ぽんしゅう座

優柔不断が理想の無主義主義。遊び相手は映画だけ

■ 石がある (2022)

2024年09月19日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」

河原を遡上する女と男の無邪気な童心ファンタジーをてらいなく描きつつ、ときおり二人の間に“警戒と親近”という現実的な感情の揺れが露出して緊張感が途切れない、ひと筋縄ではいかない不思議な物語。ドキュメンタリー監督でもある加納土が図々しくも気のよさそうな謎の男を好演。

(9月13日/ヒューマントラスト渋谷)

★★★

【あらすじ】
仕事で郊外の町を訪れた旅行会社の女性社員(小川あん)は成果が上がらないまま河原を散策していた。そこで対岸で黙々と水切りをしている地元の男(加納土)に目をとめる。彼女の存在に気づいた男は唐突に近づいてきて話かけてきた。いささか強引だが朴訥で悪意はなさそうだ。一気に距離を詰めてきた男に戸惑いながらも彼女は一緒に河原を上流に向かって歩き始める。二人はやがで子供のように、石を積んだり砂地を滑ったりと無邪気な遊びに興じ始めるのだった。東京フィルメックスやベルリン国際映画祭フォーラム部門など海外で注目された東京藝術大学大学院映像研究科出身の太田達成監督の長編第二作にして劇場公開デビュー作。(104分)

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■ マミー (2024)

2024年09月15日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」

あれからもう26年たったんですね。本人否認、動機不明、曖昧な目撃証言と間接証拠だけ。当時、もし自分がこんな状況で逮捕起訴されたら怖いなと強烈な違和感を抱いたのを覚えています。今では逮捕の“根拠”がこんなにボロボロになってるなんて知りませんでした。

今年(2024)公開の飯塚事件を扱った『正義の行方』でも目撃情報の曖昧さとDNA鑑定の恣意性が指摘されていましたが、今回も目撃証言の合理性の欠如や犯行に使わっれたヒ素の鑑定の出鱈目さに驚かされます。客観的なはずの科学的鑑定に忖度や過剰な自信による恣意性が入り込む“人の弱さ”が恐ろしい。

ときおり挿入されるフォトジェニックな画の多様に冤罪捜査、裁判制度、メディアスクラム、大衆の暴走etc・・・どの課題に向けて作られているのかの基本戦略が定まらず、必然として取るべき戦術としての演出に無意識に作り手の自意識が漏れ出しているように感じました。

それはそれで“迷い”という作品の味でドキュメンタリー映画として致命的な瑕疵だとは思いません。作者の迷走ぶりが正直に露呈する“話のオチ”が一番面白く、ある意味「作家映画」になっているのがその証。

あと、突然、元朝日新聞記者の峯村健司さんが出て来たのには驚きました。この人はいろいろなところでやらかしているんですね。

(9月10日/イメージフォーラム)

★★★

【あらすじ】
1998年7月、町内の夏祭りで提供されたカレーにヒ素が混入し67人が中毒を発症し4人が死亡する和歌山毒物カレー事件が起きた。狭い町内で犯人捜しが始まり過熱するマスコミ報道に煽られ全国的に注目を集めるなか、ヒ素による夫・健治への保険金殺害容疑が発覚した林眞須美が逮捕される。その後、地元では事件はタブー視され世間の記憶からも薄れるなか2009年に死刑判決が確定した。しかし、現在有罪の根拠となった目撃証言、ヒ素鑑定に疑義が生じている。その事実を眞須美の長男と健治の証言をもとに実証し信憑性を検証する長編ドキュメンタリー。TV畑出身の二村真弘によるの初映画監督作。(119分)

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■ 愛に乱暴 (2024)

2024年09月08日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」

淡々と日常を“こなしている”ように見える桃子(江口のりこ)だが、終始、彼女にまとわりつくような視線(カメラ/重森豊太郎)が、この女の“ただならなさ”を暗示して不穏だ。その不穏が彼女の外部に起因するのか、内側から発散されているか、初めは分からない。

気になるモノの臭いを嗅ぎ、こまめに手を洗う。繰り返されるそんな日常の行為ですら意味ありげにみえてくる。なんだか不気味な女なのだ。やがて一家の顛末が明らかになるにつれ、彼女が醸し出す不穏さの謎が明かされる。

女は家庭という「カタチ」に満足(充分)を求めていないのだ。「カタチ」という多角的な構造のなかに身の置き所、あるいは置き方を見いだせずに、夫(小泉孝太郎)や姑(風吹ジュン)との「カンケイ」という細い線の上に懸命に満足(充分)を見いだそうとしているようだ。それは彼女が進んで望んだものではないにしても。

そんな歪んだ幸福願望を淡々と、かつ絶妙な存在感で江口のりこが醸し出して実にサスペンスフル。抑制を効かせつつ「現実に心が蝕まれたすえの行動が、さらに眼の前の現実を蝕み行動が暴走する」不条理サスペンスの秀作でした。

小泉孝太郎の存在感のないダメっぷり(褒めてます)も好かったです。

(9月2日/MOVIX橋本)

★★★★

【あらすじ】
結婚8年目の専業主婦・桃子(江口のりこ)は夫の真守(小泉孝太郎)の実家で暮らしている。同じ敷地の離れには姑(風吹ジュン)が独りで住んでいる。夫には手の込んだ料理を作り姑のゴミ出しを手伝い、週に2日、趣味を生かした手作り石鹸教室の講師をして生徒にも好評だ。だが姑は息子のことしか頭になく、真守もどこか桃子によそよそしい。そんな日々のなか、手なずけた猫が姿を消し、近所のゴミ捨て場で不審火が続く。やがて桃子は誰もいない家で一人、電動チェーンソーのスイッチを入れることに・・・。平凡な家庭の隠れた因縁を描く吉田修一の同名サスペンス小説の映画化。(105分)

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■ 青春 (2023)

2024年09月01日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」

『苦い銭』に続くワン・ビンの本作では若い労働者たちの「職人としての技と矜持」に焦点が当てられる。彼らはミシンと布を流麗に操り出来高制の縫製作業のスピードを競い合い、決して清潔とはいえない共同寮(?)で“青春”ならではの喜怒哀楽を謳歌しているようだ。

仲間どうしで作業の難易度と一着あたりの工賃の多寡を喧々諤々議論し合い経営者と交渉する。その「若き熟練労働者」の生活をかけた遠慮なき逞しさに驚かされる。と同時に派遣社員制度という高度な搾取システムに組み込まれた日本の非正規雇用労働者のどん詰まり状況に暗澹とする。

映画の終わりに本作は2014年から2019年に撮影されたと表記される。するとこの直後に、世界は新型コロナウイルス禍に襲われ、彼らは中国政府による厳し行動制限にさらされたことになる。中国では世界でも例をみない極端な封鎖政策のため500万社の中小零細企業がつぶれたと聞いたことがある。あの屈託のない若者たちは、いまどこでどんな生活をしているのだろうか。

(5月11日/イメージフォーラム)

★★★★

【あらすじ】
中国・長江デルタ地域の衣類縫製の町・織里(ジィリー)で働く若者たちの日常を描いたワン・ビン監督の『苦い銭』(2016)に続く長編ドキュメンタリー。町には小規模の縫製工場が集積しており地方出身の10代から20代の男女が僚で共同生活をしている。賃金は出来高制で、若者たちは決められた時間内にできるだけ多くの服を作るために競うように猛スピードでミシンを操る。狭い作業場でひしめき合いながら無邪気に戯れているようにみえる若者たちの恋愛模様や、苛立ちと諍い、思わぬ妊娠と結婚問題、それぞれの思惑が絡む賃上げ交渉といった“青春模様”が活写される。撮影期間は『苦い銭』(2016)に続く2014年から新型コロナ禍前の2019年まで。(212分)

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■ 箱男 (2024)

2024年08月29日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」

「見られずして(無視されながら)世間を見るのは強者の特権なのだ」と豪語する箱男と「箱男を意識する者(=無視された者の存在と特権を知ってしまった者)は必ず箱男になる」を実践する偽箱男。二人(二個?)の自意識がぶつかる形而上的な闘争を石井岳龍は“箱”のアクション活劇に昇華する。

ゆるキャラみたいな“短足箱男”の懸命さが苦笑を誘い、最後は愛おしくなってくる悲喜劇映画でもある。

(8月27日/ユーロスペース)

★★★

【あらすじ】
段ボール箱を頭からかぶり一切の帰属を絶ち、のぞき窓から一方的に世界を見つめノートに何事かを書き込みながら都市を徘徊する箱男(永瀬正敏)。そんな特権的“立場”を狙う何者かの攻撃を受け傷ついた箱男は謎の女・葉子(白本彩奈)に導かれるように小さな病院を訪れる。そこには軍医と呼ばれる隠遁した老人(佐藤浩市)と、かつての上司である軍医の世話をしながら医院長を務めるニセ医者(浅野忠信)がいた。そして箱男の“立場”を狙った陰謀と愛欲の闘争劇が繰り広げられることになる。1978年に安部公房が発表した原作小説の映画化。(120分)

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■ 新米記者トロッ子 私がやらねば誰がやる! (2024)

2024年08月25日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」

才色兼備のお嬢さんを嫌味なく体現する久間田琳加。めげない達観と矜持が心地よい高石あかりのやさぐれぶり。二人の間で右往左往するいささか純情が過ぎる藤吉夏鈴のお人好しぶり。キャラが過剰な記号になる一歩手前で、ひらりと軽やかに纏うように演じる三人が素晴らしい。

特に高石あかりさんの映画的瞬発力とでもいうのか、存在感と動作(アクション)のキレは凄いですね。『ベイビーわるきゅーれ』での評判は耳にしていたのですが未見で今回が初「高石」体験。得心しました。

小林啓一監督は作家性の強い演出家なのかと思っていたのですが『ももいろそらを』『殺さない彼と死なない彼女』『恋は光』、そして本作と観てきたのですがすべてトーンが違う。臨機応変、適材適所で、しかも高レベルで作品を仕上げる器用な、近い世代の演出家でいうと大根仁や城定秀夫のような職人監督さんだったんですね。あと脚本で大野大輔が参加していたのも観終わった後で気づきました。この人は監督としても役者としても私のご贔屓。

なんだかいろいろと得した気分になった楽し映画でした。

(8月18日/テアトル新宿)

★★★★

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■ 密輸 1970 (2023)

2024年08月19日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」

胸の谷間をのぞかせ肉感的でふてぶてしくも愛嬌あるドヤ顔のキム・ヘス。ノーブルで凛としたお嬢さん顔に凛々しくも悔恨の意志を秘めたヨム・ジョアン。タイプの違う“おんな”が映画的記号としてエンタメ性を担保して「力」を背景とした“おとこ的支配”を翻弄する。

時代設定は1970年代。ギュイン~ギュインと無遠慮なエレキギターにウォ~ンウォ~ンとやかましいエレクトーンの劇伴が70年代アクションものの記憶を呼び起こし、そこに唐突に割って入る情緒たっぷりの演歌風歌謡もまたダサくて、楽しい楽し、懐かしい。

物語は劇中の小物から1974年から76年の話だとわかる。韓国はパク・チョンヒ大統領による軍事独裁政権で「力」がすべてに優先するマッチョな時代。たががアクション娯楽映画のくせに、そんな大きな時代背景への「アンチ」を滲ませるところにも、いつか観た東映ピンキー映画の香りが漂うのです。

(8月15日/新宿ピカデリー)

★★★

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■ Chime (2024)

2024年08月18日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」

いつか観たような“驚かしネタ”が(確信犯なのだとしたら)好意的に言えば作為のないルーズなロケ映像で続く。撮影はフットワークが身上の古屋幸一なのだが黒沢清の目論見は思いどおりには機能しているように見えず緊張感のなさは学生の自主制作映画のよう。

45分の中編で劇場公開料金一律1500百円は高い、と思わせては失敗。

(8月18日/新宿シネマカリテ)

★★

【あらすじ】
料理教室の講師・松岡(吉岡睦雄)は、一流ビストロのチーフシェフに採用されるチャンスを得て意気込んでいた。そんなおり授業中に生徒の田代(小日向星一)から、先生には「チャイムのような音が聞こえませんか?」と問いかけられる。さらに田代は自分の頭のなかには半分機械が埋め込まれているのだと訴え始めた。まともに取り合わない松岡だが、やがて彼の生活に異変が起き始めるだった。それは彼の周りの出来事なのか、それとも彼自身の問題なのか・・・。メディア配信プラットフォーム「Roadstead」のオリジナル作品第1弾として製作されデジタル販売されたのち劇場上映された黒沢清のホラー作品。(45分)

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■ ルックバック (2024)

2024年08月09日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」

例えば予期せぬ出来事によって「創作」を永遠に絶たれてしまった者、あるいは周囲の無理解によって「創作」を自ら断たざるを得なかった者、そして「創作」を志しながら才足りず、機会得られず、あるいは鍛錬続かず早々に退場してしまった数多(あまた)の者たちへの鎮魂歌。

もちろん、すべての者たちの“生きざま”は肯定されなければならないのだ。

この物語は創作活動がはらむネガティブな「苦しみ」に安易に価値を見いだしたりしない。創作のポジティブな発露としての「喜び」を“何があろうとも”徹底的に描ききる。悲しみの先は「創造する力」によってのみ見いだされるのだ。

ここからは長い余談です。創作に必要なものは「ベースとなる才能」、それを磨く「圧倒的な努力」、その才能と努力を認め合う「同志やライバル」なのだろう。その三つの要素が満たされたとき、彼らを世に送り出す「発見者」が現れるのだ。

京都アニメーションの事件を起こした男の話です。事件に至るまでの男の生い立ちと行動を追った精神科医師の手記を読んだことがある。決して良好とはいえない家庭環境と教育課程を過ごし、その結果として満足のいく職を得られなかった男は、創作活動に最後の望みを見いだしたのだという。そして細々ではあるが人づきあいも保っていたという。だが男はいつしか自分の周りの人間関係を一切たってしまい事件に至ったのだそうだ。男に「ベースとなる才能」があったのか、「圧倒的な努力」をしたのかどうか、私には分からない。だが「同志やライバル」がいなかたのは確かのようだ。この三つ目の要素が加わっていたなら男の顛末は変わっていたのだろうか。

この男の「創作」の意志もまた肯定されるべきだ、と書いたらお叱りを受けるのだろうか。ではこの男の「創作」はいつから、どこから“否”になってしまったのだろうか。この男の挫折と、数多(あまた)の挫折者たちを分けた「何か」とは何だったのだろう。世間、折り合い、紙一重。そんな言葉が頭に浮かんだ。

(8月8日/TOHOシネマズ南大沢)

★★★★

【あらすじ】
東北の小学四年生の少女・藤野(河合優実)が「学年通信」に連載している4コマ漫画は大人気。将来はマンガ家になるのだろうと級友たちからもてはやされていた。その「学年通信」に隣りのクラスの不登校少女・京本(吉田美月喜)のマンガも載ることになった。余裕しゃくしゃくの藤野だったが、京本のマンガを見てその画力にの高さに圧倒され自信をなくしてしまう。時は過ぎ小学校卒業の日、いまだに不登校を続ける京本と藤野は初めて顔を合わせることに・・。自信家で積極的な藤野と人付き合いが苦手な京本。そんな才能に溢れた二人の“創造する力”の物語。押山清高監督・脚本による藤本タツキ原作の読み切り漫画のアニメ化作品。(58分)

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■ 大いなる不在 (2023)

2024年08月05日 | ■銀幕酔談・感想篇「今宵もほろ酔い」

一つひとつのシーンに未知の事実を読み解く仕掛けが必ず準備されていて若い夫婦共ども我々を老夫婦の過去へ導いていく。そのたたみ掛けるような語り口がスリリングでスクリーンか目が離せなくなる。そして正気の残滓を滲ませる父親(藤竜也)の自信満々ぶりの悲しさ。

同じようにアンソニー・ホプキンスが認知症を発症したインテリ老父とその家族を描いた『ファーザー』 (2020)では患者が目にしている「主観」世界を描いてホラーの様相を呈していた。本作の元大学教授の認知のズレは、彼のいささか高慢なプライドと現実のズレの体現という「客観」として描かれる。

息子夫婦の前にさらされた、その無防備な“傲慢さ”の残滓は「この男の過去の言動ならさもありなん」と見えつつ、人間の業の深さと狂気のあわいの“無常”として切なくも悲しい。藤竜也、圧巻の存在感。

(7月31日/テアトル新宿)

★★★★

【あらすじ】
東京で俳優をしている卓(森山未來)は大学教授だった父親の陽二(藤竜也)が認知症になったとの知らせを受け、妻の夕希(真木よう子)とともに九州の実家を訪ねる。幼いころに両親が離婚し父親に捨てられた感じてる卓は父とはずっと疎遠で、プライドが高く一方的な持論で相手を説き伏せてしまう陽二の性格も疎ましく思っていた。物が散乱した実家には、父の再婚相手の直美(原日出子)の姿はなく行方が分からなくなっていた。虚実が曖昧な父の言動と残されたメモや日記の存在から徐々に陽二と直美の生活と、二人のさらなる過去が見え始める

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