もうひとつの視点

ー「いつの時代も真理は少数から始まった」ー

福島第一原発事故から1年

2012年03月11日 | 日常

 東日本大震災から1年がたった。原発事故で,自然豊かで人々が普通に暮らしていた福島県は一変し,現在も多くの福島県民は他県に避難をし,農業や漁業に携わる人々は苦しい生活を送っている。放射能がある限り数十年は続くのだろう。福島のものはやはり心配で日本の人も世界の人も敬遠するがそれは仕方のないことだろう。以前の福島はなくなった。
 取り返しのつかない状況となった福島県であるが,誰に責任があるのだろうか。東電であろうか。日本政府であろうか。自分が儲けるために,うまい話や悪いこと,危険なことを持ちかける人は世の中にたくさんいるが,普通はそれらを断ったりして我々は被害にあわないように生活をしている。原発についてもだれもが危険性は知っていたはずである(原発のすぐ横にだれもが住みたくないと思っていたことがその証拠である)。そして先進国2つ(チェルノブイリとスリーマイル島)で原発事故が起きたことも知っていた。それでも福島に原発をつくった。そうなると,話を持ちかけられた時、最終的に建設許可を出した当時の福島県知事の責任ということになるのだろうか。
 しかし,もし私が当時の福島県知事であったら,やはり原発の建設許可を出したであろう。それは当時の福島県知事とは異なった理由によるものであるかもしれない。私は機械である以上必ず壊れたり不具合が生じ,人間がかかわる以上必ずミスや勘違いは発生するという考えを持っている。だから,何らかの原因で原発事故も起きるだろうと思っている。しかし,それがいつかはわからない。機械の不具合をはじめ,世界状況(戦争やテロの状況)、自然災害も考えられる。5年先かもしれなし100年先かもしれない。それまでに県や市が受ける恩恵(お金や雇用など)を考えると,事故が起きたら県は終わりだろうがそれまで豊かな県にしておこうと判断して原発建設の許可を出すかもしれない。100年先の県の壊滅を防ぐために100年間財政が苦しい状況にはおかない。当時の県知事の判断は間違いではないのかもしれない。
 今後であるが,現状をなんとか変えていきたいものである。原発に代わる新エネルギーを開発し,日本政府の腐った幼稚なシステムを変え,日本の危機管理を徹底的に改善し,情報公開を必ず守り,東日本のセシウムとストロンチウムを最大限取り除くことに全力を尽くし,農産物や海産物の徹底的な検査をシステム化し,放射能検査をしなかったり数値をごまかして市場に農産物や加工食品,飲料水,コンクリート,腐葉土などを流通させた人や会社をテロリスト(意図的に不特定多数に危害を加える人や団体)として厳罰に処する法律を制定し,避難したり仮設に住んでいる人々に住宅を与え,福島県民の健康を無料で定期的に健診していくようにしていくことなどがあるだろう。今朝から政治家がテレビに出てお決まりのセリフを並べていたが,すぐにでもこれらのことに「全力」で取り掛かってもらいたい。


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