mon avis, ...etc.

とりあえず、時々デス。

異様で許されざる過ちを犯している異常事態に・・・

2023-02-20 01:17:09 | 思うこと
論理の破綻したプロパガンダを連日読ませることによって
思慮分別の足りない党員たちを思考停止の先兵にしていこうという戦略なのだろうか
現実に、ネトウヨまがいの異様な侮蔑と罵倒、品性を疑う発言が溢れ踊り出し増殖していく事態が進行中
論理的思考で思慮深く誠実に活動してきた党員たちは、おそらく傷つきながら無言で苦しんでいる

意図的なミスリードが姑息すぎて、吐き気がする。
繰り返し刷り込む、それを鵜呑みにして錦の御旗『反共攻撃』と、口汚くののしる大勢のヒラメ。
人間の組織の限界なのでしょうかね。そう思いたくはないけれど。。。
これが、科学と歴史と真理を標榜する党なのか。魚は頭から腐る。そんなことを今、実践してみせてどうするつもりなのだろう。
党は、いったいどこへ向かうつもりなのか、どこまで事実を捻じ曲げて進むのか、
理解不能です。
人の善意と悪意を党首が勝手に断定し、善意のひととしか対話しないのでは
社会は変わらず、未来社会は永遠に来ないよ。
攻撃、反撃で、あたたかい人間社会はつくれませんよ。
イヤなら出ていけ、と、これほど簡単に口汚く言いながら、どの口で自由で平等でロマンあふれる人間集団だとのたまうのか

破綻している。劣化している。という程度の話じゃないと思います。
現場で市民とともに活動し、背負っているものが大きいひとほど、黙り込んでいるのが現実。
自分が排除されることより、支えてくれている大勢の仲間のことを考えてしまうからです。
つまり、今、ものをいえば、排除されるとしか思えない、異常な事態になっているからです。
歴史と市民を裏切っていることに、早く向き合ってほしいと思う。思うしかないくらい、現場はいそがしいのです。
戦う相手を完全に間違えている。つまり、守るべきものも間違えている。
今、たたかうべき相手は、自ら作り出した反共攻撃ではないよ。
伏魔殿。社会から孤立した陣地と身分をまもるために破綻した論理で扇動する、そのエネルギーを、真の社会変革につかえって話です。
腐りきった組織の論理が、これほど赤裸々に表面化し、呆れてものがいえない状況でも
良識と良心を信じたい思いで耐えているが、あまりに苦しい毎日。
理論と科学。良識とあたたかな人間愛。それを求めている同志にどう説明するのだろう。
最悪、最大級の過ちを犯していることに気づいていないわけがない。
気づいていないとしたら、あまりに浅はかだし、あえて無理筋を通そうとしているからこそ、これほど醜悪な事態なのでしょう。
と、ここに書くしかない苦しみ。共有しながら語り合えない現実。
自分ひとりなら、自分ひとりの体ならいいのに。と、動けないいいわけ。つらいです。本当に。



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恋について

2017-12-01 23:37:59 | 思うこと
要は、外界から完全に離れて、静かに振り返る時間が必要だったのだなあ…と。
そんな時間がまるで持てなかったんだなあ、長いことね。

んで、とことん恋愛体質なんだな、おいら。これはもうどうしようもないことで、あらがう必要もないよな。それでいいんだと開き直ってあきらめた。結局、それが私の本質らしいし。
てか、おもしろいことを知ったのよ、昨日。
愛の問題について、こころとからだが分裂しがちなのは、山羊座の特徴なのだそうだ。納得しちゃって悩みの種も吹っ飛んだわよ(笑)
どっちもどっちで必要で、だけどバランスよく一致しなかったり、どっちかだけでもよかったりするのが、占い師からみたら、山羊座さんにありがちなことだって、いや~気が楽になりましたー。なんだか重い荷物を背負うことないんだよっていわれたようなスッキリ感、星占いもあなどれねーなあってか、あなどっててスミマセンでした。とな。

この人をホントに好きなんだろうか、ただヤリたいだけなんだろうか、と、いつも自分にまず問いかけるわけです。ヤリたいだけなら立ち止まろうと思うのです。が、結局のとこ、正解がわからないことが多く、そのうちに、好きがどんどん増していき、結局、止まらなくなる。で、戻れないとこまでいってしまう。このくり返し、なんで懲りないんだろう・・・と。
いちばんダメなのは、そうなっちゃうと呆れるほど一途なとこです。恋してなければ、いろんな人と楽しく遊べるのに・・・て、まあ、結局、ダメな悩みだなあ(笑)


迷ってばかりいるけど、欲しいものがハッキリしていて、手が届かない日々が苦しくてしょうがない。
それで、だんだん疲弊していくみたいなのはもうイヤなんだよな。てか、ホント、片思いには向かないんだわ、おいらの体質。



とはいえ、突然やってくるんですよね、雷の一撃。理屈抜きに、こころの準備もないとこに、いきなり落ちるんだな。
フランス語でいいますと J'ai eu le coup de foudre pour toi. 突然始まって止められない思い。てーと、もう手遅れかもなあ…
つーか、私がフランスかぶれなのは、必然なのだわ。何のために生きてるかって、それはただあなたをを抱きしめるためだ!って、結局そこに行きついてしまうもの(笑)。ある意味潔いのよね。って、こんな人、私だったら惚れちゃうけどなあ(苦笑)

あーあ、道は遠いなあ。。。


仕事がきつきつなのに、無理矢理(てか強引に)スキ間をつくって、映画観て、本読んで、ひとりでお茶して・・・と、優雅な時間をコマ切れに過ごしたのでした。で、思ってる以上に煮詰まってたんだなあ、おいら。ということがわかった。でも、おかげでちょっと落ち着いたような、すこし気持ちが楽になったような。。。
というわけで(?)明日から、またノンストップで走っていくデス。がんばってたらいいことあるかなア・・・なーんて都合の良い夢もみないで、ただただ働くデス。それも私の本質的な体質ですから~(苦笑)ストイックなワーカホリック傾向と、激情型恋愛体質の両立は困難でしょ?普通は。それが、当たり前の日常で生きてるのよ、すごくね?おいら。と、自分を励ましつつ・・・
どうにもならないことはどうにもならんし、この先もきっとなるようにしかならんしね。なんとかやってくしかねーんだーいっ。はい。

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(~_~;)

2017-09-17 01:48:25 | 思うこと
やっぱ、ひとこと言っとくか。

舞台作品ってのは、演出家のものなんだよ。
役者のものじゃないし、脚本家のものでもないのよね。
カン違い、てか、ありえない話だ。

演出家とあわないから、本番直前に降板とか、公演中止しろとか、て、役者じゃないよな、そもそも。
殴られても蹴られても、与えられた役にしがみついて板に立つのが、役者の仕事。
降ろされることはあっても、降りるって、しかも、初日目の前にしてって、ありえないでしょ。死んでもらいたい、てか廃業してもらいたいよな、もう。んー、舞台の神様、ますますなめられてんなあ。。。

どんなに気に入らなくても、作品の絵を描いてるのは演出家なの、役者ってのは、そこに使われてる絵の具でしかないのよ。
その代わり、絵の具は作品の責任はとらないでしょ。すべての責任とって作品を世に出すのは演出家の仕事。
役者は、コマなんだよ、もちろん演じるのは人間だけどね。作品作ってる時、役以外の人格なんてないのは当たり前の話。
板に乗るのは役者の誰それではなく、ただ、その作品の登場人物。演ってる人間の気持ちだのコンディションなんてカンケ―ないし。
それが嫌なら舞台の仕事なんてするなってこと。
だいたい、出てる役者が、その作品をすべて見渡せるわけないのに、稽古場でカン違いする駆け出しの役者、てか役者のつもりの素人さんがたまにいる。は?何様のつもりだ??ってだけのことだけど、それは叩き潰してあげないと、てか、そこ乗り越えてはじめて役者なんだと思うし。
演出家の責任は、役がどうこう、芝居がどうこうだけだよ、その役者が人としてどうこうなんてどうでもいい話。
てか、関知する必要ない、お友達同士でつくる学芸会じゃないんだから。プロの仕事なんだからさ、勘弁してって感じ。
100歩譲って、降りるなら、もっと早く降りなさいよって話。代わりはいくらでもいるでしょうけど、その人にも稽古ちゃんとやらせてあげてくださいよ。そりゃ病気や事故で代役って、いきなりこなせるスゴイ人もいるけど、やっぱ、いきなり本番ってホントにかわいそうだ。役者にとって舞台は命だし、その稽古でどれだけつくれるかが勝負なのに。と、二重三重にヒドイ話なんだよ。

ひとごとながら、ホントにイヤ~な気分だ。


制作の失敗は、舞台のイロハもわからない素人さんをキャスティングしたことですね。
素人さんてか、事務所も舞台なめてんでしょうね。つーかタレントさんに舞台の仕事入れんなって話かね。最近、多いけどな…
板の上も稽古場も戦場なのにね。といっても、日本はぬるい舞台が多すぎるからなあ、別にプロフェッショナルな役者じゃなくても通用しちゃう芝居も多いから、カン違いもおきるんだろう…

ひとごとながら、演劇界の未来もキビシイなあ(苦笑)
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包容力

2017-06-10 02:03:03 | 思うこと
ネッシ―さんの、他の誰とも違うかっこよさは、包容力なんだよなあ。
ロットにしてもジャックにしても吹雪にしてもフェルゼンにしても…
ホントにかっこよくて大きな男だなあー、20代後半とか30代そこそこで、なんであんな表現ができてたんだろう。
どういうひとなんだろ、すごいなあ。。。と改めて思う。ん十年ぶりに、ホント改めて。。。

正直、歌は相当アレなんですけど、せりふと息づかいと大きすぎる懐とまっすぐでぶれない愛情(?)・・・度々、涙が出るなあ。
と、なんつっても、コレが実況CDのよいところです。
で、昨日からは『メイフラワー』実況。あちこちでかなり泣いてる。てか、音だけで、みんなの場面が思い出せるくらい鮮烈に蘇るあの舞台・・・て、どんだけ通ったんだろうね、あの時(苦笑)



ついでに、シギさんとの再会(?)にも、心底しびれています。いやーホントいい女すぎる、かわいすぎる、気持ちよすぎる~!エロさとしとやかさとの絶妙なバランス。やっぱ、歌は相当アレなんですけど、歌のマイナスを補ってあまりあるほどいい芝居だ。こんなひと現実にはいないよなってくらいそそるし、ホントにたまらん。て、まさに娘役の王道だよなあ。と思う。こんな娘役もなかなかいないなあ。シギさんは見た目もハンパなく美しかったし、カンペキな体だったし、それなのに演技までいい女すぎるっていうね。頭のてっぺんから指先まで、動きのすべてが美しすぎるしエロすぎるし。時々転ぶ姿もかわいいし。ホントにハンディがなさすぎる美女でした。あ、歌以外は、か。て、そこか、2人の弱点は。


もとい、とにかくハンパないコンビだったなあ。と、思う。結局、このコンビを超えるカップルはいなかったなあ。。。ま、好みの問題はあるので、ひとそれぞれだけどさ。私にとっては、あとにもさきにも、誰にも超えられない最高のコンビだった。と、改めて思ったのでした。


しかし、ネッシ―さんの大きすぎる包容力とシギさんの美しすぎるエロス。ふたりともへなちょこな感じなのに、こころが強いってか芝居が深いんだよなあ。だから出てくる大人の味!って感じで、やっぱ尊敬するなあ。

て、遠い昔の思い出に浸ってるわけではないです。頭がぐじゃぐじゃしてるので(⇐仕事でね)通勤時、懐かしの実況舞台が、いい気分転換になっています。んで、現実には、あれほどの包容力を持てる人間になるのは、なかなか難しいし、無理かもなあとは思うけど、
舞台のネッシーさんに言われると、思い続ければまごころはいつか通じる。とか、持ち続ければ夢はかならずかなう。とか、ただ素直に信じたくなるよね。それはわるいことじゃあないよなーとね、元気も勇気も根気も出てくるような気がしたりして(笑)

さてさて、私もがんばろっと。

あ、いやその、それで何を思ったかといえば、包容力って、大人にしか出せない技(?)だと。ネッシーさんの男役観てると(てか、聴いてると、ですけどね、今は)やっぱ、みんな子どもっぽいなあと。
かっこいい男役はいっぱいいるけど、あんな包容力出してくる男役はいないなあ…としみじみ思ってね。でも、それが当然なんだと思うのよね、みんな若いんだから、ヅカでやってる時は。なので、異常なのはネッシーさんの方かもしれない。が、とにかく、それがホントにかっこいいんだよなーと。

信じる心、愛する心、夢見る心が大事なんだって言いきってくるのが宝塚のすごいとこで、普通は笑っちゃうようなファンタジーのはずなんだけどね。ネッシ―さんは、多分、舌が短めで、かみがちというか、せりふがスタッカートしたりして、一見たよりないのに、なんともいえない大きな愛とじんわり熱い表現で、結果的に、やたらに説得力があるのです。不器用そうだけど、ホントに太陽のような人なんだろうなあ。と思いました。尊敬と感謝。出会えてよかった。と、今、音だけだけど再会出来てウレシイ。いや、こないだ、久々に舞台でも再会したっけな。やっぱ、ありがたい毎日だな。

きっと、届かない思いも、無駄な愛情もないです。今はそう思うし、そう思っていたいです。はい。





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生きてる間の歩き方

2016-11-10 21:47:19 | 思うこと
昨日、告別式で、かなしい ではなくて、くやしい と思った。どうしようもなく、ただただくやしかった。
泣くのもくやしくて、こみあげる涙をこらえようとする私の顏は、完全に怒ってるような顔だったらしい。
ドッと出た涙は、やっぱりくやしくてたまらない涙でした。
こんなことは、初めてかも。

今の私の支えになる柱を、体の真ん中にしっかり建ててくれたひとでした。短い時間の中で、太い支柱を建ててくれたから、私は、そこだけは自信を持って動けるし、根幹で迷うことはないのだけど、まだまだ相談したいことはたくさんあったし、これからもアドバイスが欲しいことが次々押し寄せてくるのに、彼はもういないという現実。まだまだ生きててくれないといけないひとを奪っていくのが、ガンという病ですね。

早速、今日も大きな壁にぶちあたってますが、前向いていこうと思います。遠くてもゴールを見越して前向いてる限り、目指してる場所が同じなら、乗り越えられないことはないはずだしね。と、思って、あれもこれもやってみよう、考えてみよう、試してみよう・・・と、泥臭く行動する人間になっていこうと思います。うまくいくことばかりじゃないし、あれもこれもきびしいことばかりだけど、ずっと走りながら、たとえ生きてる間にとどかなくても、大きな夢にむかって1ミリでも前に進んでく人間に、私もなりたいと思います。
転んでもまた起き上がればいいし、動かない壁も開かない扉もたたき続けれはいいんだよね。いつか動かせるときが来るかもしれないのに、あきらめてる場合じゃないよねっと。私の人生だってそんなに長くないし、それ終わるまでわかんないし、やれることはやってくしかないのだ。彼がやり残した分を、少しでも動かしたいから、がんばろーと思います。

思うことは、あれこれ話なんかしてなくても、理解しあえたり励ましあえたり信頼しあえるひとが、少ないけど必ずいるんだなあということ。出会うべくして出会うものなのかな、とか思うけど、人生のどこかでピタッと出会えることがあって、そういうひとが、間違いなく私を動かしたり支えたり助けてくれたりしているわけです。
ちゃんと話せばわかってもらえるっていうことも、ひとつの正解ではあるけれど、感覚的にピンと響いてカンタンにわかりあえるひととは、話す必要もなかったりするわけで、そんな人とどのくらい出会えるかっていうね、半分運みたいなことで、私はここまで生きてこられたのかもしれないんだよなあ。

誰かを失うことと、誰かと出会うこととがセットになっているとしたら、失うことの方が多い気がしてるけど、その分、濃くてありがたい出会いに恵まれてるのかもしれないなあ。

くじけそうになる時には、ついつい、敵に囲まれて自分ひとりで生きてる気になってしまっているけど、そこが私の弱点で、信じていい人、信じられる人は少なくても必ずいるし、私の中で生きていて助けてくれるひとがいるわけなんですよね。
面倒なことや、埒が明かないことや、理不尽なことがふりかかってきてる時ほど、おもしろいことになってきた…と思えばいいんだよな。それが、多分、彼のあの笑顔の秘訣なんだろうなあ~と、遺影の笑顔を見ながら思った次第。
私は気が短いから衝突も多い。それでもくさらずあきらめず、誰かのために、なにかのために、フワッと笑顔になれる、笑顔をみせられる生き方を選択したいと、心から思い、そういう風にがんばろうと誓ったりしたのでした。

今日の課題(?)は、頭が凝り固まったジジイの心を溶かすには、どうしたらいいんだろう…という難題。悲観してあきらめるのはカンタンなのだけどね、おもしろがって挑みましょう、試行錯誤しながら、頭を打ちながらもあきらめないことにしようっとね。それが、誰のためでもなく、未来のために前を向くということですしね。仕事や人生は、愛情問題と違って、取り戻せない失敗なんてなくて、必ずリベンジはできるから、いくら失敗したっていいんだよな。また立ち上がって違う方法を試して挑めばいいだけなのだ、前向いて、未来を夢見て歩けばいいのです。
と、改めて考えたし、歩き方を教えてくれたことに感謝します。でも、いなくなっちゃったことは悔しいです。いくらなんでも早すぎるし。

天国かあの世か、そんなことは信じてないのだけど、向こうであえた時には、この先のことを笑って報告しますよ。
笑って聞いてくれるでしょうね、がんばったねー、いい方向だったよって、またホメてもらえるようにがんばります。

おつかれさまでした。ありがとう。さよなら。今は、それしか言えないけどね、困った時には、心の中で相談しますよ。前向いて進むことしか考えてないあの顔が浮かんで、そのために勉強しようよっていう声が聞こえてくるはずですし。

てなことで、明日も元気にがんばろっと。難問奇問は解くのがおもしろい、解けたら一歩進める、てかその一歩は普通より大きな一歩になるし楽しみだよなっとね。あせらずくさらず投げ出さず、粘り強く取り組んでまいりたいと思います。そういう歩き方でね、どこまで歩くか歩けるか、楽しみにしてみててくださいな。

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