香りは小さな旅 

つれづれなる呟き

車椅子マーク

2016年07月14日 | 観る 聞く 読む 味わう etc.
考えさせられる事が多々あった旅の出来事を書こうと思う。

今回、家族の足が不自由になり、それでも旅を
敢行することにした。正直呆れる暴挙。
しかし予約はすでに入り、お金も戻らないからと
つい欲が出て…
後でずいぶん後悔する羽目になったが。

所は海外。まずは出発に際して、先方の到着空港
内の車いす移動が必要と判明。事前に予約する
には、出発カウンターまで来てくださいとの
一言。いつもネットで簡単チェックインしていた
者には、なるほど正にチェックするのだな〜と、
理解させられる。

度合いを見るのだろう。
そこに辿り着くまでが既にトラブルだった!
何しろ何もかも初めてのことで、
程度が分からず、もう音を上げたくなる。
これは先々大変だぞ・・・
とにかく職員を捕まえ、訴えることが大切と
すでに悟る。

さて、飛行機は無事乗ったが足は浮腫むから、
せっかく前に足を伸ばせる席でも意味がなく、
頼んで空いている4人掛けで足を伸ばす。
これも即座にリクエストだ。

着いてからは、本当に車椅子が待っているか?
一歩一歩が不確かな者には不安が先走るが
大丈夫だった。そして乗り換えの空港は巨大で、
人力で押させるのは申し訳ないほどの移動距離。
がそれは序の口。

いく先々で押して貰ったり、乗せられたり、
ケアの必要な人の部屋に集められたり…

感心はヒースロー空港。さすがの福祉先進国。
トランジットだけだったのだが、帰りは
乗り継ぎ便まで時間があった。
ここでは、体だけではなく、コミュニケーションそのものが上手くいかない場合もあり、言葉が通じない人々も集められる場所があるのだった。
迷子防止策。良くできている。
スタッフたちはかなり忍耐強くどこまでもソフト
な対応なので感心してしまう。
この避難小屋ルーム、出来ればカフェテリアの
そばだと有難いのだが、しっかりデューティフリーショップの裏というのが現実的。苦笑。

また家族が身体検査を受ける時も、
おじいちゃんの検査官が撫でるようにチェック
して来たという。ん〜何もかも織り込み済み
という、短いながらのイギリス体験であった。

さてやっと到着した目的地では、毎回の移動に
まず探すのは車椅子マーク!
それはエレベーターを意味し、
そこに着けば一息!のマークであった。

大きな街で、観光の中心地だからか?!
そこかしこにマークがみつけられた。
言葉が分からなくても、マークは万国共通。
みつけるとほっとしたものだ。

海外からの客が多いからだろうが、
街のあちこちからよく見える場所に
ガラス張りのエレベーター。
そう、まず探しやすい。
位置も考えられていて電車などに
わりあい乗りやすい場所にある。
もちろん乗り換え駅では、歩かざるを得ない。

人の問題は・・・一般の人々がずいぶん丁寧に
対応してくれた。
まずどこでも優先して、入ったり、乗ったり。
スペースも十分とってある。
いかついウェイターたちが、おっどうぞどうぞと
見るや、柔らかい奥のソファへ招く。
さもなくば、ドア付近のハイチェアのカウンターだっただろう。
体が不自由な者への気遣いは老若男女すべてに
行き渡っていたかと思う。
すぐにわかる態だったからだろうが、
ご老人にまで席を譲られ恐縮する場面も。
町中でも、レストランでも一瞬にしてこちらの
状況を悟ると、皆きびきび反応してくれる。
社会全体が福祉の感覚を実践している気がした。
少なくとも善良な人々は。

実際は表裏一対の体験もあった・・・がそれはさておこう。

ただ、これは書きたい。移動に重要な
タクシーがチップ込みで大体きりのいいところ、
で止まってしまうので目的地に着かないのに降ろされたのは参った。
ちゃっかりしているのだ。
ちゃんとチップ込みで払うから店の真ん前まで運
んで!とか、事前に目的地までいくらか聞いて、
多めに払うから!とか、車中で言えればいいのだ
が、英語は通じなかった。
今思えば、もうジェスチャーでもなんでも
いいから自己主張するのだった!
中にはわざわざ、損得抜きで運んでくれる人も
いた。もちろん、そういうタクシーには
きちんとチップは多めで払いましたよ。

それにしてもチップというのは、気を遣う。
よく分からない。その街のタクシーには必要だったから毎回ひやひやだった。


さて、帰ってきて感じたことは、
残念だが日本ではまだまだ見て、気づいて
のサーヴィスが少ないなあ、と。
まず想定できないのだ。モノは少ないし、
人の反応が「鈍い」
だから、こちらがアピールするしかない。

実は免許証のことで府中へ行ったとき、
エレベーターは職員の部屋の方にしかなかった。
公の建物でこうなら、一般においてをや。
発想が貧しいなあ。
利用者へのサーヴィスではなく
職員へのサーヴィスか・・・?!
車を必要とする人こそ例えば脚が不自由とか、
あり得るだろうに。
そういう人々も申請に行く場所で、そんな事実があろうとは、なってみるまで分からなかった。
こちらも。まだまだ、だ。
たとえ建物が老朽していようと、工夫して、
見やすい場所に作れないだろうか。

それでも、このごろは随分とエレベーターは
駅などで増えたかもしれない。
だが、実際に移動する身にとってどうか、と
問えば、まずみつけにくい、とのこと。
マークの大きさや色など統一してあるといい。
あまりに様々な色や形が氾濫する東京
だからこそ!
できればエレベーターそのものが
移動しやすい場所にあればいいが、
実際は道の果てにあったりして、ますます体に
負担がかかる。

弱者への真の心遣いが形になる事こそ、
社会の成熟の度合いが高まる事では
ないだろうか。
ただあればいいでしょう、というモノでもない
のが難しい。それは、その立場に本当になって
みて、作っていく目線が必要だからだ。

それこそ、お金も時間もかかり、
まず心そのものが準備できないと、なのだが
一歩一歩浸透して、全体の理解が広まって
欲しいものだ。

確実なのは万人に老いはやってくるという事
だろう。が、その前に、いつ何時、人は不自由を
かこつ向こう側へ突然行くか分からない。

そこで初めて、さまざまな体験から、気づかなかった不便も、また細やかなありがたさも、かみしめることになる。