩れて姿勢を崩した。私の立っている場所だけが激しく振動している。
体が激しく揺れる中、笹井を見ると彼はポカンとした表情で平然と地に立ってこちらを見ていた。
「きゃ、きゃあぁぁっ!」
「ど、どうして大泉の立ってる場所だけ揺れてるんだ。嘘だろう?」
一部分だけの地震を起こしている有り得ない状態に、私達は混乱するだけで――
「なっ、」
「大泉っ!!」
アスファルトのひび割れた地面が私を取り囲むと一斉に崩れ始めた。
「ヒャァッ」
(――落ちるっ!!)
「~~っ掴まれっ!!」
笹井が慌てて私に手を伸ばすが、届いたはずの私の右手は透けて握れなかった。
お互い目を限界まで見開き、凝視した。
最後に聞こえた声は、取り残された笹井が私を焦った様に呼ぶ声。崩れたアスファルトはその痕跡さえも残さず、ぴたりと元通りに修復された。そう、彼の姿が完全に見えなくなったのだ。
***
ふわふわする浮遊感に、全てを委ねたくなる――気づくと体が浮いていた。
ここは何処だろう? 私は確か笹井と一緒に居たはずなのだが。
寸前の出来事を思い出す。自らの手が透けて笹井の手を掴めなかったのだ。
「ウッ、ヒック……」
世界から切り離された感覚に、胸や喉がキュッと痛い。
私の体、どうしちゃったの?
どうしてこんな事になった?
家族は? 友達は?
もう、二度と逢えない?
この世の終わりでも来たんじゃないかと、そりゃもういっそう落ち込んだ。その時からだろうか。少しづつ深い深い青色をした空間に陽光が差し込まれてきたんだ。何かに例えるなら、海の中に居るみたいだと言える。神秘的な空間に目が奪われ、ここに私がいる事が場違いなんじゃないだろうか? そう不安に感じていると……
リオ……
「?」
優しい声がする方に耳を傾けてみると、白い服を着た女の人が宙に浮かびながら微笑んでいた。
澄んだ青碧を思わせる瞳にふっくらとした瑞々しい赤い唇。うっとりする様な甘い香りは鼻をくすぐる。
髪の毛は見事な金髪のブロンドで腰まであり、体からまばゆく光が出ている。浮世離れした様な雰囲気に、神話に出てくる様な格好だと憶測してしまった。
「あの、」
問いかけた時、首に何かをかけられた。
見るとピンク色した花のモチーフに紐を通したもの。花からはとても良い香りがして、ふんわりと私を包み込む感じがする。
「あれ?」
指で拭っても、こみあげる涙が止まらないから。
女の人を見つめたら抱きしめられた。ポンポンと背中をあやされ頭を優しく撫でられる。
流れる涙を拭い、頬にキスまでしてくれた。すると、あんなに止まらなかった涙は嘘のように引っ込んだ。
(……この感じは前に感じた事がある?)
不意に青い瞳と目が合いニッコリ微笑まれる。
奇妙な安心感と思い出せないもどかしさに、胸がじくりとざわついた。
「あの、貴女の名前は?」
この人の名前が知りたい。
「私の名前は大泉 理緒っていいます」
この人の声が聴きたい!
「リオ、私の名前はエリシュマイル。貴女の誕生を待ちわびていました」
「誕生? よく分からないんだけど、え、えりしゅマってな、長い名前だねっ」
覚えられなくて妙な発音になってしまう。もう一度聞こうと女の人の顔を窺うと――
「プリズムボウルを浄化するために、貴女の力を貸してほしいの」
「プリズム? それは何の事なの?」
女の人は一瞬儚げな顔をした後、私の髪を優しく撫でてくれた。
「ファインシャートの世界が少しづつ、確実に壊れ始めてる。私の力だけでは止められない。貴女の力でないと」
「まっ待って。き、聞こえないよ」
女の人の姿がぼやけてきた。声も殆ど聞こえない。気付くと白い世界に包まれ、完全に何も見えなくなった。
「世界が貴女を待っている。信じて。貴女の力と、私達からの不変の愛を――」
彼女のための祈りの歌を捧げるべく、新たな覇者の誕生に祝福を……
理緒の親友 橋ノ蔵 奈美
理緒の事が好きな副生徒会長 笹井 明人
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