沖縄自治研究会
沖縄タイムス <2003年7月22日>
照屋勉/ 役所なんか、もういらない―ニセコ町視察報告―
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北海道ニセコ町の総務課参事片山健也氏の発言である。発言の趣旨は、概ねこうだ。
『自治と言っている役場の仕事は、本来そこに暮らす人たちの手によるものなのだ。役場が、住民の自治を奪ってきたのだ。だから、役場が今までやってきた自治の仕事は、地域住民にお返ししなければならない。』
ニセコ町は、徹底した「情報共有」「住民参加」を進めて、2001年4月にまちの憲法と言われる「ニセコ町まちづくり基本条例」を施行した。今や全国の市町村から注目をあびて視察が後を絶たないという。ニセコ町長逢坂誠二氏いわく「特別なことをしているわけじゃない。当たり前のことを当たり前にやっているだけで、そのことが注目されることがおかしい。」しかし、ニセコ町の住民自治実践への取組みは多岐にわたっている。
まず、広聴事業として「まちづくり町民講座」がある。平成8年から開始して60回以上の回数を重ねているという。講師は、ほとんどが課長・係長職員である。何人の住民が講座に参加したかは、問題ではない。情報共有の場を持ち続けること、そして参加のための機会を提供し続けることが重要だそうだ。職員の説明能力も数段アップしてきているという。
広聴事業は他にも4事業、住民参加事業は、各種委員会等の公募事業他3事業がある。まさに手を変え、品を変えて「情報共有」「住民参加」を進めている。ニセコ町の目指すものとは何か。参加とは「多様な価値を認め合い、その中からある結果にいきつく。納得のプロセスである。」と逢坂町長は言っていた。
多くの自治体では住民参加をうたっていながら、実情は行政側のアリバイ作りでしかない。大抵は、設計図はすでにできあがっていて、住民から承諾を得るだけである。ニセコ町は本当に住民によってゼロから始めたのである。だから、合意形成に至るまで相当な時間がかかる。しかし、これがまとまりだすと住民相互で新しい事業についての反対者の説得や勉強会が主体的に行われていくのである。結果として、費用の徹底的な削減が可能となる。そうして創りあげられた綺羅街道、道の駅「ニセコビュープラザ」、ニセコ駅前温泉「綺羅乃湯」に生で触れたときに、自治の原点である人間の暖かみを肌で感じ取ることができる。
さて、前述した片山参事の発言に立ち返ってみよう。住民にとって役場は本当に不要なのであろうか。確かに今日、地域の公共的な課題を解決する主体は、役場に限らず多様化している。個人(ボランティア)、営利企業、地域コミュニティ団体、NPO、公営法人など多くの人々、組織(団体)が「公共性」の実現に関わっている。
「公共性」のあり方やその内容を決める権限を役場だけが絶対的に独占すると考えることは今日ではもはや許されない。ニセコ町が一貫して行ってきたような住民への「情報共有」「住民参加」が実践されていくならば、役場の持つ絶対的な権能は弱くなっていくであろう。
地域住民が公共課題に自ら考え行動に移したときに、役場の仕事は劇的に少なくなっていくだろう。そして、その地域自体に役場が溶け込んでいくのであろう。
(照屋勉/与那原町役場職員)
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岩手で住民主体の一番良い行政をしようと「岩手ナンバーワン」にこだわる革新的民主党推薦で当選した市長の掛け声のもと、選挙公約でもある市民を第一に考えるという思想の持ち主の、進歩的若手市長の発案での条例づくりなので。この記事以上の、[まちづくり基本条例]と[市民参加条例]ができると期待して、市議会の傍聴に行く。
議場前のロビーにスピーカーが置かれていたので、堅苦しい規則ずくめの議場に入らなくても答弁が聞こえるので外のロビーで、牛乳味のぺろぺろキャンデーをなめながら聞いている。
3箇所の修正案を出した議員たちは、市民案の市役所の骨抜きを少しでもやわらげようと、最低限の3箇所の修正をするというものだった。討議は修正案に賛成する複数の議員の意見があったほかは、基本的に反対意見も賛成意見もなく、3箇所の修正案を16対16の可否同数で委員長の賛成で、修正案が可決された。すっごい骨抜きの「まちづくり基本条例」4月1日より施行される。
3箇所の修正
①何だっけ?(市民△条例は不用、を作るを追加)
②議会の役割は、行政の監視、というのを追加。
③この条例を変えることができるのは、市長だけしかできない、というのを修正。
沖縄タイムス <2003年7月22日>
照屋勉/ 役所なんか、もういらない―ニセコ町視察報告―
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北海道ニセコ町の総務課参事片山健也氏の発言である。発言の趣旨は、概ねこうだ。
『自治と言っている役場の仕事は、本来そこに暮らす人たちの手によるものなのだ。役場が、住民の自治を奪ってきたのだ。だから、役場が今までやってきた自治の仕事は、地域住民にお返ししなければならない。』
ニセコ町は、徹底した「情報共有」「住民参加」を進めて、2001年4月にまちの憲法と言われる「ニセコ町まちづくり基本条例」を施行した。今や全国の市町村から注目をあびて視察が後を絶たないという。ニセコ町長逢坂誠二氏いわく「特別なことをしているわけじゃない。当たり前のことを当たり前にやっているだけで、そのことが注目されることがおかしい。」しかし、ニセコ町の住民自治実践への取組みは多岐にわたっている。
まず、広聴事業として「まちづくり町民講座」がある。平成8年から開始して60回以上の回数を重ねているという。講師は、ほとんどが課長・係長職員である。何人の住民が講座に参加したかは、問題ではない。情報共有の場を持ち続けること、そして参加のための機会を提供し続けることが重要だそうだ。職員の説明能力も数段アップしてきているという。
広聴事業は他にも4事業、住民参加事業は、各種委員会等の公募事業他3事業がある。まさに手を変え、品を変えて「情報共有」「住民参加」を進めている。ニセコ町の目指すものとは何か。参加とは「多様な価値を認め合い、その中からある結果にいきつく。納得のプロセスである。」と逢坂町長は言っていた。
多くの自治体では住民参加をうたっていながら、実情は行政側のアリバイ作りでしかない。大抵は、設計図はすでにできあがっていて、住民から承諾を得るだけである。ニセコ町は本当に住民によってゼロから始めたのである。だから、合意形成に至るまで相当な時間がかかる。しかし、これがまとまりだすと住民相互で新しい事業についての反対者の説得や勉強会が主体的に行われていくのである。結果として、費用の徹底的な削減が可能となる。そうして創りあげられた綺羅街道、道の駅「ニセコビュープラザ」、ニセコ駅前温泉「綺羅乃湯」に生で触れたときに、自治の原点である人間の暖かみを肌で感じ取ることができる。
さて、前述した片山参事の発言に立ち返ってみよう。住民にとって役場は本当に不要なのであろうか。確かに今日、地域の公共的な課題を解決する主体は、役場に限らず多様化している。個人(ボランティア)、営利企業、地域コミュニティ団体、NPO、公営法人など多くの人々、組織(団体)が「公共性」の実現に関わっている。
「公共性」のあり方やその内容を決める権限を役場だけが絶対的に独占すると考えることは今日ではもはや許されない。ニセコ町が一貫して行ってきたような住民への「情報共有」「住民参加」が実践されていくならば、役場の持つ絶対的な権能は弱くなっていくであろう。
地域住民が公共課題に自ら考え行動に移したときに、役場の仕事は劇的に少なくなっていくだろう。そして、その地域自体に役場が溶け込んでいくのであろう。
(照屋勉/与那原町役場職員)
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岩手で住民主体の一番良い行政をしようと「岩手ナンバーワン」にこだわる革新的民主党推薦で当選した市長の掛け声のもと、選挙公約でもある市民を第一に考えるという思想の持ち主の、進歩的若手市長の発案での条例づくりなので。この記事以上の、[まちづくり基本条例]と[市民参加条例]ができると期待して、市議会の傍聴に行く。
議場前のロビーにスピーカーが置かれていたので、堅苦しい規則ずくめの議場に入らなくても答弁が聞こえるので外のロビーで、牛乳味のぺろぺろキャンデーをなめながら聞いている。
3箇所の修正案を出した議員たちは、市民案の市役所の骨抜きを少しでもやわらげようと、最低限の3箇所の修正をするというものだった。討議は修正案に賛成する複数の議員の意見があったほかは、基本的に反対意見も賛成意見もなく、3箇所の修正案を16対16の可否同数で委員長の賛成で、修正案が可決された。すっごい骨抜きの「まちづくり基本条例」4月1日より施行される。
3箇所の修正
①何だっけ?(市民△条例は不用、を作るを追加)
②議会の役割は、行政の監視、というのを追加。
③この条例を変えることができるのは、市長だけしかできない、というのを修正。