森井教授のインターネット講座(神戸大学大学院工学研究科教授 森井昌克)

1996年から2009年3月まで朝日新聞に連載してました森井教授のインターネット講座のネット版(もどき)です。

前日の投稿に関するコメントに対しまして

2006年10月07日 13時27分34秒 | Weblog
先日、読売新聞の『米で心臓移植希望の女児支援HP、中傷相次ぐ』という記事の中での私のコメントに対して、補足を致しました。それについていくつかコメントを頂きましたので、私のほうからもコメントさせていただきます。まずは事実(少なくとも私がそう考えている)について述べます。

1)当然のことですが、コメントを含めて私が書いた記事ではありません。また、これも当然ですが、新聞記事内のコメントについて、事前に了承を求められたわけではありません。

2)記者さんからの電話での取材では、「さくらちゃん」関連の件について、コメントを求められたわけではありません。記者さんも私も「さくらちゃん」という言葉は一切使いませんでしたし、それを想定して話したわけでもありません。記者さん側からは、「以前から移植手術等での寄付に関して、ネットで批判が起こり、誹謗中傷も増えているがどう思うか」という質問です。「さくらちゃん」の基金やその他特定の団体、人の寄付行為に対してコメントを求められたわけではありません。したがって、一般的な内容のコメントをさせていただきました。もちろん、紙上に書かれている数行を話したのではなく、30分近く話しています。

3)紙上のコメントだけを読むと、一般的で、ほとんど内容のないものであるため、このブログで頂いたコメントでは、「何も状況もしらず、調べもしないでコメントするな」と解釈できるコメントを頂いています。確かに独自の調査や私自身が動いての取材はしていません。しかし、ネットで話題となっている「死ぬ死ぬ詐欺」については完璧にネット上での議論には目を通しているとは言いませんが、少なくとも主だったスレッドには目を通していますし(ずいぶん以前から)、まとめサイトの存在も知っており、概観しています。

4) 2)と3)に関係しますが、取材を受けた際に、「さくらちゃん」について一切頭に浮かばなかったかというと、確かに浮かんだことは確かです。また、記者さんの断片的に話される内容から、「さくらちゃん」関係の件をイメージしているであろうということは察しました。しかし、取材内容はあくまでも、特定の団体や人の寄付行為ではなく、一般的な寄付を求める行為(子供に対する手術費用捻出)に対するネット側の対応についてです。

5) 「誹謗・中傷が多いとは思えず、意見が整然と述べられており、若干の雑音があるものの、正当な討論となっているのでは」というコメントもいくつか頂きました。これについては同意します。紙上のコメントの中で、またそれを補足したブログ記事で「中傷」と書いたのは、中傷がすくなくなく、スレッドによっては中傷も多いことから、一般的な事柄として述べました。

6) 「かならずしも(紙上での)正確なコメントが載らないとわかっているなら、コメントするな。あるいは新聞社に抗議しなさい」ということですが、コメントを一切しなければ、当然ですが、私の意見はまったく掲載されません。少々、はずれた内容になったとしても、あるいははずれる可能性があるとしても、コメントに応じているのは、誰かがコメントしなければ、適当なコメント(特に記事内容、そして新聞ですから、事実の羅列ではなく、ある程度の意図を持った内容にそった)が掲載されてしまうからです。今回でも、記事の最初の意図は、「ネットで叩くのは問題だ」ということだったのを察しましたので、そうではなく、「今までのように表面的な事柄だけで正義のレッテルを貼り、その正義において何をしても許される時代ではない。具体的には子供の命が一番だからといって、募金行為が正当化されるわけではなく、説明責任もある。実際、疑惑をもたれている募金行為も少なくない。募金行為を否定されたからといって、その原因を認識しない側にも問題がある。特に誰でも自分と同じ考えであるというような認識は甘い。いわれのない誹謗・中傷は問題外だが、募金を募る側にも襟を正す必要があるのでは。」というような趣旨を言いました。そうした中で、新聞社として、その内容を最大限抽出した結果が、「募金に反感を持つ人もいる」という一文だったのでしょう。何も言わなければ「ネットは悪だ」というコメントになってしまう可能性があります。今回、コメントを頂いた方は新聞というメディアを自分の考えを持って認識しておられる方々でしょうが、一般には、そのままの形で受け入れてしまう人も多いようです。その人たちの中で幾人かでも踏みとどまって自分で考えてくれる人がいればと思い、コメントしています。

7)「ネットの負の側面」という言葉が私のコメントで使われていますが、これを言った覚えはありません。むしろ、いくつかの掲示板のスレッドで書かれていたように、「正の側面」も垣間見れると考えています。