フィリピンりぱぶりっく狂笑国

フィリピンらしく
フィリピンでも
フィリピンだから

これだけは未だ変わらない

2024-05-08 | フィリピン

フィリピンで若いフィリピーナ女性とデートする欧米人老人が多いのはなぜ?

帝国主義的な観念。すべては1898年に始まった。

 
アメリカは広大な東アジア市場へのアクセスポイントを得るためにフィリピンに侵攻した。

町や村での虐殺、強制収容所での飢え、栄養失調、虐待により、200万人のフィリピン人が死んだ。

セオドア・"ラフ・ライダー"・ルーズベルトにとって、フィリピン人は太平洋の "抑留者 "以外の何者でもない。

彼らは、アジアで滅びゆくスペインの帝国の名残から生まれた共和国を立ち上げたばかりであるにもかかわらず、

彼らの劣等な文明の説明では、大量絶滅に値する人々である。

アメリカ軍による「くそったれフィリピン人」という歌まである。

諸島に残された住民は、自分たちの思うとおりに諸島を統治させるための "教育 "の一環として、強烈な宣伝にさらされていた。
 
アメリカの植民地支配の初期には、クラークとスービックに軍事基地が設置され、GIたちは「楽しむ」ために街を歩き回り、

性交できる女性を探し兵営に連れ帰った。その女性は見返りに多額の報酬を得た。


 
ストックホルム症候群の典型的なケースだが、このことは、自分の意思に反して性的暴力を受けたことを目の当たりにした

人々にさえも忘れがたい印象を残した。

彼ら自身は下層階級に属するため、GIが「報酬」として与えたものは何であれ、彼らは生き延びるための絶望から

それを受け取っただけだった。

そのようなことを家族にも話し、やがて親までもが、たとえ子供の純真さが暴力的に奪われることになろうとも、

子供をそのような略奪者に売り渡すことに積極的になる。その後何十年もの間、アメリカ人は自分たちが作り出したこ

の現象を素早く利用し、フィリピーナは常に、アメリカ人と結婚することが貧困から抜け出す確実な方法だと、

たとえそれが醜い野郎に魂を売り、名誉と尊厳を捨てることであったとしても、ためらうことなく考えていた。

こうしてクラーク基地を中心とした大都市が誕生し、そのためにアンヘレスとその隣接都市が開発され、年月が流れた。
 
パンパンガ州アンヘレス。

中国の東莞が滅び、東洋の娼婦の都と言われ、他の国々からの訪問者の状況を注目すると、ロシア人、イギリス人、

特にオーストラリア人などの西洋人男性がフィリピンでの花嫁奪取の乱痴気騒ぎにヤンキーたちと加わった。

終わりの見えない貧困に苦しみながらも、フィリピンは植民地時代の歴史のおかげで、文化的にも政治的にもアジア太平洋の中で

アメリカや西洋に最も近い国である。

アメリカの征服と占領による帝国主義的観念を含め、欧米の人々が自分たちの利益のためにフィリピンの若い女性を

ダッチワイフとして見つけ、利用することをより容易にしている。

近年まで、アメリカはフィリピン最大の入国者数を誇っていた。

2005年当時、日本の親父殿、ジジィ殿が娘や孫へ日清カップ麺を手土産に、マラテ界隈で

手を繋いで歩いていた時代があった。

時が経ち、いまだに同じ光景が見られるフィリピン。

しかし、学習力がつき、外国人を手玉にとる名人も多くなったのは事実である。

顔は綻んでいても本音は「失礼な奴!」これをお忘れなく。

 

 

 

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