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「子どもに判断能力がない場合、親権者の決定を最大限尊重すべきである」
前編で、エホバの証人・札幌医療機関連絡会の司会者(代表)・米沢淳氏(53)は、「命と健康を大切にしており、輸血を回避した治療を積極的に求めています」と述べたように、エホバの証人の信者たちは宗教上の理由から輸血を受け入れず、無輸血で行われる代替治療を求めている。
――輸血の代替治療となる医療行為とは具体的にどのようなものがあるのか、との質問に対し、米沢氏は「DVDとフォルダーをご覧下さい」との回答、エホバの証人が制作した「輸血の代替療法 ドキュメンタリー・シリーズ」と題するDVDと、「Medical Alternatives To Blood Transfusion」というフォルダーが送られてきた。
DVDでは、輸血の代替治療の歴史や集中治療室において輸血を施さなかった患者の方が死亡率が低いという論文、代替治療の土台とそれに基づいて国際的に著名な専門医たちが個々の手法でさまざまな代替治療を実施し、実績を残していることを紹介している。
道内でも、1989年に札幌市の北海道大野病院で、大動脈弁閉鎖不全兼狭窄症と僧帽弁狭窄症兼閉鎖不全を患っていた苫小牧の「エホバの証人」信者に対して、心臓の二つの弁を人工弁に換える人工弁置換手術を無輸血で施し、成功した例がある。
エホバの証人が主張する無輸血治療の有効性と正当性には、一定の説得力はあるものの、輸血をしなければ命を落とす緊急の場合や、さらに自己決定能力が未熟な子どもであっても輸血を拒否できる対象となり得るだろうか。
今年6月、日本輸血・細胞治療学会、日本外科学会、日本小児科学会、日本麻酔科学会、日本産科婦人科学会の国内主要5学会で組織する合同委員会は、「エホバの証人」信者への輸血について、15歳未満の患者に対しては、信者である親が拒否しても救命を優先して輸血を行うとする指針の素案をまとめた。
同委員会は、信教の自由と生命の尊重のどちらを優先するかで悩む医療現場の要請に応えて検討を進め、「自己決定能力が未熟な15歳未満への輸血拒否は、親権の乱用に当たる」と判断。年内に共通指針としてまとめる予定だ。
日本輸血学会は1998年に「18歳以上の患者は本人の意思を尊重し、12歳未満の場合は、家族が反対しても輸血を含む救命を優先する」との指針まとめた。しかし、12歳から17歳については、判断能力に個人差があるとして対応策を示していなかった。
今回の素案は、15歳から17歳の患者について、本人と親の双方が拒めば輸血は行わないが、信者である親が拒否しても本人が希望したり、信者である本人が拒んでも親が希望した場合などは輸血を行うとしている。
以下、この素案に対する質問と米沢氏の回答。
――日本輸血学会などによる合同委員会は「15歳未満の患者に対しては信者である親が拒否しても救命を優先して輸血を行う」とする指針の素案をまとめたが、自己決定能力が未熟な子供に輸血が必要な場合でも、「信教の自由」が優先され、輸血を拒否することは正しいと思うか。
米沢 2000年2月のエホバの証人無断輸血訴訟の最高裁判決は「患者が、輸血を受けることは自己の宗教上の信念に反するとして、輸血を伴う医療行為を拒否するとの明確な意思を有している場合、このような意思決定をする権利は、人格権の一内容として尊重されなければならない」と述べて、そのような医療上の決定は、憲法第13条の幸福追求権に基づくと考えられている人格権として尊重されるべきであることを示唆しています。
実際の素案を見ていませんので、明確なことは言えませんが、報道された素案によりますと、例えば14歳半のエホバ証人患者の人格権は尊重されないことになります。そして14歳の患者には、その意思に反した強制輸血が起こりえます。このような事態は、その患者にとって一生の傷になりかねません。しかし、奈良教育大の佐野誠教授は「10歳の子供の信仰が成人より質的に劣っているという保証はどこにもない」と述べています。素案によれば、14歳半の若者と乳幼児とが全く同じ扱いになるわけですから、疑問を持たざるを得ません。
また、近年輸血を施すときには患者の同意書が必要なことからもわかるとおり、輸血医療事態も100%安全なものではなく、輸血によって重篤な事態に陥ったり、死亡したりすることさえあります。それゆえ最近はいろいろなリスクも考慮して患者が決定するためのインフォームド・コンセントが定着しつつありますが、無輸血治療を望むことも医療上の選択の問題であるといえます。
これらのことを考慮するとき、年齢によって一律に線引きすることはなく、患者が未成年であってもその理解力を見極め、判断能力を有している場合には、本人の意思を尊重した医療を行うべきであると考えられます。
(ルナ註; エホバの証人の子どもは情報が公正に提供されない。エホバの証人に都合のよい情報しか与えられず、エホバの証人に不利な情報に信者が接すると、否定的な評価を受け、出世や結婚などに差支えが出る場合がある。また親によってエホバの証人に都合のよい情報にだけ接するようしつけられる。したがって未成年者が確固とした信仰を語っても、それは結局操作された信仰でしかない。これも事実である。元エホバの証人のわたしが保証する)
――輸血の代替治療となる医療行為とは具体的にどのようなものがあるのか、との質問に対し、米沢氏は「DVDとフォルダーをご覧下さい」との回答、エホバの証人が制作した「輸血の代替療法 ドキュメンタリー・シリーズ」と題するDVDと、「Medical Alternatives To Blood Transfusion」というフォルダーが送られてきた。
DVDでは、輸血の代替治療の歴史や集中治療室において輸血を施さなかった患者の方が死亡率が低いという論文、代替治療の土台とそれに基づいて国際的に著名な専門医たちが個々の手法でさまざまな代替治療を実施し、実績を残していることを紹介している。
道内でも、1989年に札幌市の北海道大野病院で、大動脈弁閉鎖不全兼狭窄症と僧帽弁狭窄症兼閉鎖不全を患っていた苫小牧の「エホバの証人」信者に対して、心臓の二つの弁を人工弁に換える人工弁置換手術を無輸血で施し、成功した例がある。
エホバの証人が主張する無輸血治療の有効性と正当性には、一定の説得力はあるものの、輸血をしなければ命を落とす緊急の場合や、さらに自己決定能力が未熟な子どもであっても輸血を拒否できる対象となり得るだろうか。
今年6月、日本輸血・細胞治療学会、日本外科学会、日本小児科学会、日本麻酔科学会、日本産科婦人科学会の国内主要5学会で組織する合同委員会は、「エホバの証人」信者への輸血について、15歳未満の患者に対しては、信者である親が拒否しても救命を優先して輸血を行うとする指針の素案をまとめた。
同委員会は、信教の自由と生命の尊重のどちらを優先するかで悩む医療現場の要請に応えて検討を進め、「自己決定能力が未熟な15歳未満への輸血拒否は、親権の乱用に当たる」と判断。年内に共通指針としてまとめる予定だ。
日本輸血学会は1998年に「18歳以上の患者は本人の意思を尊重し、12歳未満の場合は、家族が反対しても輸血を含む救命を優先する」との指針まとめた。しかし、12歳から17歳については、判断能力に個人差があるとして対応策を示していなかった。
今回の素案は、15歳から17歳の患者について、本人と親の双方が拒めば輸血は行わないが、信者である親が拒否しても本人が希望したり、信者である本人が拒んでも親が希望した場合などは輸血を行うとしている。
以下、この素案に対する質問と米沢氏の回答。
――日本輸血学会などによる合同委員会は「15歳未満の患者に対しては信者である親が拒否しても救命を優先して輸血を行う」とする指針の素案をまとめたが、自己決定能力が未熟な子供に輸血が必要な場合でも、「信教の自由」が優先され、輸血を拒否することは正しいと思うか。
米沢 2000年2月のエホバの証人無断輸血訴訟の最高裁判決は「患者が、輸血を受けることは自己の宗教上の信念に反するとして、輸血を伴う医療行為を拒否するとの明確な意思を有している場合、このような意思決定をする権利は、人格権の一内容として尊重されなければならない」と述べて、そのような医療上の決定は、憲法第13条の幸福追求権に基づくと考えられている人格権として尊重されるべきであることを示唆しています。
実際の素案を見ていませんので、明確なことは言えませんが、報道された素案によりますと、例えば14歳半のエホバ証人患者の人格権は尊重されないことになります。そして14歳の患者には、その意思に反した強制輸血が起こりえます。このような事態は、その患者にとって一生の傷になりかねません。しかし、奈良教育大の佐野誠教授は「10歳の子供の信仰が成人より質的に劣っているという保証はどこにもない」と述べています。素案によれば、14歳半の若者と乳幼児とが全く同じ扱いになるわけですから、疑問を持たざるを得ません。
また、近年輸血を施すときには患者の同意書が必要なことからもわかるとおり、輸血医療事態も100%安全なものではなく、輸血によって重篤な事態に陥ったり、死亡したりすることさえあります。それゆえ最近はいろいろなリスクも考慮して患者が決定するためのインフォームド・コンセントが定着しつつありますが、無輸血治療を望むことも医療上の選択の問題であるといえます。
これらのことを考慮するとき、年齢によって一律に線引きすることはなく、患者が未成年であってもその理解力を見極め、判断能力を有している場合には、本人の意思を尊重した医療を行うべきであると考えられます。
(ルナ註; エホバの証人の子どもは情報が公正に提供されない。エホバの証人に都合のよい情報しか与えられず、エホバの証人に不利な情報に信者が接すると、否定的な評価を受け、出世や結婚などに差支えが出る場合がある。また親によってエホバの証人に都合のよい情報にだけ接するようしつけられる。したがって未成年者が確固とした信仰を語っても、それは結局操作された信仰でしかない。これも事実である。元エホバの証人のわたしが保証する)
――仮に信者の子どもが事故に遭遇し、身元が判明しないため、親に連絡が取れず、緊急に輸血をした際はどうなるのか。
米沢 そのような事態を想定して、エホバの証人の子供は“身分証明書”というカードを携帯し、緊急時に親に連絡を取ってくださるように要請しています。しかしそのようなカードを携帯していないために連絡を取れなかった結果輸血が施された場合、医療機関の責任が問われることはないと思われます。
――親が信者で子どもが信者ではない場合の子どもの輸血は許可されるのか。
米沢 子どもに判断能力があって、その子ども自身が輸血を望む場合、その決定は尊重されるべきと考えます。しかし、子どもに判断能力がない場合、親権者の決定を最大限尊重すべきであるといえます。東京都立病産院倫理委員会のガイドライン(1994年4月)も「宗教上の理由で輸血を拒否している親は、自らの信仰に照らして自分の子どもをよりよく育てるために子どもの輸血を拒否するのであるから原則として親権を尊重し親の望む医療をする必要がある」としています。
エホバの証人の親たちは子どもの健康を深く気遣っており、そのために子どもを病院へ連れて行きます。またエホバの証人の組織も小児の治療に役立つ文献を提供し、患者側と病院が対立ではなく、解決策を見出す助けとしていただいています。
◇◇◇◇◇◇
米沢氏は、親が信者で子どもが信者ではない場合でも「子どもに判断能力がない場合、親権者の決定を最大限尊重すべきである」と回答した。
信教の自由はあってしかるべき権利だが、仮に、その子どもが親の判断(信仰)で輸血を受けずに死んだ場合、その親は自分の子ども殺す、という選択をしたことにならないだろうか。また、子どもの場合に限らず、緊急時において救えるはずの命を救えなかった場合、医療関係者に苦悩はないのだろうか。
米沢 そのような事態を想定して、エホバの証人の子供は“身分証明書”というカードを携帯し、緊急時に親に連絡を取ってくださるように要請しています。しかしそのようなカードを携帯していないために連絡を取れなかった結果輸血が施された場合、医療機関の責任が問われることはないと思われます。
――親が信者で子どもが信者ではない場合の子どもの輸血は許可されるのか。
米沢 子どもに判断能力があって、その子ども自身が輸血を望む場合、その決定は尊重されるべきと考えます。しかし、子どもに判断能力がない場合、親権者の決定を最大限尊重すべきであるといえます。東京都立病産院倫理委員会のガイドライン(1994年4月)も「宗教上の理由で輸血を拒否している親は、自らの信仰に照らして自分の子どもをよりよく育てるために子どもの輸血を拒否するのであるから原則として親権を尊重し親の望む医療をする必要がある」としています。
エホバの証人の親たちは子どもの健康を深く気遣っており、そのために子どもを病院へ連れて行きます。またエホバの証人の組織も小児の治療に役立つ文献を提供し、患者側と病院が対立ではなく、解決策を見出す助けとしていただいています。
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米沢氏は、親が信者で子どもが信者ではない場合でも「子どもに判断能力がない場合、親権者の決定を最大限尊重すべきである」と回答した。
信教の自由はあってしかるべき権利だが、仮に、その子どもが親の判断(信仰)で輸血を受けずに死んだ場合、その親は自分の子ども殺す、という選択をしたことにならないだろうか。また、子どもの場合に限らず、緊急時において救えるはずの命を救えなかった場合、医療関係者に苦悩はないのだろうか。