夕方の、混み始めた日比谷線。
六本木から恵比寿まで乗ったときのことです。
中のほうはけっこう空いているのに、
入り口付近は乗り込んだ人たちがなぜか踏ん張っていて混んでいて。
たった2駅のことだったけれど、「すいません、すいません」
と人をかき分けながら奥に入りました。
ちょっと乗るだけだったし、疲れてもいなかったから
何気なく空いたつり革につかまったら、
前に座っていた外人の青年がふいに立ち上がって、
「ドウゾ、オスワリクダサイ」
と、カタコトノ日本語で席を譲ってくれたのです。
え?え?え~っ?
妊婦に見えた?
疲れた顔してた?
これはお国柄的文化としての、レディに対する礼儀なの??
それとも私が美しすぎた??!(笑)
もしかして老婆に見えたのかな…
ものすごい速さで「席を譲られる」理由を探してる私。
外人さんは余裕のにっこり笑顔。
その灰色がかった、奥に笑みをたたえている美しい瞳にうながされ、
「ど、どうも、ありがとうございます」
と、こちらもたどたどしい日本語を言って、
とにかくこの「もてなし」を受け取らなければならない、という義務感的なものもあり、座ったのです。
席を譲る、ということはしたことはあっても、
理由らしきものがなく、「席を譲られる」という行為にまったく慣れていないもので、座ってからもしばらくドキドキしていました。
みんなが知らん顔して乗り込んでいる車内という空間の中で、
なんだかひとり目立ってしまってような居心地の悪さもあって、
それをまた悟られないように、平気な顔をしてみたり…
外人の青年はずっと背中を向けたまま、次の駅で降りていきました。
私は心の中で「サンキュー」とつぶやいて見送りました。
たくさんの人たちが乗っている電車の中で、席を譲られたこと。
青年に出会えたこと。
これって、もしかしたら宝くじに当るような確率なんじゃないのかしら?
これって、とてもラッキーなことなんじゃないのかしら?
そう思えたら、理由なんてどうでもよくて、
ただ「席をゆずられた」ことをうれしくおもって、
ハッピーな気持ちになっていた私なのでした。
六本木から恵比寿まで乗ったときのことです。
中のほうはけっこう空いているのに、
入り口付近は乗り込んだ人たちがなぜか踏ん張っていて混んでいて。
たった2駅のことだったけれど、「すいません、すいません」
と人をかき分けながら奥に入りました。
ちょっと乗るだけだったし、疲れてもいなかったから
何気なく空いたつり革につかまったら、
前に座っていた外人の青年がふいに立ち上がって、
「ドウゾ、オスワリクダサイ」
と、カタコトノ日本語で席を譲ってくれたのです。
え?え?え~っ?
妊婦に見えた?
疲れた顔してた?
これはお国柄的文化としての、レディに対する礼儀なの??
それとも私が美しすぎた??!(笑)
もしかして老婆に見えたのかな…
ものすごい速さで「席を譲られる」理由を探してる私。
外人さんは余裕のにっこり笑顔。
その灰色がかった、奥に笑みをたたえている美しい瞳にうながされ、
「ど、どうも、ありがとうございます」
と、こちらもたどたどしい日本語を言って、
とにかくこの「もてなし」を受け取らなければならない、という義務感的なものもあり、座ったのです。
席を譲る、ということはしたことはあっても、
理由らしきものがなく、「席を譲られる」という行為にまったく慣れていないもので、座ってからもしばらくドキドキしていました。
みんなが知らん顔して乗り込んでいる車内という空間の中で、
なんだかひとり目立ってしまってような居心地の悪さもあって、
それをまた悟られないように、平気な顔をしてみたり…
外人の青年はずっと背中を向けたまま、次の駅で降りていきました。
私は心の中で「サンキュー」とつぶやいて見送りました。
たくさんの人たちが乗っている電車の中で、席を譲られたこと。
青年に出会えたこと。
これって、もしかしたら宝くじに当るような確率なんじゃないのかしら?
これって、とてもラッキーなことなんじゃないのかしら?
そう思えたら、理由なんてどうでもよくて、
ただ「席をゆずられた」ことをうれしくおもって、
ハッピーな気持ちになっていた私なのでした。
ちょっと離れた席に座っていたおばさんが
降りる時に、『あなた、ここ座んなさいっ!』
と席を抑えて呼んでくれました
…多分つり革につかまってぐるんぐるん
まわっていたんだと思う…
ぐるんぐるん…疲れてましたね…
おばさんもやさしいなぁ。
やっぱり、うれしいよね。
席をゆずられて、やっと座れても
うれしさとありがたさで目が覚めちゃうね。
ちいさな親切。
けっこう、いまの社会にありますよね。