「他の人のためなら、悪いことをしても許される」という考え方は、「誤った行動やウソは、
不幸や苦悩や死よりも小さな悪である」という前提に基づいています。しかし、精神性を
高めようとする人は、謝った行動もウソも、大きな悪となることを知っています。だから、
たとえ自分の命、他の人の命が危険にさらされたとしても、決して過ちを犯したり、ウソ
をついたりはしないのです。
余裕のあるとき、ものごとがうまくいっているときなら、法則をしっかりと守ろうと決心
するのはたやすいことです。しかし、苦しみに襲われたとき、不幸という闇がのしかかって
きたとき、周囲の状況の圧力に取り巻かれたとき─それこそ試練のときであり、試される
ときなのです。そのとき、自我に執着しているのか、それとも真理をしっかりと守って
いるのかが明らかになります。
法則は、必要になったときにわたしたちを救うためにあります。そのときに法則を手放して
しまったら、わたしたちは、自我の誘惑や苦しみからどうやって救われるというのでしょうか。
もし良心に反してあやまちを犯し、目先の苦しみや突然の苦しみを避けようと考えるならば、
苦しみや悪事を増大させるだけです。正しくものを考える人は、苦しみを避けることよりも、
過ちを犯さないように気を配ります。
幸福が脅かされているとき、永久に保護してくれる法則をわざわざ手放していては、
叡智も得られず、安全もあったものではありません。快楽のために真実を手放すなら、
快楽も真実もどちらも失ってしまいます。しかし、真実のために快楽を手放すならば、
真の平安が悲しみを取り除いてくれることでしょう。
低級なもののために高級なものを手放せば、虚しさと苦悩に襲われます。永遠のものを
放棄してしまったなら、どこに確かな拠りどころがあるというのでしょうか。しかし、高級な
もののために低級なものを手放すなら、高級なものの満足が残り、喜びに満たされます。
そして、人生の悪事や悲しみから逃れて、安らぐことのできるしっかりとした拠りどころを
見つけることになるのです。
いつも変化している人生のなかで変わらないものを見つけること。そして、それを見つけ
たら、どんな状況にあってもしっかりと守ること─これこそが本当の幸福であり、これこそが
救済、永遠の平和なのです。
─『「意志」と「人生」の法則』ジェームス・アレン KKベストセラーズ刊
不幸や苦悩や死よりも小さな悪である」という前提に基づいています。しかし、精神性を
高めようとする人は、謝った行動もウソも、大きな悪となることを知っています。だから、
たとえ自分の命、他の人の命が危険にさらされたとしても、決して過ちを犯したり、ウソ
をついたりはしないのです。
余裕のあるとき、ものごとがうまくいっているときなら、法則をしっかりと守ろうと決心
するのはたやすいことです。しかし、苦しみに襲われたとき、不幸という闇がのしかかって
きたとき、周囲の状況の圧力に取り巻かれたとき─それこそ試練のときであり、試される
ときなのです。そのとき、自我に執着しているのか、それとも真理をしっかりと守って
いるのかが明らかになります。
法則は、必要になったときにわたしたちを救うためにあります。そのときに法則を手放して
しまったら、わたしたちは、自我の誘惑や苦しみからどうやって救われるというのでしょうか。
もし良心に反してあやまちを犯し、目先の苦しみや突然の苦しみを避けようと考えるならば、
苦しみや悪事を増大させるだけです。正しくものを考える人は、苦しみを避けることよりも、
過ちを犯さないように気を配ります。
幸福が脅かされているとき、永久に保護してくれる法則をわざわざ手放していては、
叡智も得られず、安全もあったものではありません。快楽のために真実を手放すなら、
快楽も真実もどちらも失ってしまいます。しかし、真実のために快楽を手放すならば、
真の平安が悲しみを取り除いてくれることでしょう。
低級なもののために高級なものを手放せば、虚しさと苦悩に襲われます。永遠のものを
放棄してしまったなら、どこに確かな拠りどころがあるというのでしょうか。しかし、高級な
もののために低級なものを手放すなら、高級なものの満足が残り、喜びに満たされます。
そして、人生の悪事や悲しみから逃れて、安らぐことのできるしっかりとした拠りどころを
見つけることになるのです。
いつも変化している人生のなかで変わらないものを見つけること。そして、それを見つけ
たら、どんな状況にあってもしっかりと守ること─これこそが本当の幸福であり、これこそが
救済、永遠の平和なのです。
─『「意志」と「人生」の法則』ジェームス・アレン KKベストセラーズ刊