ちいさなところでカタルシス

mariのATフィールドの内側がご覧いただけるブログです。

はうー

2014年02月23日 03時48分48秒 | いつもの感じで書く日記
いいっすねフィギュア。

競技に色気がいる時点で
全く別世界のものだけど。

そして採点競技ってのは
たしかにもやっとしないわけにはいかないけど

でも魅せるスポーツってのは
何度も言うけど

いいっすね。

エキシビション
萌えた!

三次元でこんなにときめけないでしょ。

素敵すぎる。

またこんな時間まで起きててしまった。

オリンピックやば!






この前ふなっしーが居酒屋にいました。



奇跡をみました

2014年02月21日 22時42分17秒 | いつもの感じで書く日記
最近思ってることとか
感じたことを
言葉に変えようとすると

詰まっちゃう。

うまく言葉にならない。

というより
そうしようとすると
なんか色々歯止めがかかって
無難な言葉に変換したら
なんか違くて

そーしてるうちに
何言いたいのかわかんなくなる

みたいなパターンかもしらん。



そーゆー時は
こう思うようにしてる。


いわなくていいことなのよ。




浅田真央の
フリーと涙に
感動しました。




今咲き誇る花達よ

2014年02月17日 00時02分28秒 | いつもの感じで書く日記
昔も書いた気がするけど

世の中には言葉が溢れている。

心を打つもの
勇気をくれるもの
気づかされるもの

心が何かを感じてそれに共鳴し、
その言葉は
時にバイブルのようになる。

その言葉に支えられて
何かを乗り越える糧になる。

その言葉に甘えて
何かの言い訳になる。

何が言いたいのかというと
そのバイブルを
選んでいるのは他でもない自分自身だということに
気づけているかということ。

つまりそのバイブルとなる言葉は
そのときの
自分の置かれてる環境、自分自身の状態が、
選んだ言葉にすぎないということ。


どんな言葉に感銘を受けるかは
すなわち
自分が今何を受け入れたいとおもっているのかと同じなんだと思う。


どんな言葉に心を動かされるかは
自分を知ることと同じ。

そんな自分を知った上で

どんな自分でいたいかは
自分自身が決めないと。



言葉に振り回される自分ではなくて
言葉を利用して自分をコントロールできる自分でありたいよね。



41歳の銀メダルにも
15歳の銀メダルにも
19歳の金メダルにも

メダルのない涙にも


何を感じて
何をするかなんだ。

最後はね。


羽生くん
かわいいかわいいってずっと萌えてたけど
さすがに今度ばかりは
男らしいなぁと感じてしまった。



言葉じゃないものから
感じる感情は
人間性がもろにですぎて悲しくなるな。


もう自分は競技者じゃないんだなぁと
深く感じる瞬間。

でもそーゆースポーツの楽しみ方も
ありでしょ。(いいわけ)








一段一段。

2014年02月09日 05時03分57秒 | いつもの感じで書く日記
全身全霊で競技に向かってる選手を見れば見るほど

出し惜しみする人が
自己満足する人が
横道にそれる人が

なぜそうするのか聞きたくなる。
(聞きはしないけど。)

伝えたいことは色々あるけど
多分自分で感じて
自分でなんとかしないと
何も変わらないからいいや。


植村愛子5回目のオリンピックで4位。

厳しいかな?
いけるんじゃ?

そんな期待と不安の繰り返しの中で観戦してたらもう5時ですがな。


実際問題年齢的にもそれまでの結果的にも厳しいのかなぁ。というのが素人の本音だったんだけど。

そんなものはねつけるように着々とラウンドを進めた姿にベテランしか持ち得ない強さを感じたし

四年かけて一段一段上り詰めた彼女にしてみれば
目の前のことに全力で取り組むだけの至極シンプルなものだったんだと思う。

最後はメダルとった!!
って思ってしまうくらいの大健闘。

結局4位で胸が傷んだけど

彼女の清々しい笑顔みてたら
メダルなんて別におまけだと思ってしまった。

とってほしかったけど
彼女がいいならいいや。と。


結果という形じゃないにしても努力は裏切らないんだなぁ。と心から思った。

努力に裏切られない努力の仕方って、それこそ本物のアスリートにしか出来ないことなんだろうね。

だから、最後にそれが最高の結果じゃなかったとしても、良かったって笑えるんだろうね。


面白いものを見せてもらいました。
心も揺れました。
ありがとう。



植村愛子選手、4位おめでとう。




いいかげん寝ます。
これだからオリンピックは怖い。