自民党総裁選立候補者9人がそろった。自民党本部には巨大なポスターが掲げられた。まるで、北野武氏の映画のポスターのようだ。
立候補者たちは、これから政策発表や論戦、合同記者会見、情報番組での主張等々、膨大な「言葉」を語ることになる。しかし、それらの言葉には、実行や実現において何の保証も無い。言ったもの勝ちである。後から、行わなかった理由はいくらでも付けられる。無責任で詐欺まがいの、ご立派な「言葉」は一切いらない。立候補者に、他の人と異なる政策があったとしても、それに取り組むのか、取り組めるのか、実現できるのか、全く不明である。私の想像を言うと、他の候補者がが言わないような一見素晴らしく見える政策は、首相になってからも現実的には不可能なことであろう(様々な所から強い反発を受けるため)。
論戦も合同記者会見もしなくてよい。立候補者は、何も話さなくてよい。国民や政治家達の客観的判断(正当で適切な判断)を妨げてしまうだけである(それが目的なのであろうが)。国民もテレビにしがみついて、実行性の保証が全くないただの詭弁や嘘、だまし言葉を、食い入るように聞くものではない。その姿を誰かに見られたら、バカみたいに見えてしまうだろう。
主張したことは絶対に守り、実現できなかったら国民をだました罪で、首相はもちろん議員を辞職するというルールを作るのであれば、私も立候補者たちの主張をまともに聞くだろう。いや、議員や党員、党友の投票で選ばれるしくみになっているから、やはり立候補者たちの主張を聞く意味はないか。私が投票できるわけではない。本来であれば、むしろ様々なしがらみのあるこれらの人々以外の一般国民による直接投票で首相になる党首を決めるのが良いと思う。
マスコミは、立候補者たちの「選挙活動中の言葉」を伝えるのではなく、これまでの発言の遍歴や不適切な言動(暴言や詭弁による説明拒否、裏金、証拠隠し、その他の不正行為)、派閥関係、行った仕事の客観的な成果など(レジ袋有料化の妥当性やワクチン手配の遅れ、健康保険証の廃止等々)、「これまでのこと」を紹介するだけでよい。確実なことは、これまでの言動しかないのだから。