8月25日(木)室内楽/管楽アンサンブル
草津音楽の森国際コンサートホール
【曲目】
1. ドヴォルザーク/管楽セレナード 二短調 Op.44
2. リゲティ/6つのバガテル
3. 西村 朗/フルートと管楽と打楽器のための協奏曲
4. J.シュトラウス/「こうもり」管楽アンサンブルのための
【アンコール】
J.シュトラウス/「こうもり」~乾杯の歌
【演 奏】
Fl:ヴォルフガング・シュルツ/Ob:トーマス・インデアミューレ、徳山奈美/Cl:ペーター・シュミードル、四戸世紀/Fg:ミラン・トルコヴィッチ、岡崎耕治/Hrn:木川博史、三村総撤、高橋哲夫/Vc:タマーシュ・ヴァルガ/CB:ミヒャエル・ガヴリロフ/Perc:永曾重光、清田裕里江
草津の音楽アカデミーでは、期間中に必ず木管アンサンブルによる演奏会を行うらしいが、木管アンサンブルはお客の入りが悪く「モッカラン」と、オープニングで井阪さんが駄洒落を飛ばしていたが、これほどの錚々たるメンバーによる草津ならではのコンサートを聴かないのはもったいない。
そんなスゴ腕の名手が揃ったオープニングはドヴォルザークの名品だったが、優雅に奏でられる木管アンサンブルは、心地よさはあっても「刺激」とは無縁の音楽で、間もなく気持ちよくなってしまいウトウト… 木管アンサンブルは人気が今ひとつ出ない、という理由はこんなところにあるのか、と自分が眠くなってしまった理由を正当化。一応耳には聴こえていたが、そんなわけで1曲目のコメントはなしにしておく。
そんな優雅な木管アンサンブルの世界に一括入れてくれたのが次のリゲティ。フルートのシュルツは曲によってピッコロに持ち替え、音楽だけでなく音響的にも刺激を与えてくる。「6つのバガテル」は、リゲティの作品の中では一般受けしやすい要素を持っているが、薬味が効いて、挑んでくる姿勢はやっぱり新鮮。こういう音楽は、演奏も抜群に上手くてウィットも備えていないと面白くないし、その良さは発揮されないが、草津に集まった名手たちならその点は心配なし。まさに音楽が今生れている、というような新鮮で臨場感たっぷりの演奏を楽しませてくれた。
リゲティに輪をかけるように面白かったのが西村作品。去年から草津音楽アカデミーの音楽監督を務める西村さんの作品を演奏会に乗せようと提案したのは、オーボエのインデアミューレということだが、97年のアカデミーの演奏会で初演されたというフルート協奏曲の再演は、音楽も演奏も大変刺激的だった。
西村の作品というと、「ヘテロフォニー」という手法を駆使して執拗に襲ってくる音の塊に息苦しさを感じてしまった記憶があるが、この作品はテクスチュアの濃淡具合も変化に富み、パーカッションが入ることで音色的な変化や新鮮さにも溢れ、音楽としてもドラマ性を感じさせ、何よりも雄弁で活き活きと駆け巡るフルートがとても印象深くて、最初から最後まで、目も耳も離せない時間を共有した。
この演奏を聴いて、西村朗という作曲家の力量を再認識したと同時に、演奏者の力量にも感服した。ソロのシュルツはこの難曲を一陣の風が吹き抜けるように鮮やかに、そしてエモーションや詩情もたっぷりに聴かせ、見事の一言。トゥッティ役のアンサンブルの精度も極めて高い。微分音の重なりから生まれる音のうねりも理想的な効果を出していた。「また聴きたい」と思える現代曲に久しぶりに出会ったが、また聴くときはやっぱり名手による、しかもライブでの緊迫した雰囲気の中で聴きたい。
最後は一転して楽しい雰囲気の「こうもり」メドレー。アレンジが変化に富んでいておもしろく、1曲目のときほどは眠くならなかった(ちょっとだけ眠くなったが…)。シュルツやシュミードルといったウィーン・フィルで活躍した名手がいることもあるのだろう、ワルツのリズムなど、とても自然なウィットに富んでいて、聴いていて心が躍る。名手たちが「ソロ」で活躍するフレーズにも事欠かず、いろいろな楽しみがある。日本人奏者による2つのホルンも活躍。演奏会の最後をフェスティバルらしく楽しく華やかに締めくくるのに相応しい、ごきげんな演奏となった。
マスタークラス(トマス・インデアミューレ)
この日の午前中には、関先生にくっついてインデアミューレのオーボエのマスタークラスを聴き、午後はソプラノのドーソンの公開レッスンを聴講した。
インデアミューレは、フレーズごとに大変丁寧にレッスンを施して行く。アーティキュレーションにしても、ディナミークにしても、演奏している音楽が何をどのように表現するものかを明確に示す根拠として説明されるので、とても説得力がある。
生徒の演奏を聴いて、なかなかいいじゃない、と僕は思っても、インデアミューレは手厳しい。例えばシューマン(3つのロマンス)は、表情を濃厚に付けるだけでなく、これが「迷い」や「諦念」といったパッシヴな表現を弱音で表現することが大切だと説く。呼吸、お腹の支え、口の作り方、といったオーボエの演奏に欠かせないポイントについての指導も入念。インデアミューレのレッスンを1日でも受ければ、その後の道は大いに開けてくると思えるような、素晴らしいレッスンだった。
公開レッスン(リン・ドーソン)
天狗山レストハウスで行なわれたドーソンの公開レッスンは、5人の受講生によるモーツァルト、シューベルト、シューマン、ビショップの歌曲やオペラのアリア、モテットで行なわれた。
「歌には歌詞が付いているので、作曲家がこのフレーズにどんな思いを託したか、を伺い知る術を見つけやすい」、という説明に納得。ドーソンは歌詞をきちんと消化して、その意味が伝わるように歌うことの大切さを教えていた。伴奏を聴き、対旋律とアンサンブルすることや、テンポやフレージングのタイミングを伴奏者に示すことなど、とかく独りの世界に入ってしまって忘れがちなソリストの役割を伝えていた。
個人的には、5人の生徒のうち、シューマンの「君は花のように」を歌った関あかねさんの歌唱が、陰影と色彩に富み、ドイツ語の発音にも深みがあり、印象深く聴いた。最初の”Du bist…”から深い響きに引き込まれてしまった。
レッスンを通訳付きで聴いていて、歌のレッスンでは、説明するときの言語(英語)に加え、歌詞で歌われる別の言語(ドイツ語やイタリア語)も大切だと感じた。通訳者はレッスンで取り上げられる曲の歌詞をきちんと把握しておく必要があろう。
草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル2011(8/24)
草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル2009
草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル2008
草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル2007
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1. ドヴォルザーク/管楽セレナード 二短調 Op.44
2. リゲティ/6つのバガテル
3. 西村 朗/フルートと管楽と打楽器のための協奏曲
4. J.シュトラウス/「こうもり」管楽アンサンブルのための
【アンコール】
J.シュトラウス/「こうもり」~乾杯の歌
【演 奏】
Fl:ヴォルフガング・シュルツ/Ob:トーマス・インデアミューレ、徳山奈美/Cl:ペーター・シュミードル、四戸世紀/Fg:ミラン・トルコヴィッチ、岡崎耕治/Hrn:木川博史、三村総撤、高橋哲夫/Vc:タマーシュ・ヴァルガ/CB:ミヒャエル・ガヴリロフ/Perc:永曾重光、清田裕里江
草津の音楽アカデミーでは、期間中に必ず木管アンサンブルによる演奏会を行うらしいが、木管アンサンブルはお客の入りが悪く「モッカラン」と、オープニングで井阪さんが駄洒落を飛ばしていたが、これほどの錚々たるメンバーによる草津ならではのコンサートを聴かないのはもったいない。
そんなスゴ腕の名手が揃ったオープニングはドヴォルザークの名品だったが、優雅に奏でられる木管アンサンブルは、心地よさはあっても「刺激」とは無縁の音楽で、間もなく気持ちよくなってしまいウトウト… 木管アンサンブルは人気が今ひとつ出ない、という理由はこんなところにあるのか、と自分が眠くなってしまった理由を正当化。一応耳には聴こえていたが、そんなわけで1曲目のコメントはなしにしておく。
そんな優雅な木管アンサンブルの世界に一括入れてくれたのが次のリゲティ。フルートのシュルツは曲によってピッコロに持ち替え、音楽だけでなく音響的にも刺激を与えてくる。「6つのバガテル」は、リゲティの作品の中では一般受けしやすい要素を持っているが、薬味が効いて、挑んでくる姿勢はやっぱり新鮮。こういう音楽は、演奏も抜群に上手くてウィットも備えていないと面白くないし、その良さは発揮されないが、草津に集まった名手たちならその点は心配なし。まさに音楽が今生れている、というような新鮮で臨場感たっぷりの演奏を楽しませてくれた。
リゲティに輪をかけるように面白かったのが西村作品。去年から草津音楽アカデミーの音楽監督を務める西村さんの作品を演奏会に乗せようと提案したのは、オーボエのインデアミューレということだが、97年のアカデミーの演奏会で初演されたというフルート協奏曲の再演は、音楽も演奏も大変刺激的だった。
西村の作品というと、「ヘテロフォニー」という手法を駆使して執拗に襲ってくる音の塊に息苦しさを感じてしまった記憶があるが、この作品はテクスチュアの濃淡具合も変化に富み、パーカッションが入ることで音色的な変化や新鮮さにも溢れ、音楽としてもドラマ性を感じさせ、何よりも雄弁で活き活きと駆け巡るフルートがとても印象深くて、最初から最後まで、目も耳も離せない時間を共有した。
この演奏を聴いて、西村朗という作曲家の力量を再認識したと同時に、演奏者の力量にも感服した。ソロのシュルツはこの難曲を一陣の風が吹き抜けるように鮮やかに、そしてエモーションや詩情もたっぷりに聴かせ、見事の一言。トゥッティ役のアンサンブルの精度も極めて高い。微分音の重なりから生まれる音のうねりも理想的な効果を出していた。「また聴きたい」と思える現代曲に久しぶりに出会ったが、また聴くときはやっぱり名手による、しかもライブでの緊迫した雰囲気の中で聴きたい。
最後は一転して楽しい雰囲気の「こうもり」メドレー。アレンジが変化に富んでいておもしろく、1曲目のときほどは眠くならなかった(ちょっとだけ眠くなったが…)。シュルツやシュミードルといったウィーン・フィルで活躍した名手がいることもあるのだろう、ワルツのリズムなど、とても自然なウィットに富んでいて、聴いていて心が躍る。名手たちが「ソロ」で活躍するフレーズにも事欠かず、いろいろな楽しみがある。日本人奏者による2つのホルンも活躍。演奏会の最後をフェスティバルらしく楽しく華やかに締めくくるのに相応しい、ごきげんな演奏となった。
マスタークラス(トマス・インデアミューレ)
この日の午前中には、関先生にくっついてインデアミューレのオーボエのマスタークラスを聴き、午後はソプラノのドーソンの公開レッスンを聴講した。
インデアミューレは、フレーズごとに大変丁寧にレッスンを施して行く。アーティキュレーションにしても、ディナミークにしても、演奏している音楽が何をどのように表現するものかを明確に示す根拠として説明されるので、とても説得力がある。
生徒の演奏を聴いて、なかなかいいじゃない、と僕は思っても、インデアミューレは手厳しい。例えばシューマン(3つのロマンス)は、表情を濃厚に付けるだけでなく、これが「迷い」や「諦念」といったパッシヴな表現を弱音で表現することが大切だと説く。呼吸、お腹の支え、口の作り方、といったオーボエの演奏に欠かせないポイントについての指導も入念。インデアミューレのレッスンを1日でも受ければ、その後の道は大いに開けてくると思えるような、素晴らしいレッスンだった。
公開レッスン(リン・ドーソン)
天狗山レストハウスで行なわれたドーソンの公開レッスンは、5人の受講生によるモーツァルト、シューベルト、シューマン、ビショップの歌曲やオペラのアリア、モテットで行なわれた。
「歌には歌詞が付いているので、作曲家がこのフレーズにどんな思いを託したか、を伺い知る術を見つけやすい」、という説明に納得。ドーソンは歌詞をきちんと消化して、その意味が伝わるように歌うことの大切さを教えていた。伴奏を聴き、対旋律とアンサンブルすることや、テンポやフレージングのタイミングを伴奏者に示すことなど、とかく独りの世界に入ってしまって忘れがちなソリストの役割を伝えていた。
個人的には、5人の生徒のうち、シューマンの「君は花のように」を歌った関あかねさんの歌唱が、陰影と色彩に富み、ドイツ語の発音にも深みがあり、印象深く聴いた。最初の”Du bist…”から深い響きに引き込まれてしまった。
レッスンを通訳付きで聴いていて、歌のレッスンでは、説明するときの言語(英語)に加え、歌詞で歌われる別の言語(ドイツ語やイタリア語)も大切だと感じた。通訳者はレッスンで取り上げられる曲の歌詞をきちんと把握しておく必要があろう。
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