もうひとつの視点

ー「いつの時代も真理は少数から始まった」ー

「嘲笑」はうまく反論できない人の手段

2012年11月24日 | 日常

「嘲笑」の意味を辞書で調べると,「人を馬鹿にしてわらうこと」とある。私は,話し合いや議論において,相手の意見を否定したりする時に「嘲笑」をもって自分の反対の意見を正当化しようとする人は嫌いである。反論できないなら初めから黙っていろと思う。反論するなら言葉によってきちんと証拠や根拠を話したり論理的に話したりするなど,一切の感情を挟まずに正論で反対をしてもらいたい。「嘲笑」というものは,反対する能力が自分になかったり,あるいは反対する正当な理由が本当はなかったりするときに,それでも議論を聞いている視聴者に自分の反対意見は正しいと思わせる一種のカモフラージュであり,錯覚をさせる技法でもある。へらへら笑って相手の意見を馬鹿にしている態度を取ることでしか相手の意見を否定することができない馬鹿は嫌いだ。「嘲笑」はうまく反論することができない人の残された手段である。
 自民党総裁になったため,安倍氏がテレビの前で話す機会が増えてきた。民主党に対し安倍氏はいつも嘲笑をしながら子どもがいうような悪口ばかり言っている。話し方もうまくないし,内容もどこかトンチンカンだ。このように感じているのは私だけではないだろう。先日ラジオを聞いていたら,あるアナウンサーが安倍氏の話していることはどこかずれているから,誰かが書いたペーパー(パターン)をいくつか暗記していてそれを使いまわしているのかもしれないと言っていた。確かにそのような感じも受ける。アドリブで的確に返せないのだろう。
 自衛隊を国防軍にする,日銀法に反対するエール大学の学者から意見を聞いてやはり(結果的に)日銀の独立性をやめさせるという自分の意見は正しかったなどと述べ,今の教育問題については教育関連の法律を大胆に変えることで解決しようとし,いつも安倍氏が笑顔で話す「美しい日本」を放射能の危険にさらし続ける。この人が総理になって以前のようにすぐやめなかった場合,日本は危険な状態になってしまう感じがする。


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