5月30日2

2007年05月30日 | Weblog
米・イラン イラク安定へ対話続けよ (毎日新聞)
 イラン革命を成功させた故ホメイニ師は米国を「大悪魔」と呼び、ブッシュ米大統領はイランを「悪の枢軸」の一つとみなした。この不名誉な呼び名は今も公式には変わっていないが、空虚な非難合戦を続けてもイラクの悲劇的な状況は改善できない。米国とイランが長年の対立を超え、80年の断交以来という公式協議に踏み切ったことを歓迎したい。

 米政府はイランとシリアを「テロ支援国」とみなしている。米国の超党派組織「イラク研究グループ」(ISG)は昨年12月、両国との直接対話をブッシュ大統領に進言した。ブッシュ政権はこれを拒否する構えを見せたが、5月初旬のイラク安定化をめぐる国際会議で米・シリアの外相会談が実現した。その際、イランとの本格的な対話は先送りされた。

 ISGはイラク駐留米軍の段階的撤退も提案している。ブッシュ政権は撤退どころかイラク増派に踏み切ったが、来年は駐留米軍を大幅に減らすことを検討し始めたという報道もある。表向きISG提言に反発しつつ、実質的に提言を生かしているのなら、前向きな動きと言ってもいいだろう。

 米・イラン大使級協議が開かれた28日は、米国の戦没将兵記念日(メモリアルデー)に当たる。イラク開戦から4年もたつのに、4月と5月の米兵の犠牲者は2カ月連続で100人を突破する異常事態となった。もはや意地や体面にこだわる余裕などないことは、ブッシュ政権も分かっていよう。

 私たちは以前から米・イランの対話を求めてきた。民主化プロセスによってイラクにシーア派イスラム教徒主導の政体が誕生したのはともかく、シーア派国家イランとの宗派的親近感が強まったのは、米国として憂慮すべきことだろう。だが、それはイラク戦争が必然的に招いた結果である。

 スンニ派主導のフセイン独裁体制が倒れれば、人口で多数派のシーア派が台頭するのは目に見えていた。さらに、ペルシャ湾岸からシリアやレバノンなどに広く居住するシーア派の団結が進み、スンニ派主導の国々との対立が強まることも予想された。

 だからこそ、多くのアラブ諸国がイラク戦争に反対したことを思えば、米国は中東に伏在する大きな宗派対立への目配りを忘れるべきではない。その点でカギを握るイランとの対話なしに、ただ軍事力だけでイラクと中東に長期的な安定をもたらせると考えるなら非現実的と言うしかないのだ。

 対話を続けるべきである。イラン側が提案した米・イラン・イラクによる治安対策の枠組みも検討する価値がある。米・イランの信頼醸成の試みは、イラン核問題の解決にも役立つはずだ。

 米国には、70年代末の革命で反米国家に一変し、米大使館を400日余りも占拠したイランへの強い嫌悪感がある。米軍のイラン攻撃の可能性が取りざたされるのもそのためだが、激しい対立感情は時に正確な判断力を狂わせる。米国もイランも「自然体」の話し合いを心掛けるべきだ。


社保庁改革 不明記録の解消に責任を持て (毎日新聞)
 年金不信が広がる中で、29日予定されていた衆院本会議の社会保険庁改革法案採決が延期された。与党が年金記録漏れ対処法案と一体で処理する方針に変更したためだ。

 改革法案は、一連の不祥事が続いた社保庁を解体、3年後までに新たに非公務員型の法人「日本年金機構」を作り、保険料徴収などはできる限り民間に委託するという内容である。

 政府が、組織をスリム化し看板をかけ替えたら一件落着と考えているようなら、とんでもない思い違いである。言うまでもなく、改革の成否は組織の中で働く職員の体質改善にある。機構論で先走りしても、国民の年金不信を取り除くことはできない。不祥事にしても、年金記録漏れ問題にしても病巣は同じで、社保庁のぬるま湯体質から発している。それを厳しく検証し、今後の組織と実務のあり方を一体で議論してほしい。

 社保庁が保管する年金記録で、対象者が特定できないデータが5000万件残っている問題は、国民に衝撃を与えた。仮に保険料をきちんと払っているのに記録漏れで応分の年金がもらえないとすると、何のための負担だったのか、誰もがやりきれない気持ちになる。今、国民の関心と怒りの矛先はその点に向けられている。

 社保庁の業務は、保険料の徴収、年金の給付、記録の管理、年金相談だ。このうち記録管理はずさんだったとしか言いようがない。疑義のある人は相談に来い、という姿勢でお上根性が抜けず、自ら積極的に不明を晴らすという態度とはおよそ無縁だった。

 参院選を7月に控え、この問題の発覚から内閣支持率が急落した安倍内閣は急きょ、対応策をまとめた。宙に浮いた5000万件の全データについて、新たに開発するプログラムで照合を急ぎ、人力による確認と併せ、名寄せ作業をするという。さらに5年の時効条項も特例ではずし、判明分はさかのぼって支給する。当然やらねばならないことだ。

 社保庁側にも個人にも保険料納付の証明書がないケースが、今後もっとも深刻な争点になろう。政府は、裁判官OBなど第三者による有識者懇談会を設けて認定させる案を検討しているという。だが、持ち込まれる数が多いと判定作業がスムーズにいくのか、心もとない限りである。

 社保庁は今国会で改革法が成立

すると、3年後に消滅する。しかし、この法案を作った時には想定もしていなかった膨大な作業量が新たに発生したのである。全データの照合作業が終わるのに10年かかるという予測もある。それが事実ならば、職員が大幅に減る新組織は、通常業務のほかに特命業務まで引き継がなければならない。

 果たして新機構でそれが可能なのか。金と人手と作業場所をどう手当てするのか。そういう肝心な点の検討を含め、法案審議はまだ十分な議論を尽くしたとはいえない。今後、宙に浮いた年金記録の処理問題も併せて実のある議論を深めるべきだ。


カンヌ受賞 ブームに深み与える好機 (産経新聞)
 これは快挙である。河瀬直美監督がメガホンを取った「殯(もがり)の森」のカンヌ国際映画祭グランプリ受賞を心から喜びたい。

 河瀬氏は1997年の同映画祭で新人賞を獲得し、現在邦画界で顕著な女性監督躍進のきっかけとなった。カンヌには最高賞「パルムドール」があり、グランプリは二席になるが、輝きがあせるものではない。近年好調な日本映画をさらに勢いづけるだろう。

 実際、日本映画界は元気だ。昨年は21年ぶりに邦画の国内興行収入が洋画を上回り、米アカデミー賞でも日本人俳優が注目された。1つの建物に複数の映画館が入るシネマ・コンプレックスが増え、早朝と夜間は別の作品をかけるなど柔軟な上映方式が定着したことも邦画の好調に寄与している。

 それでも娯楽作品とそうでない作品の落差は大きい。「殯の森」も仏資本の協力を得ている。国内でビジネスとして成功する見込みが低い作品には資金が集まりにくいという構図は変わっていないようだ。

 映画の興隆には、興行面で業界を支える娯楽作品は不可欠だ。同時に興行的成功にこだわらず、良質な作品を作り出そうという意欲をもつ人材が育たねばならない。この2つが両輪となってはじめて、日本映画は力と奥行きを増していくのである。

 資金対策など国が制度を充実させるのも必要だが、カギを握るのは観客の目である。その意味で、今回の受賞で河瀬作品のような地味な作風の映画に光が当たるのは望ましい。

 2004年に当時14歳の柳楽優弥さんがカンヌで主演男優賞を獲得した。実子置き去り事件を淡々と描いた受賞作「誰も知らない」は事前に積極的に扱うメディアは少なく、知名度も低かった。受賞がなければ、多くの人の目に触れることはなかっただろう。

 しかし、受賞の恩恵で映画館には大勢の人が詰めかけ、波瀾(はらん)万丈でわかりやすい娯楽作品になれた観客も、その対極にあるような映画に喝采(かっさい)した。

 観客が多様な映画の楽しみ方を身につけると、映画人もまた成長する。「殯の森」も現時点では、上映館は限られているが、「カンヌ効果」が発揮されれば、日本映画にとってこれほど幸せなことはあるまい。