9月5日(金)小川典子(ナビゲーター&ピアノ)
~東京文化会館レクチャーコンサート 「激動の時代と音楽」シリーズ~
東京文化会館小ホール
【曲目】
1. ラフマニノフ/「音の絵」~Op.39-1,5
2.プロコフィエフ/ピアノ・ソナタ第7番変ロ長調Op.83
3. ショスタコーヴィチ/ピアノ協奏曲第2番~パロディーの部分、およびピアノ協奏曲第1番~第2楽章
4. ムソルグスキー/組曲「展覧会の絵」
【アンコール】
チャイコフスキー/ピアノ曲集「四季」~「春」より「松雪草」
2月のサントリーホールでのリサイタルを聴いてから「またリサイタルを聴きたい!」と思っていたところ、今度は小川さんが得意そうなロシアものを取り揃えたプログラムで、しかも「展覧会の絵」もやるというので迷わずチケットを購入、これが秋のコンサートシーズン最初の演奏会となった。
「東京文化会館レクチャーコンサート」ということで、小川さんのトークを交えたコンサートだが、プログラムの内容は普通のリサイタルよりも重いくらい充実している。
「ラフマニノフがいかに手の大きな大ピアニストだったか」というお話をピアノでドの音を押さえて「この音ぐらいまでは楽々届いたそうなんです」と12度上のソの音をたたいたりして説明し、それに続き弾いたラフマニノフの「音の絵」は、小川さんの手の小ささなんかいささかも感じさせないようにがっちりと曲をつかみ、彫刻のように立体感のある音像を造り上げた。「とても激情的で悲劇的な音楽」とプログラムノートに記されていたが、小川の造り上げる音楽はもっと前向きで生への執念のようなものを感じた。
続いてはプロコフィエフ。「プロコフィエフは大変な自信家でイヤな奴だった」という面白いエピソードを紹介して弾いたのは「戦争ソナタ」。「マシン」のような無機質な演奏で圧倒するやり方もあるかも知れないが、小川の弾くこの曲にはウェットな感情が入る。そして各声部がどれもとても音楽的に躍動し、それぞれの性格付けがしっかり施されていて、複数の楽器のアンサンブルを聴いているよう。それが音楽にボリューム感が与え、やはりラフマニノフのときのような立体感が生まれる。第1楽章や第3楽章では燃焼度の高い厳しさがあり、第2楽章は熱くて気高い「歌」があった。
「重い」プログラムはまだまだ続く。ショスタコーヴィチについては国家による統制の中でいかに巧みに自作曲にアイロニーを織り込んだかをピアノを弾きながら紹介、そして2曲のピアノコンチェルトのそれぞれ一部を演奏したが、とりわけ第1番の第2楽章はモノローグ的な歌がひしひしと胸に染みてきた。これはまたいつか是非オーケストラとの共演で聴いてみたい。
休憩を挟んでおしまいは「展覧会の絵」。ジュリアード音楽院時代にユダヤ人の先生から教わったこと(「ゴールデンベルクは多くの苦労の末に金持ちになれた」とシュムイレにお説教して、それにシュムイレが泣きついている)や、「ある演奏会で「バーバ・ヤーガ」を弾いたら子供が怖がって泣き出したのが嬉しかった」といったエピソードを紹介、ますますこれから聴く演奏に期待が高まった。
最初の「プロムナード」がとてもおおらかに、楽しげに響き、このあと繰り広げられる様々な音楽に思いを馳せる。小川の弾く「展覧会の絵」は2月に聴いたリストのロ短調ソナタのように華やかでゴージャスで、やはり気高さも具わり、それにとても明るい演奏だった。むしろラベル編曲のオーケストラ版で聴き慣れている曲だが、ピアノ一台でこれ程までに、誤解を恐れずに言えばむしろオーケストラよりも雄弁に、より遠くまでイマジネーションを膨らませられてしまうなんて本当にすごい。
磨かれたタッチでそれぞれの楽曲をリアルに活き活きと描き、それぞれの「絵」から実物が飛び出してくるよう。「子供が泣いた」という「バーバ・ヤーガ」の迫力も凄かったが、これは大人が聴くと、子供に迫真の演技を交えて読み聞かせている愛情と血の通った「お母さん」の姿も浮かんでしまう。終曲「キエフの大門」も期待通りの空気全体を震わせ、色までつけてしまうような迫力。「ピアノを鳴らすのに男のような腕っぷしの強さが不可欠なわけではないということを証明した」なんて褒め言葉が場違いと思えるほど、そんな次元を超えた大きな存在を提示した小川の力を思い知った。
アンコールで弾いてくれたチャイコフスキーの、朝の光を浴びて生命力に溢れる清々しい「松雪草」(そんなイメージが勝手に湧いてきた)にもハートを感じた。うん、やっぱり小川典子はすごい!
~東京文化会館レクチャーコンサート 「激動の時代と音楽」シリーズ~
東京文化会館小ホール
【曲目】
1. ラフマニノフ/「音の絵」~Op.39-1,5
2.プロコフィエフ/ピアノ・ソナタ第7番変ロ長調Op.83
3. ショスタコーヴィチ/ピアノ協奏曲第2番~パロディーの部分、およびピアノ協奏曲第1番~第2楽章
4. ムソルグスキー/組曲「展覧会の絵」
【アンコール】
チャイコフスキー/ピアノ曲集「四季」~「春」より「松雪草」
2月のサントリーホールでのリサイタルを聴いてから「またリサイタルを聴きたい!」と思っていたところ、今度は小川さんが得意そうなロシアものを取り揃えたプログラムで、しかも「展覧会の絵」もやるというので迷わずチケットを購入、これが秋のコンサートシーズン最初の演奏会となった。
「東京文化会館レクチャーコンサート」ということで、小川さんのトークを交えたコンサートだが、プログラムの内容は普通のリサイタルよりも重いくらい充実している。
「ラフマニノフがいかに手の大きな大ピアニストだったか」というお話をピアノでドの音を押さえて「この音ぐらいまでは楽々届いたそうなんです」と12度上のソの音をたたいたりして説明し、それに続き弾いたラフマニノフの「音の絵」は、小川さんの手の小ささなんかいささかも感じさせないようにがっちりと曲をつかみ、彫刻のように立体感のある音像を造り上げた。「とても激情的で悲劇的な音楽」とプログラムノートに記されていたが、小川の造り上げる音楽はもっと前向きで生への執念のようなものを感じた。
続いてはプロコフィエフ。「プロコフィエフは大変な自信家でイヤな奴だった」という面白いエピソードを紹介して弾いたのは「戦争ソナタ」。「マシン」のような無機質な演奏で圧倒するやり方もあるかも知れないが、小川の弾くこの曲にはウェットな感情が入る。そして各声部がどれもとても音楽的に躍動し、それぞれの性格付けがしっかり施されていて、複数の楽器のアンサンブルを聴いているよう。それが音楽にボリューム感が与え、やはりラフマニノフのときのような立体感が生まれる。第1楽章や第3楽章では燃焼度の高い厳しさがあり、第2楽章は熱くて気高い「歌」があった。
「重い」プログラムはまだまだ続く。ショスタコーヴィチについては国家による統制の中でいかに巧みに自作曲にアイロニーを織り込んだかをピアノを弾きながら紹介、そして2曲のピアノコンチェルトのそれぞれ一部を演奏したが、とりわけ第1番の第2楽章はモノローグ的な歌がひしひしと胸に染みてきた。これはまたいつか是非オーケストラとの共演で聴いてみたい。
休憩を挟んでおしまいは「展覧会の絵」。ジュリアード音楽院時代にユダヤ人の先生から教わったこと(「ゴールデンベルクは多くの苦労の末に金持ちになれた」とシュムイレにお説教して、それにシュムイレが泣きついている)や、「ある演奏会で「バーバ・ヤーガ」を弾いたら子供が怖がって泣き出したのが嬉しかった」といったエピソードを紹介、ますますこれから聴く演奏に期待が高まった。
最初の「プロムナード」がとてもおおらかに、楽しげに響き、このあと繰り広げられる様々な音楽に思いを馳せる。小川の弾く「展覧会の絵」は2月に聴いたリストのロ短調ソナタのように華やかでゴージャスで、やはり気高さも具わり、それにとても明るい演奏だった。むしろラベル編曲のオーケストラ版で聴き慣れている曲だが、ピアノ一台でこれ程までに、誤解を恐れずに言えばむしろオーケストラよりも雄弁に、より遠くまでイマジネーションを膨らませられてしまうなんて本当にすごい。
磨かれたタッチでそれぞれの楽曲をリアルに活き活きと描き、それぞれの「絵」から実物が飛び出してくるよう。「子供が泣いた」という「バーバ・ヤーガ」の迫力も凄かったが、これは大人が聴くと、子供に迫真の演技を交えて読み聞かせている愛情と血の通った「お母さん」の姿も浮かんでしまう。終曲「キエフの大門」も期待通りの空気全体を震わせ、色までつけてしまうような迫力。「ピアノを鳴らすのに男のような腕っぷしの強さが不可欠なわけではないということを証明した」なんて褒め言葉が場違いと思えるほど、そんな次元を超えた大きな存在を提示した小川の力を思い知った。
アンコールで弾いてくれたチャイコフスキーの、朝の光を浴びて生命力に溢れる清々しい「松雪草」(そんなイメージが勝手に湧いてきた)にもハートを感じた。うん、やっぱり小川典子はすごい!